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2006年7月31日 (月)

開けてビックリ

日本経済が復興し消費主導である大型の「いざなぎ景気」が昭和 40 年代に始まると、若い人は新婚旅行に飛行機を利用するよになりましたが、その目的地として先陣を切ったのが九州の宮崎でした。ここは地方空港としては最初に ジェット機が就航した所でしたが、やがて新婚旅行の メッカになりました。大安吉日と週末が重なった日の宮崎行きの夕方や夜の便は、乗客の殆どが新婚さんで占められていて、当時独身が勤務条件の スチュワー 「デス」 たちを羨ましがらせたものでした。

宮崎への新婚旅行 ブームがピークを迎えた昭和 49 年 ( 1974 年 )には、全国の新婚カップル約百万組のうち、実に 37 万組が宮崎に旅行しました。しかし宮崎 ブームは間もなく終わり、観光 スポットの青島海岸周辺を訪れた人数は昭和 49 年の 136 万人から、平成 15 年には僅か 21 万人と、ピーク時の 15 パーセントにまでに激減しました。

その理由は昭和 47 年 ( 1972 年 ) に日本に復帰したばかりの沖縄が、南国 ムードを求める新婚旅行客に好まれたからでした。社会が豊かになると次は旅行先が海外まで広がり、ハワイ、オーストラリア、タイ、シンガポールなどに行くようになりました。

その昔、新婚旅行の新婦の服装といえば、スーツに帽子を被るのが定番の スタイルでしたが、海外に行くようになると ジーパンに T シャツ、という ラフな日常の スタイルに変わりました。

以下は金野内蔵氏から聞いた話です。ある時成田午後 7 時半発の、シドニー行きの便でのこと、機内では乗客に対する夕食の サービスも終わりその後の映画を上映していましたが、操縦室に飲み物を運んできた チーフ ・ パーサーが、「最近の新婚さんは本当に厚かましいのだから 」 と怒っていました。その理由とは、

L-5 ( 前方から 5 番目にある ドア、つまり最後尾の ドア、の左側 ) を担当する 「 デス 」 から、トイレに入った乗客が長い時間出てこないという報告がありました。チーフ ・ パーサー が機体最後部にあるトイレに行くと、四つあるトイレの一つには確かに使用中の ライトが点灯し、内側から施錠されていて、ノックしても中から応答がありませんでした。

そこで彼女は トイレ の中で乗客が倒れているかも知れないと思い、合い鍵を使って ドアを開けることにしました。

Toilet1 ところが開けて ビックリ、個室の中には若い男女がいました。取り込んでいる最中に ドアを開けられた男は、「何すんだよー 」 と 「 逆ギレ 」 して、彼女に文句を言ったのだそうです。これに対してチーフ ・ パーサーは ドアを開けたままで、「ここはそういうことをする場所ではありません。迷惑だから直ぐに出てください」 と厳しい口調で言いました。

中にいた二人は恥ずかしそうな様子も見せずに下半身の身づくろいをして、トイレから出て座席に戻っていったとのことでした。写真は ファーストクラスの トイレで、クリックで拡大。

その話を聞きながら彼女の顔を見ると、操縦室の薄暗くした ライトに照らされた目尻には、「カラスの足跡 」 と呼ばれる 「 シワ 」 がくっきりと浮かんでいました。ところであんたは結婚する相手でもいるの?、と聞くと、いたらこんな仕事を長くしていませんよ。誰かいい人がいたら紹介して下さい、とのことでした。

その会話を聞いていた操縦室の中で最も若い航空機関士が、私は独身ですけれどと口をはさむと、彼女は 「 悪いけどあんたは私の趣味ではないし、それに年下の坊やには興味が無いの 」、とぴしゃりと言い返しました。お見事!。

彼女が操縦室から出て行くと航空機関士が、「彼女は美人だけど、( 性格が ) きついですねー。あんなのと結婚したら、一生尻の下に敷かれるので、こっちもお断りですよ 」、と負け犬の遠吠えをしました。

それを聞いた金野氏は 「 結婚相手を選ぶには、相手の性質が最も重要だよ」、と 46 年前に老妻を選択した失敗を、密かに反省しながら言いました。

2006年7月28日 (金)

