2019年2月28日 (木)

前立腺 ガ ン の 疑 い ?

私は来月 8 6  歳 になるが、知人が最近 前立腺 ガ ン で死亡  したために、糖尿病と脳梗塞の予防薬を毎月 1 回もらいに行 く 医師 のところで、前立腺 ガ ン の 指標である P SA  ( 前立腺 特異抗原 )  の 検査 を 依頼 した。                      

その検査結果によれば、4.0 が正常値の上限のところ、5.39 の 値 が出たために、私が住む市ではなく、隣接する 市 にある 病院 の 泌尿器科 に 紹介状 を 書 いて 診察 を 受けるように 手配 して く れた。

朝 8 時半に 病院 に行 く とすでに 受付 は 混雑 して いたが 、紹介状 のおかげで その後の 血液検査 ・ 検尿 ・ 腹部 エ コ ー 検査 など 順調 に行った。

最後に 泌尿科医 に 呼 ばれて 診察室 に 入 ったが、検査結果 を 聞かされて 驚  い た。 「 P S A   の 値 は、上限値  4.0 のところ、1.016 で 異常 な し 」で あった。念のため 肛 門 から 指 を 入 れられ 直腸 から前立腺  の 触診 (  し ょ   く  し ん ) をされたが、ガ ン  ( 固  い  し こ り )  は無 かった と の こ と で あった。

なお念のため 三 ヶ月後にもう 一度検査 に 来 るようにいわれて帰宅 した。 その後 調 べた 結果 によれば、前立腺 ガ ン は進行 が  一般 に 遅  く、患者 が  高 齢 ( 75 歳以上 ) の場合には 手術 をせず、定期的 に 血液検査 を しながら 経過 を見守る  監視療法が、選ばれる 場合が 多 いとの ことであった。

私の海上自衛隊の 同期生 の中にも 前立腺 ガ ン にな り、全摘手術を受けた者、放射線療法を した者、シャープ ペンシル の 芯 ほどの太さの 小 線 源  ( ヨ ウ 素 125 の、放射性同位元素 ) を 前立腺内 に 5 0 本も 埋 め 込 んで、俺 の は 「 筋 金 入 り だ ぞ 」  と自慢  して、ガ ン を制圧 した者が いたが、放射線療法に 頼った者 は ガ ン が 転移 して、治療 から 7 年後に 死亡 した。

https://www.nmp.co.jp/seed/about/brachytherapy.html

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2019年2月 3日 (日)

J A L 機 の 芋 掘 り

2 月 1 日 の 午前 6 時 55 分 のこと、イ ン ド の デ リ ー 発 成田行きの J A L 740 便、ボーイング 787 型機 が成田空港に着陸後、滑走路から 誘導路 に出た際に 左側 の 主車輪 が誘導路から脱輪 して 、雪解 けの ぬかるみ に 車輪 が 埋まって動けな くなった。

Imohorisharin

雪の影響で スリップ したとみられるが、 A 滑走路 は 午後 2 時 50 分まで、7 時間にわたって閉鎖された。そのために、  成田 到着予定の 10 便以上が 羽田 などへ 行き先を 変更 し、4 0 便 以上が 欠航、2 5 0 便以上が 遅延  した。

成田空港にある気象台によると、1 日未明、積雪が多い時で約 2 センチ あり、午前 7 時ごろの気温は氷点下 0・8 度だった。成田国際空港会社 ( NAA ) は、付近で 一部 路面の凍結 を 確認 しながら  「 運用上問題 はな い 」 と判断 して いた。

前日夜に滑走路と主要な 誘導路 には 凍結防止剤 を 撒布 したが、脱輪 が 起 きた 場所では 撒 いて いなかったとのことである。

下記の ブ ロ グ を 読まれた し。

http://good-old-days.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_8c9c.html  ( 前 車 の 轍 )

http://good-old-days.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_edd6.html ( 芋 ほ り )

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2019年1月31日 (木)

掲示板の書き込みで殺された

まずは、下記の ブログ と コメント を読 まれたし。

http://good-old-days.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-ac4f.html

