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2006年6月19日 (月)

飛行機内の行列

これから話にでてくる 「 縄文航空 」 とは昔々存在した航空会社のことであり、金野 ( かねの ) 内蔵 氏はその会社で以前機長をしていた人だそうです。今回その金野氏から昔話を聞くことができましたが、内容について真偽の程は不明です。

[飛行機内の行列]

Nh777200

縄文航空の金野内蔵氏はある時チャーター便の運航で、瑞穂の国のある地方空港からホンコンの啓徳(カイタック、KaiTak )空港(1998年まで使用していた旧空港)まで飛んだのだそうです。冬場はジェット気流の強い向かい風に逆らって飛ぶので約4時間半かかる為、パイロットもスチュワーデスも途中で一回は、トイレに行く必要がありました。写真は北から着陸する場合には、低高度で旋回しながらビルの谷間を縫って進入着陸するため、乗客の間で 「 ホンコン・カーブ 」 として有名でした。 ( クリックで拡大します。)

その便に農協さんの団体御一行様が搭乗しましたが、機内では無料で酒が飲めるというので、この時とばかりにビール、日本酒、ブドウ酒は勿論のこと、話のタネに 「 ナポレオン 」 とか言うウイスキー (?、実際はブランデーの銘柄 ) を飲んでみるべー、などとアルコール類をガブ飲みした人々が多かったと聞きました。

何しろ生まれて初めて飛行機さ乗ったんだんべ、俺ら上空では酒が体に回り易いのを知らなかったんだよ-。だからホンコンに着いた時には、腰が立たなくなるほど酔った仲間が 四~五人 もいたのは仕方がなかんべー。ことわざにも 「 旅の恥はなんとか 」 と言うでねーか、しかも ホンコン は同文同種の国だべさ-、俺たちはちっとも気にしてないよ-。帰りも村の連中と一緒に、機内で宴会して タダ酒を ちから一杯飲むことにすっから。

ちなみに機内で乗客が飲む アルコール類は無税で仕入れた物なので、会社にとって原価は知れたものなのだそうな。

乗組員が トイレに行く タイミングとしては食事前のお酒などの飲み物の サービスが済み、乗客が食事をしている最中に行くのが ベストなので、金野内蔵氏はいつもそのようにしていたとのことでした。その型の飛行機では機内に六箇所しか トイレがなかったので、タイミングを失うと アルコールをたらふく飲み、膀胱を膨らませたお客様の行列が トイレの前にできてしまうので、機長といえども行列に割り込んで用を足すのは気が引けるからでした。

ある時飛行中に操縦室内に コトコト、コトコトと断続的な音が聞こえてきたのだそうな。普段聞き慣れない音や振動は、故障の前兆かも知れないので、金野氏、副操縦士、航空機関士と三名で緊張しながら音源を探しましたが、それはどうやら客室の方から聞こえて来ました。航空機関士が音源を確かめる為に客室に行くと、トイレの順番待ちをしていた 一人の女性が尿意をこらえるために足踏みをしていましたが、その際に床に敷いたカーペットを固定する金具に ハイヒールの 「 カカト 」 が当たる音だったのでした。

水をいっぱい入れた ドンブリを持つ場合には、水をこぼさない為に静かに持ち、「 ゆすらない 」 のが普通ですが、女性の場合は何故か足踏みをして 「 ゆする 」 傾向があるのだそうです。
同業他社のある スチュワーデスが公務傷病(?)の認定を求めて提訴しましたが、彼女が膀胱炎になったのは、勤務中に乗客の トイレ使用を優先させる為に、行きたい時に トイレに行けないのが原因 だと主張しました。その結果がどうなったのかは知りません。

別な折りに航空機関士が飛行中に トイレの行列に恐れをなして、行く機会を失ったまま、飛行機が台北 ( タイペイ ) F I R  (  Flight Information Region、飛行情報区域 ) と ホンコン F  I  R の境界にある エラト ( ELATO)地点を過ぎてしまい、ホンコンに向けて降下を開始したのだそうです。あと 30分ほどで着陸する予定でしたが、彼は足踏みすることも無くじっと心静かに尿意をこらえていました。