財布が消えた

以下は小説です。30年以上前のこと縄文航空ではエンジンが三つで 326人乗りの、いわゆる広胴機( Wide Body Jet )を運航していましたが、広胴機とは簡単に言えば客室内に通路が二本ある飛行機のことです。その機体には電動式のコート・ハンガーが数箇所と普通のコート掛けのロッカーがありました。事件は電動のハンガーで起きました。スチュワー「デス」になって二年目の、姿 美子(すがた・よしこ)さんが、ある男性乗客から背広の上着を預かるように言われたので、コート・ハンガーに掛けて電動スイッチを入れて無事に格納し扉を閉めました。

Saifu1 羽田空港への着陸に備えて預かった背広を乗客に返したところ、その男性が内ポケットに入れておいた財布が無くなったと言い出したのでした。もしやと思いハンガー周辺や男性の座席のクッションの隙間などを探しましたが、財布はありませんでした。チーフ・パーサーを通じて機長に連絡があったので、空港への進入降下中の忙しい最中に社内無線で連絡し、対応を依頼しました。写真はクリックで拡大。

「デス」に預けた上着から財布が消えたというのでは会社の信用にも係わる事柄なので、事情聴取のために担当の 姿 美子(すがた・よしこ)「デス」の乗務を東京で打ち切り、代わりの「デス」を乗せることになりました。乗客が降機した後で機内を探しても、財布はみつかりませんでした。金野内蔵氏が客室に行くと 姿「デス」は目に涙を浮かべていましたが、「あんたが財布を盗ったなどと思う人は、クルーには誰もいないよ。調べれば直ぐに分かるから、心配しないでね」と言って慰めました。

縄文航空には警視庁の刑事から転職した警備担当の厳重 糺(いわしげ・ただす)氏がいたので、営業責任者の立ち会いの下で厳重(いわしげ)氏が財布が無くなった乗客に事情を聞くことになりました。後日厳重(いわしげ)氏から聞いた話によれば、顔を見たとたん直ぐに、この男性はおかしいと元刑事の感でピンときたそうです。その上住所、氏名、連絡先の電話番号を書くのを最初は渋りましたが、財布が発見された際の連絡先が必要だからといって、書いてもらいました。

本人によれば財布の中身は現金10万円と、クレジット・カードとのことでした。そこで紛失届を警察に出すように言うと、なぜか嫌がりました。届けを出さない以上、機内で紛失した証拠にはなりませんよというと、それでもいいからと言い出しました。すると今度は財布が無いことを理由に、横浜の家まで帰るタクシー代を要求しましたが、会社はきっぱりと断りました。交通機関が無くなる夜遅くならともかく、昼間にタクシー代を請求するとは男の魂胆が見え見えでした。

その男が書いた電話番号を別室で 104 の番号案内で確かめたところ、使われていない番号だったからでした。財布が無くなったというのは多分「ウソ」であり、それを種にして会社からカネを せびろうとした のに違いありません。紛失届けを出せば警察の記録に残り、場合によっては署名捺印欄にハンコの代わりに押す拇印(指紋)から身元が特定されるのを恐れたのかも知れません。それ以後縄文航空では「デス」がお客の背広の上着やコート類を預かる場合には、貴重品が入って無いことを相手に確認するように、マニュアルが改訂されました。

2006年7月25日 (火)

機内のセクハラ

昭和40年代の初め頃のこと、当時は飛行機の便数も少なく、従って空港の騒音問題も無く空港には夜の門限もありませんでした。そこで郵政省(当時)はサービス向上の一環として郵便をより早く配達する為に、深夜に空いている機体を利用して札幌・東京・大阪・福岡に郵便を運ぶ郵便機を運航することになりました。パイロット達はこの便のことを「夜ばい便」と呼んでいましたが、「よばい」の意味が分からない若い人は辞書を引いて下さい。

昼間に比べ深夜に飛ぶのは良いものです。空港は空いているし、航空管制通信のうるさい交信もほとんど無く、しかも航空路も空いているので自分の好む高度で飛べるからです。夏場に発生する積乱雲(雷雲)も夜間は気温が下がるにつれて消滅し、気流も安定します。最も気楽なことは人の代わりに荷物を積むことで、揺れても郵便袋は空酔いしませんし苦情も出ませんので。