昨年11月に 女子大生 (19) が行方不明になっていた事件で、警視庁は 1月 31 日、茨城県 ・ 神栖市 ( かみす し ) の 無職 広瀬晃一容疑者 ( 35 ) =死体遺棄容疑で逮捕= の供述 に 基づき、同市内で 遺体を発見 し 、身元を行方不明になっていた 菊池捺未さん ( 当時 1 8 ) と 確認 した。

Kikuchi

「騒がれ 車内で殺害 」 と、遺棄容疑者が 供述した。 知人らによると、広瀬晃一 容疑者 ( 35 ) は 、茨城県 ・ 土浦市の 中学校を 卒業。その後は 転居 を 重 ね、半年ほど前に現在暮らす同県 神栖市 で 一人暮ら しを始め、土木会社で アルバイト と して 勤務 していた。

Hirose

 この間の 2017 年 4 月 には、SNS で 知り合った 少女 に 現金 を 渡 して わいせつな行為を したとして、児童買春 ・ 児童 ポルノ 禁止法違反の 疑 いで 、茨城県警に 逮捕されている。

菊池さんは昨年11月 20 日に 、午前は文京区の大学で授業を受けた後、東京から電車で J R 鹿島神宮駅 (茨城県・鹿島市 )に向かった。同駅から タクシー で 神栖市の コンビニ 駐車場に 移動 して 以降、足取りが わからなくなった。

菊池さんは 同夜 L I N E で 「 男の人に 会 いた いと 言われている 」 と知人に メール を送ったが、午後 11 時以降は メッセージ は 既読にならず、この頃殺害されたと警視庁はみている。

L I N E で会 いたいと いわれただけで、会ったこともない男 の家に のこのこ 出かけて行く若 い女性 の心境が、私には 理解 できない。

2019年1月28日 (月)

45年以上続く、小学校のクラス会

今から 75 年前の、昭和 19 年 ( 1944 年 ) の 8 月から実施された、学童集団疎開のことをご存知 か?。

まずは下記の ブログ を読まれた し。

http://good-old-days.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/index.html

第二次大戦(当時は大東亜戦争と呼んでいた)末期の昭和19年(1944年)に、

当時東京都・豊島区・巣鴨の 仰高北 国民学校の5年生だった男子児童 75 名は、長野県・小県郡・室賀村にある 前松寺 ( ぜん  しょう  じ )  に学童集団疎開を した。

その仲間が 7 3 年経った今も、戦災 により焼失  し廃校 になった 国民学校 ( 小学校 )  の近く に 毎年集まって、昔を偲び 共通の体験を語り合 い 「きずな」 を高めてきた。

今年も 今 シーズン 最強の寒波 が訪れる中、1 月 2 6 日に  巣鴨 (お婆ちゃんの原宿)で クラス 会 があり、私も中国人旅行者で東京行きの便が 混雑 するなか、空港で 空席待ち を 3 時間 して、ようや く 大阪 から 東京に行き、クラス 会に 出席することができた次第である。

Zenshoujikai

写真は昨年のものだが級友の 多  く は既 に 他界 し、あるいは 歩行困難者 ・ 病床にあるなど、出席者は年々減る一方である。小生は前列左から二人目

8 5 歳の私は、あと 3 ヶ月で 8 6 歳になる予定だが、糖尿病を患い軽い脳梗塞の初期症状を経験 し、先月からは胸 の 痛 みがあるので、心筋症 (?) の可能性もあるため、クラス会への出席もこれが最後かと思いながら出席 した次第である。

https://www.youtube.com/watch?v=fvZ5DHIjJ2E

2018年11月13日 (火)

酒 酔 機 長 が 諭 旨 退 職

前の ブログ に 書 いた A N A ウ イ ン グ ス の 4 2 歳 の 機長 が 、規定 に 違反 して 乗務前夜 の 10 月 24 日午後 10 時 ごろまで、滞在先 の 沖縄県石垣市内 で 飲食 した 際 に ビ ー ル などを 6 杯 飲 んだ。

翌朝 機長が  酒 酔 い による 体調不良を 訴 えたため 、パ イ ロ ッ ト の 交代 が 生  じ、機長が乗務予定 だった 10 月 25 日 の 石垣午前 8 時 10 分 発 那 覇 行きの 1762 便 ( ボーイング 737-500 型機 の 出発 が 54 分 遅 れるなど、計 5 便 に 各便 1 時間 弱 ず つ の 遅 延 が 発 生 した。