Asbag2 やがてその限界に達したのか、「 失礼します 」 と言うが早いか操縦室の椅子から立ち上がり、空酔い袋 (  Air Sickness bag 、吐袋、とぶくろとも言う ) を座席の背の ポケットから取り出して、溜まっていた液体をその中に無事に放出したとのことでした。 ヨカッタ!写真はクリックで拡大。
        

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コメント

ご無沙汰しています。
ブログの方も楽しく拝見しました。
この記事は実話でしょう?
確か作者のラストフライトもKai Takでしたね(笑)
いつまでもお元気で何よりです。失礼しました。

ムムーッ、作者のラスト・フライトが KaiTak 空港であったなどと、極秘事項(?)を知るとは、お主ただ者ではないとお見受けした。もしかしたら川西のグリーンハイツの住人か、あるいは征夷大将軍、坂上田村麻呂殿ではござらぬか?。拙者糖尿病の食事療法、運動療法中なれど、ボケてはいかんと思い、若者がするという「ブログ」を するもの也。実話のみならず、追々バーチャル空間に読者を招き入れる所存でござる。

むははは・・・失礼しました。征夷大将軍にヒントが・・・?
兄が江田島の後輩で同じ型の対潜哨戒機に乗っていました。
同期会は今月ど違いましたか?
そういえば、弟夫妻はふたりとも貴兄の会社の後輩になります。
弟のヨメと同郷(白山市鶴来)の美人歌手が本日デビューしましたのでよろしく。(キングレコード山本あき)
http://www.kingrecords.co.jp/yamamotoaki/
他のブログでは、伊丹空港の飛行機の写真(数万枚とか)では有名な〔らく〕さん(多分まだ20代)のブログなどを良く見ます。
http://skyways.jp/FlySR!/post_31.html#79
この人の写真はAirliner netsにTakuji Sohmuraで多数(150枚くらいでしょうか)掲載されています。
あと「ゴリモンな日々」も良く見ます。
http://gorimon.com/blog/
どうも失礼しました。

やはり坂上田村麻呂殿でござったか?。
海上自衛隊幹候校の卒業五十周年記念クラス会が、今年の四月に呉市と、江田島で催されましたが、七十三才ともなると同期生百四十六名の内、二十七名が既に病気であの世に旅立ち、死亡率は18%になりました。しかし対潜哨戒機出身のパイロットでは、六名中三名が「ガン」で Passed away して、死亡率は何と50%でした。そのうちの二名は、田村麻呂殿の兄上とご縁があった鹿屋の一空出身者です。

拙者も金野内蔵殿と同様に海上自衛隊、縄文航空と三十六年間、自分にはこれしか適性がないと思われた仕事(換言すれば、操縦以外の能力が欠落していた証拠)、で「禄を食(は)む」ことができたので、これまでのところは人並みの人生だったと思っておりますが----。この分では生活習慣病により「お迎え」が近くなったのでは、という気がしております。

山本あきさんのホームページ拝見しましたが、金沢市の A N A ホテルに前泊して白山登山の際に通った鶴来町が、白山市になったとは知りませんでした。今後の活躍をお祈り致しております。

ありがとうございます。同期会は4月でしたか・・・。縄文航空の意味を考えているのですが・・・??

すみません。うっかり名前を間違えました。

縄文航空には特に意味はありません。運動療法で毎日1万歩の歩きの途中で、立ち寄った地域の文化財資料館で、この地域に縄文時代から人が住んでいたことを示す遺跡発掘現場の写真や、縄文式土器などをたまたま見た直後にブログを書いたので、縄文航空としたまでです。弥生航空では使用事業に有りそうな名前ですし、 源氏物語から名前を借りて「うつせみ航空」、 「あおい航空」、「ゆうがお航空」などとすると、上品過ぎまっしゃろ?。

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