容姿端麗がいなくなった理由
その昔スチュワーデスの採用広告には、容姿端麗、英語堪能というのが必ずありましたが、飛行機に乗ること自体が庶民にとっては高根の花だった時代に、それに乗る職業は若い女性にとっては今以上に憧れの的でした。昭和30年(1955年)に縄文航空が初めてスチュワーデスを六名採用した際には、千人もの応募者があったといわれていますが、あまりの混雑ぶりに警察官が出て整理したとのことでした。(写真はクリックで拡大します)
その際に採用されたスチュワーデスの1期生の一人が後に管理職になり、乗務から離れて六十才の定年まで勤めていましたが、年を取っても美人の面影が残っていました。「津田塾」か「青学」の出身だったと思います。
しかし今ではどこの航空会社の募集規定を見ても容姿端麗や英語堪能の条件がありませんが、つまり美人で無くても、英語が話せなくても良くなったと理解すべきなのでしょうか?。ところでスチュワーデスのことを業界用語では「デス」といいますが、今では会社によってキャビン・アテンダント( C A )とか、フライト・アテンダント( F A )などと称していて、鶴丸航空では昭和40年代に英国系統の航空会社の「マネ」をして、一時期にエアー・ホステスと称したことがありました。
しかしご存じのように日本ではホステスといえば「女主人」どころか、キャバレーのホステスに代表される「いかがわしい」水商売の女性を直ぐに連想させるため、同社のスチュワーデス諸嬢から猛烈な反対、抗議が起こり、会社側もその「語感の悪さ」にようやく気付いた結果、数ヶ月後には元の名称であったスチュワーデスに戻すことになりました。いとハズカシと思いけれ。
ところで金野内蔵氏によれば、昭和40年当時「デス」の定年は三十才でした。なぜ三十才にしたかといえば、その昔大奥で将軍の側室や大名の夜伽(よとぎ)を勤めた女性が三十才になると、「おしとね辞退」と称してお役御免になりましたが、それから由来するのだそうです。しかし最近の女性は晩婚なので(?)、呼ばれない内に「辞退させられ」てしまいそうです。なお若い人では「しとね」の意味を知らない人がいるようですが、「しとね」とは寝たり座ったりする時に使用する綿入れの敷物のことから、「ふとん」の意味です。
その後「デス」の定年は四十才、五十才と次第に延長されて行き、今では雇用機会均等法により六十才になりましたが、同業他社で機長経験があった荒俣(あらまた)落太氏によれば、最近の「デス」は結婚しても退職する者が少なく子供がいるのは当たり前で、中には孫までいる文字通りの「お婆ちゃんデス」までいるそうです。
米国ではアルツハイマー病を患い、最近死んだレーガンが七十三才で大統領になってから、加齢を理由に解雇するのはけしからんということで、「デス」の定年を七十五才にしたといわれています。以前縄文航空に働いていたアメリカ人航空機関士によれば、米国のある航空会社では自分の母親よりも高齢の「デス」がいて、グランマ( Grand mother、お婆ちゃん )と皆から呼ばれ、老眼鏡はもちろんのこと、中には補聴器を使用していた「デス」もいたそうです。(続く)
コメント
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興味深いお話です。そういえば、端麗は死語となり淡麗となりて発泡酒に名を残すなり。
また、姪もすでに○○歳代と思いますが、昨年から成田発乗務になって「甲子園へ行けなくなって、マリンスタジアムで交流戦を見てる」そうです。
ところで金野氏(友人に同姓がいます!)の奥様は、同じギョーカイの方と違うのですか?
失礼しました。
投稿: Y.S | 2006年6月22日 (木) 11時41分
金野内蔵氏をよく知る友人の話では、ギョーカイとは無縁の栃木県の山奥で捕れた、メスの「ボス猿」やに聞いておりますが、ハイ。
投稿: Y.O. | 2006年6月22日 (木) 20時53分
あっ!そうか・・・ギョーカイ以前でしたかな?
江田島、八戸、はたまた米国か、接点や何処?
投稿: Y.S | 2006年6月22日 (木) 23時07分