この問題で、機長は 11 月 6 日付 で 諭 旨 ( ゆ し ) 退職の処分 を 受 けた。ちなみに諭旨退職とは 懲戒処分 のひとつで、1 番重 い「 懲 戒 解 雇 = ク ビ 」 の 次 に 重 い処分が「 諭 旨 退 職 」 である。

懲 戒 解 雇 は「 会社 が 一 方 的 に 退職 させることができる 」 ものであるが、諭旨退職 の 場合 は、「 一定期間内 であれば、自 己 都 合 退 職 ができる 」 余裕 をもたせた 退 職 勧 告 となる。もちろん 退職金 も きちんと貰 える。

両者の違 いは 退職 を 促 さなければならない重大な問題 を起 こ したことに変わ りはな い が、それまでの 勤務態度 を 考慮 した り、犯 した 罪 を 償 う 意 志  や 反 省 の 念 があった り と いった、「 情 状 酌 量 の 余 地 」 の 有 無 が ポ イ ン ト となる。

A N A ウイングス という 会社 は、エア-ニッポ ン、エア-ネックスト、エア-セントラル がまとまって、2010 年 10 月 に設立 したもので、A N A ホールデイングス ( 持ち株会社 ) の 完全子会社(100 % の株式保有 ) である。

A N A ホールデイングス が 現在保有 する 航空事業者 ( 航空会社 ) は、

1:全日本空輸 ( A N A )
2:エ アー ジャパン ( A J X )
3:ANA ウイングス ( A K X )

下記 の L C C  ( 格 安 航 空 会 社 ) の 株式 を 部 分 所 有

4:バ ニ ラ ・ エ ア ( V N L )

5: ピ ー チ ・ ア ビ エ ー シ ョ ン ( A P J )

 航空各社で飲酒 トラブル が相次 いだことから、監督する国土交通省は、パ イ ロ ッ ト の 体内 アルコール 濃度 の 上限値 などを 検討 する 有識者会議 を 設置 する予定。

https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000139913.html

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2018年11月 2日 (金)

J A L パイロット 飲 酒 で 逮 捕

報道によれば、ロ ン ド ン 発 羽田行き の J A L 4 4 便 に 乗務予定 だった日本航空の 男性副操縦士 (42)が、 酒 酔  い に よ る  乗 務 未 遂 で 逮捕 された。

副操縦士は 10 月 28 日 午後 7 時 ( 現地時間 ) ロ ン ド ン ・ ヒースロー 空港発 の J A L 4 4 便に、機長 2 人と 乗務予定だったが、ターミナル 3 から乗員を 搭乗機 などに 送迎 する クルー ・バス  の 中 で 運転手 が 酒 の 臭 いに 気づき、 空港保安担当者 に 連絡 した。

Recorder

通報を受けた警察官が その場で 呼気検査 を したところ、英国の 運 輸 安 全 に 関 する 法令 が 定 める 基 準 値 の 約 1 0  倍  の 呼気 1 リットル 当 たり 0.9 3   ミ  リ  グ ラ ム の ア ル コ ー ル が 検出 されたと  して、同日夜 に 逮捕 された。

事情聴取 に対 して 乗務 の  2 0 時間前 までに、 約 6 時間 にわた り 宿泊先 の ホテル の バー や 自室 で 、  ワ イ ン  2 本 強 と、ビ ー ル 1.8  リ ッ ト ル  以上 を 一人で飲んだと述べた。この パイロット は アルコール 依存症ではないのか?。

どこの航空会社でも、規定では乗務前 12 時間以内 の 飲酒を 禁 じ、12 時間 以上前 でも 、乗務 に 支障 が 出 る 飲酒 は 禁止 している。

更に 昭和 5 2 年 (1977 年) に 起 きた J A L 酩 酊 機 長 に よ る 墜 落 事 故   を 契 機 に、飛行前 に 呼気 の アルコール 検査 をするようになった。 下記 を読まれた し。

http://good-old-days.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-2eae.html

ロン ドン の警察当局 に 逮捕 された J A L  の 副操縦士 は、11月1日に ロン ドンの裁判所に出廷 し、罪状 を 認めた。

Bafleet

参考 までに 英国 では今年 6 月 に 、上 限 の 4 倍 以 上 の アルコール が 検出された 英 国 航 空 ( B A、 ブリティッシュ ・ エアウェイズ ) の パイロット が、 禁 固  8   ヶ 月 の 有 罪 判 決 を 受 け て い る。

J A L の 副操縦士は 社内で 乗務前 に行う 呼気 の アルコール 検査 をごまか して パ ス したが 、今後に 大きな問題を残 した。

ところで、全日空の グループ 会社 の A N A ウイングス に 所属 する ボーイング 7 3 7 型機 の 4 0 代 の 男性機長 が、前日の 飲 酒 の 影 響 で  体 調 不 良 になり、10 月 25 日 に 予定  していた 那覇空港 と 石垣島 や 宮古島 を 結 ぶ 沖縄県内 の 計 5 便 に、乗務できな く なった。

別 の 機長を手配 したため、五 つ の 便 は 1 時間 近 くの 遅れが 出て、約 600 人 に影響 した。会社では 機長 を 規定違反 で 処分 する 方針 とのこと。

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2018年9月 6日 (木)

船 の 錨 と 、台風 2 1 号

近年 最強 の 台風 2 1 号 が 9 月 4 日 に 徳島県南部 に 上陸  してから、関西空港付近を通過 し、1 4  時頃 に 神戸付近 に 再上陸  した。我 が 家 は 神戸 から 電車 で 1 時間 ほど 東側 にあるために、台風  2 1 号 の 威 力 を ま ざ ま ざ と 見 せつけられた。

たちまち 停電 となり、家 を 揺 らすような 激   し い 風、窓 の シ ャ ッ タ ー  に  叩 きつける 雨、ヒュー ヒュー と  吹  き 荒 れる 暴風  の 音、8 5 歳 の 今日 まで、こんなに 激 しい 台風 は 経験  したことがなかった。

報道によると、関西国際空港 では 最大瞬間風速 が 観測史上 最大 の 5 8.1 メートル を 記録  し、滑走路 や タ ー ミ ナ ル 周辺 が 高潮 で 浸水  し、利用客 らが 空港 に 取 り 残 されていると いう。

更 に 関空 に 航空燃料 を 運 ぶ  2,5 9 1 ト ン の タ ン カ ー  「 宝 運 丸 」 が、関空 の 南の 海域で 投錨  して 停泊中 に 強風 で 流 され、関空連絡橋 に 衝突 し 連絡橋 を 破壊 すると 共 に  橋 を 通 る ガ ス の パ イ プ を 損傷  し、 ガ ス 漏 れを生 じて いるとのことであった。

https://www.asahi.com/video/articles/ASL94532ZL94PTIL023.html

中心気圧 9 4 5   h  p   a  ( ヘ ク ト パ ス カ ル ) の 猛烈 な 台風 が 来 ると いうのに、当該 タンカー の 船長 は  「 守 錨  体 制 」 ( しゅびょう た いせ い ) をと り、航海科 の 乗組員 を 守錨 当直 ( アンカ ー ワッチ、A n c h o r  w a t c h ) と して  船橋 に 配置 していたかどうか おお いに 疑問 がある。

Kouseki

たとえ 錨 を 打って 停泊 していても、錨 の 把 駐 力 ( はちゅうりょく、h o l d i n g   p o w e r 、 錨 が 海底 との 間 に生 み 出 す 抵抗力 ) よりも、暴風 による 風圧 などによ り 船体 が 流 される 場合 があるが、これを 海事用語で  走 錨  ( そうびょう、 D r a g   A n c h o r ) と いう。

投錨  して 停泊  した 場所 を G P S や  レーダー 、陸上目標 との 交 差 方 位 ( クロスベアリング、C r o s s  b e a r i n g ) で  確認  しておけば、そこから 位置 が ズ レ た場合には、「 走 錨 」 が  分 かる。

またそれまでの船体 の 周期的  な 振 れ 回 り 運動  が 止 ま り、一方 の 舷  からのみ 風 を 受 けるようになる。下記 は 荒天 による 走錨中 の 動画 で、錨 鎖   ( びょうさ ) が 張 った まま。

https://www.youtube.com/watch?v=UrM_ji1DS5w

では 今回の タ ン カ ー のよう に 錨泊中 に 走 錨 ( そうびょう、 D r a g  A n c h o r  ) が 始 まったら どうすべきか?。投錨  した 船 の 錨 を 巻 き 上 げるのに 通常 20 ~ 30 分 必要 と するので、緊急時 には 待っては いられな い。

その 場合 には、錨 を 捨 てて  出港 する ( 捨 錨、 し ゃ び ょ う  ) するのが 普通 である。そのためには事前 に 錨鎖 ( びょう さ ) の 1 節 ごと を  繋 いでいる 「 ケンター シャックル」 ( K e n t e r   S h a c k l e、 切 り 離 し 用 シャックル ) に、引 き 揚 げ 用 の ワ イ ヤ を 結 び、目印 の  ブ イ  を 付 けておき、い ざ と いう 場合 には 遅滞 な く 捨 錨  し、出 港  する 。 錨 は 後日 回収 する。

今回の事故に関して船の 航海士 と 称する 人 が、自然 の 猛威 の 前 にやむをえなかったと タンカー の 乗組員を 弁護 して いたが、神戸 や 大阪港 の 錨地 に 停泊 していた 船 が 一隻 も 岸壁 ・ 防波堤 に 押 し 流 されなかったことを、どのように 解釈 するのか 知 りた いものである。

当該 タ ン カ ー が 約 3 0 分間 エンジン も 起動 せずに 漂流  し、橋 に 衝突  したのは、どういう 理由 か知りたい。機関科 の 当直 を 置 かずに いたのではな いのか (?)、

ところで 海上保安大学 1 年 の 時 に、 瀬戸内海 を 前述 した ボ ロ 船 の 練習船  く り は  し ( 栗 橋 ) で 巡航  したことがあった。その 際 に どこかの 泊地 で 投錨 した 際 に、錨鎖 の ブレーキ の 掛 け 過 ぎ か どうか 原因不明 で 錨鎖 が 切断 した  出来事 が 起 きた。

船 の 乗組員 が おろおろする 中、学生 と 共 に 乗船 していた 「 運用 の 教官 」 だった 東北弁 の C  教官 が 、と っ さ に 水深 と 海底 の 底質 を 測 る サ ン ド  レ ッ ド ( S o u n d i n g   l e a d 、測 鉛、そ  く  えん ) の 編 組 ( 細 いあみひも、長さ 40 ~ 60 メートル ) に、船 の 「 手 す り 」 にあった 救助用 の 円 形 輪 ブ イ を 結 び 付 けて 海 に 投 げ 入 れたのは  「 ファイン  プレー 」 であった。

そのため、後日 錨 や 錨鎖 を 回 収 するのに 非常 に 役立 ったと 聞 いて いる。なお 片方 の 錨 の 無 い 船  は 非常 に 「 み  じ め 」  な  姿 であったことを 記憶 している。

錨 泊 の 際 に 繰 り 出 す 錨 鎖 の 長 さについては、旧海軍 の 時代 から の 経 験 則 があり、水深 を D メ ー ト ル とすれば、

通常の場合は 3 D + 9 0 メ ー ト ル
今回の場合のような 荒 天 時 には 4 D + 1 4 5 メ ー ト ル とされて いる。

仮 に 水深 1 0 メ ー ト ル とすれば、荒天の場合 錨鎖 を 繰 り 出 す 長 さは 1 8 5 メートル になる

錨鎖 の 1 節( O n e   s h a c k l e ) は 2 5 メ ー ト ル なので、7  節半 使用 することになる。

シルバー回顧録 へ戻 るには、下記を ク リ ッ ク

http://www.rose.ne.jp/~ooha/

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2018年8月29日 (水)

熱 中 症、そ の 5

[ 熱 い 作 業 環 境 ]

私は 昭和  27 年 ( 1952 年 )  に 海上保安大 に入学 したが、当時 の 練習船 は 「 く り は し 」   ( 栗 橋 ) であ り、 船齢  5 0  年 以上 の 中古 ではな く、 大古 (?)  の 船であった。

この船 は 明治 3 0 年 ( 1897 年 )  に、 デ ン マ ー ク  の 造船所 で 作 られた サ ル ベ ー ジ  (  s a l v a g e 、海難救助、引 き 揚 げ 船  ) で、基準排水量 1,0 6 0  ト ン で あり、敗戦まで 旧 日本海軍 に 所属  して いた。

Kurihasi

エンジン  は 蒸気機関車 と 同様 の 蒸 気 往 復 式 機 関 ( S t e a m  R e c i p r o c a t i n g   E n g i n e  )  で 、巡航速度 は 僅 か 10 ノ ッ ト ( 時速 18 キ ロ メートル )の 自転車 並 み の 低速 で 航行  した。

蒸気を発生させる 汽 罐 ( き か ん、ボイラー、b o i l e r )  は、三 胴 式 水 管 缶   ( さんどう しき  す いかん が ま ) で あ り、燃料 は 蒸気 機関車 と 同 じ 石炭 焚 き であった。

Suikankama

なお  「 日本海軍 燃 料 史 」 によれば、日本海軍 が 固 形 燃 料 ( 石 炭 ) から 液 体 燃 料 ( 重 油 ) に 変更 を 決 意 した の は、明治 4 0 年 ( 1907 年 )  に 、石炭 - 重油 混 焼 汽 缶  (  こん ねん かん、ボ イ ラ ー  )  を 初 めて 採用  した  装甲巡洋艦 の 「 生 駒 」 に 遡 る。

さらに 重油 専焼缶 を 装備  した 艦 については、大正 4 年  ( 1915 年 ) に イギリス から購入 した 駆逐艦  「 浦 風 」  が 最初 であった。同書 には 以後 の 艦艇 が  「 著 し く 速力 並 に 航続距離 を 増加  し、容易 に 長時間 戦闘運転 に 耐 え 得 る 様 に なった 」と ある。

下の写真は、「 う ら か ぜ 」  の 全景。

Urakaze

                                             
[ コ ロ ッ パ ス ]

昔 の 船員用語 で、 石 炭 繰 ( く ) り のことを、コ ー ル ・ パ ッ サ ー ( C o a l   p a s s e r ) を短縮 して 「 コ ロ ッ パ ス 」 と呼んだが、機関科 の 下級船員 であった 汽 缶 焚 き ( か ま た き ) である 火 夫 ( か ふ、F i r e   m a n  )  の 更 に 下働 きであった。

学生時代の 乗船実習で 機関科 の 当直 の 際 には 汽 缶 焚 き ( かまたき ) の 実習 も したが、汽缶室 ( かま しつ、ボイラー ルーム、>B o i l e r  r o o m ) の 温度は 「 暑 い 」  のを 通 り 越 して 輻射熱 で 4 0 度 C  以上 にもな り 「 熱 い 」 ので、熱射病 を 防 ぐ ために 水 を ガ ブ 飲 み し 岩 塩 を 口 に入れながら、投炭用 ス コ ッ プ で 、 一 掬 ( す く ) い 1 5 キ ロ の重さにもなる 石炭 を、 燃え盛る ボ イ ラ ー  の 火 床  ( か しょう、F u r n a c e  ) へ 均等 に 撒布 するように 投 げ 入 れた。

Kakou

外からの 空気 が 来 る 汽缶室 の 通風筒 の 下 には 船 の 機関科員 が 立 ち、我々学生 は 換気 の 風 が 来 ない 所 で 汽缶の輻射熱に晒され 汗 だ く にな りながら、ひたすら 汽缶 焚 き ( かまたき ) の  投炭作業 に 従事 した。

日清戦争  ( 1894 ~ 1895 年 ) ・ 日露戦争 ( 1904 ~ 1905 年 )  の 戦訓 にも、機関室 ・ 汽缶室 の 通風不良 の 艦 においては 、炎暑下 で 機関科員 がその 体力 の 限界 を 超 えた 酷使 へ と 追込 まれる 場合 があった と 記 されていたが、その 5 0 年後 に 我 々 も それを 体験 させられた。

下記は 海 保 大 桟 橋 に 係 留 中 の  練 習 船、三代目 の  「 こ  じ  ま 」  で  2, 9 5 0 ト ン 、 速力 1 8  ノ ッ ト、 デ ィ ー ゼ ル エ ン ジ ン  のため、「 か ま 焚 き 」 の 苦労 は 無 い。

推進軸 は 二 軸 、毎 年 実 習 生 を乗 せて 世 界 一 周 の 訓 練 航 海  に 出 て い る。

Kojima

2018年8月19日 (日)

熱 中 症、 そ の 4

                              
[ 物 の 根 源 は 水  ]

熱中症 に 関 する 記 述 で 最 も古 い とされるものは、 古代 ギ リ シ ャ で 活躍  した タ レ ス ( 紀元前 623 ~ 前 546 年 ) に 関 する 記 述 である。彼は 古代 ギ リ シ ャ の 七 賢 人 の 一人 であり、

物 の 根 源 は 水 で あ る

と 説 いた 有名 な 哲学者 であった。その 人物 が 古 代 ギリシャ の エ ー リ ス  地 方、オ リ ン ピ ア で 4 年 に 1 度 開催 された 最大級 の 競 技 会 ( オリンピック ) を 観戦中 に 熱中症 で 死亡 したと いわれている。

「 すべては 水 から 生  じて、水 に  還  る 」 という 自然観 を 語った 人 が、 脱 水 で 命 を 落 と した とすれば、皮肉 な 話 である。

日本においては 正 徳 2 年 ( 1712 年 ) に、福岡藩 の 儒学者 ( じゅが く しゃ ) であった 貝原益軒 ( か いばら えきけん ) が 健康指南書 の 養 生 訓 ( よう じょう く ん ) の 中 で、

四 時 ( 四 季 ) のうち、夏 月 も っ と も 保養 す べ  し、霍 乱 ( か く らん、暑気 に 当 てられて 起 こる 吐 瀉 病 ) ・ 中 暑 ・ 傷 食 ( 急性胃腸 カ タ ル ) 瘧 痢 ( ぎゃ く り、発 熱 性 下 痢 )  の 病 おこ  しやす し

と 記述  して いた。

[ 奈良の大仏を造れても、銅の 精錬法 に 無知 だった日本 ]

ところで、古来,日本 の 銅 鉱 石 には 銀 が 含 まれて いたが、銅 から 銀 を 取 り 除 く ( 取 り出す ) 技術 が 日本 には 無 かった。室町時代 ( 1336 ~ 1573 年 ) に は 日本 の 輸出品 の 主 要 なものは 銅 であ り、粗 銅 ( そどう、不純物 を含 む 銅 の 半製品 )  から 「 銀 」 を 分離 する 技術 をもつ 中国 には 格 安 の 品 と して 受 け 入 れられてきた。
...
住友財閥 の 先祖 は 水 運  に 恵まれた 大阪 に 住 んで いたが、天正 1 9 年 ( 1591年 ) に 和泉国 堺 浦 ( 現 ・大阪府 堺市の 港 ) に 来 た 明 ( み ん  ) の 技 術 者 から、 「 南 蛮 吹 き 」 ( なんばん ぶ き )   と 称 する 粗 銅 から 銀 を 分 離 する 精 錬 法 を初めて 学 ん だ。

こ の 「 南 蛮 吹 き 」 のおかげで、住友家 は 粗 銅 から 「 銀 」 を 分離 して、莫 大 な 利 益 を 上 げるようになった。

 

  [ 南 蛮 吹 き と は ]

銀 や 不純物 などを含む 半製品の 粗 銅  ( そどう ) から、銅  の 融 点、1083 度 C  、 銀 の 融 点、961 度 C 、 鉛 の 融 点、328 度 C  という 融 点 の 温度差を 利用 して、粗銅 を 加熱 して 銀 を 取 り 出 し、純度 の 高 い 精 銅を 得る方法 を いう。 

Anisodou

上図 は 粗銅  ( そどう、または  あらがね とも 呼 ばれる )

元禄 3 年 ( 1690 年 )、標 高 1,000mを 超 える 伊 予 の 別 子 ( べ っ し ) 山 村 ( 現 ・ 愛媛県 新居浜市 ) で 発見された 銅 の 露 頭 ( ろ と う、鉱 脈 の 一 部 露 出 )を 手 がかりに、ここに 良好 な 鉱脈 があることを 確認 した 住 友 商 店 は、翌年 銅 の 採掘 を 開始 した。

記録によれば、発見から僅か 5 年後 の 1695 年 には、別子銅山 の 山中 に 2,700 人 もの 店員 と 作業人 が 暮 らす 鉱 山 町 が 形 成 されて いたと いう。

坑道 を 堀 り銅鉱石 を 掘 削 し、外部への 鉱石運 び 出 しは 重労働 であ り、粗銅  の 精 錬 には 大量 の 火 気 ( 薪 炭 )を 使用 した。 以来 200 年 近 く 江戸時代 を 通 じて、別子銅山 は 日本有数の 銅鉱山 となった。

         

[ 江 戸 時 代 の 熱 中 症 の 認 識 ]

『 南総里見八犬伝 』 の 作者 と して 知 られる 戯 作 ( げ さ  く ) 者 の 滝沢 ( 曲亭 ) 馬琴 ( たきざわ ばきん、1767 ~ 1848 年 ) が書 いた 馬琴日記 の中に、文政 12 年 ( 1829 年 ) 7 月 1 8 日、

Hakkenden

予 ( よ ) 、昼 前 ヨ リ 水瀉 ( 水 のような 下痢 をすること )  四 ・ 五 度、依 之( これにより ) ( 医師 で 長男 の 滝沢 ) 宗 伯 ( そうは く が ) 調剤 ( し た 薬 を ) 服薬 ス。中 暑 ( ちゅう し ょ、暑気あたり、熱中症 ) ノ 気味 ナ リ

との 記述があった。このことから 江戸時代後期 には、熱中症 と いう 疾 病 ( しっ ぺ い ) が 江戸庶民 に 広 く 認知 されていたことが うかがえる。

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2018年8月13日 (月)

御 巣 鷹 山 事 故 に 想 う

昨日は 昭和 60 年 ( 1985 年 ) 年 8 月 1 2 日 に 起 きた、御巣鷹山 の 日航機墜落事故から 3 3 年目の 命日 であった。事故機 の 高濱 機長 は 私 よ り 3  歳年下 で、昭和 3  4 ~ 3 5 年 頃 (1959 年 ~ 1960 年 ) の 同  じ 時期 に、青森県 にある 海上自衛隊 八戸航空基地 に 勤務 したことがあった。

当時 私 は 第 2 飛行隊の 対潜水艦哨戒機 の P 2 V -7、彼は 第 1 3 航空隊の  S 2  F の パ イ ロ ッ ト であ り、話をする機会 もなかった。

聞 く ところによると 彼 は京都市内の 高校 を中退後、海上自衛隊 に 入 隊 し、乙種 航空学生 ( 乙 航 ) の 3 期 と して パイロット コース に進 んだ ら し い。

その後、昭和 3 5 年 ( 1960 年 ) 頃、当時 副操縦士だった彼が 機長席 ( 左 席 ) に 座 り、機長であった 私 の 同期生 が 教官 とな り 夜間 の 離着陸 訓練 を 実施 したが、その際 に 高濱 副操縦士が 車輪 を下ろすのを忘 れて、胴 体 着 陸 する事故を起 こ した。

事故の責任は 機長 が 負 う のは 当然 のことであ り、教官 パ イ ロ ッ ト は 戒告 の 懲戒処分 を受 けた。高濱 副操縦士 はその後 自衛隊 を退職 し、当時存在  した 富士航空 および 日本国内航空 を 経 て 航空会社 の 吸収 合併 によ り 、昭和 4 1 年 ( 1966 年 ) に 日本航空 へ 入社  した。

彼は宮崎県 延岡市 の 出身 で、 母親 を 小学生の時に 亡 く  し、父親 も 蒸発 するな ど 家庭環境 は 複雑 だったよう である。 自衛隊 に 入隊後 は 姉 弟 とも 音信不通 になって いて、姉弟達 は 日航 123 便 墜落 の ニュース を見 て 、長 い 間 音信不通 だった 彼 の死 を 知 った と  いう。

まず御巣鷹山事故に 関係 の ある、下記 の ブ ロ グ を 読んでもら いた い。

国による習慣 ・ 制度の違い について

http://good-old-days.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_be12.html

夏が来れば


http://good-old-days.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_8cb4.html

 

«熱 中 症、 そ の 3