航空の黎明期のフランスにサン・テクジュペリというパイロットがいましたが、彼は小説も書き「星の王子さま」が有名でした。それ以外にも「夜間飛行」や「南方郵便機」も書きましたが、深夜に郵便機を飛びながら金野氏は、1944年にドイツ軍との空中戦で死亡した彼のことを思い出しました。

Osawari 昭和43年頃のこと金野氏は、夜間のチャーター便を飛ぶことになりましたが、甲子園球場でナイターの試合を終えたある野球チームの選手達を、大阪から東京まで運ぶ便でした。夜11時に大阪を離陸しましたが、知多半島を過ぎた辺りで「デス」が操縦室に来て「キャプテン(機長のこと)、野球選手って本当にガラが悪いので嫌になります。」と怒った調子で 言いました。話を聞くと彼女が「おしぼり」を配る為に客室の通路を歩くと、何人もの選手が彼女の「おしり」を触ったのだそうです。写真はクリックで拡大。

「あんたが美人の証拠だよ」と言って慰めるわけにもいかずに、金野氏は彼女の為に、「おさわり」という痴漢行為をした奴らに 仕返し をすることに決めました。「ベルト・サイン」を点灯するからサービスを中止するように。乗客にはこの先、揺れが予想されると機長がアナウンスするから。乗客が眠り易いように機内照明を暗くして、「デス」の座席に座ったままでいるようにと告げました。

生憎当夜は気流が良く機体は揺れなかったので、金野氏はわざと操縦輪を前後左右に動かしては機体をピッチング(縦揺れ)、ローリング(横揺れ)させました。しばらく揺れの飛行を続けた後に不届きな振る舞いをした乗客たちの様子を「デス」に聞くと、揺れが始まると空酔いで気持ちが悪くなったらしく、皆おとなしくなり眠っているとのことで、「デス」 もそれ以上の被害に遭いませんでした。ヨカッタ!。

この野球チームとは、今シーズンの開幕当時は貯金をかなり貯め首位独走か(?)と思われたものの、最近では連敗が続き、セ・リーグの B クラスに定着しつつある、某新聞社と関係があるチームのことでした。

2006年7月22日 (土)

機内の食事

「デス」もパイロットも国内線の場合は大抵一日の勤務で少なくとも一回、時には二回、会社が支給する弁当を食べることになります。時間帯によっては出発前に会社の食堂で食べることもあり、時間が無ければパイロットの場合は飛行中に操縦席で食べます。この場合3~4種類ある弁当の中から、機長と副操縦士が同じ種類の弁当を食べない規則になっていますが、食中毒によって二人のパイロットが同時に体の具合が悪くなり操縦不能になるのを防ぐためです。

飛行中は自動操縦装置を入れて飛行するので、操縦席で食べる時間がありますが、気の毒なのは「デス」の方です。その理由は会社は弁当を支給するものの、それを食べる時間が無いのです。食事時間帯でも飛行中は乗客への機内サービスをし、彼女たちが弁当を食べるのは到着後地上で次の便の出発までの僅かな時間です。乗客が全員降機すると機内掃除人が手早く客室の清掃をしますが、ホコリが舞い上がる中で乗客用の座席に座り急いで食事をすることになります。食事を味わうことなどできるはずが無く、文字通りお腹に「詰め込む」ことになります。「習い性となる」のことわざがありますが、私も現役の頃は家の食事でも食べるのがつい早くなり、女房から文句を言われたことがありました。

国際線の場合はエコノミー・クラス用の食事を会社は支給しますが、それはそれでファースト・クラスの食事が必ず余るように搭載するので、気の利いたチーフパーサーがいると、操縦室に持ってきてくれます。洋食と和食があるので、パイロットが同じ食事を摂らないのも国内線と同じです。

「デス」は厨房に折りたたみ椅子を用意して、ヒマな時間にたべますが、聞くところによれば黒いダイヤと言われる高価な キャビア をお茶漬けにして、しかもプラスチック製の容器ではなく、陶器のお飯椀で食べるのだそうですが、勿論ファースト・クラス用の食事です。

Kyabia トリュフ、フォアグラと並び「世界の三大珍味」といわれるキャビアを何度も食べた感じでは、特別美味しいものとは思いませんでした。どおせ到着地で廃棄処分にされるよりも、「デス」の胃袋に入った方が「キャビア」や「フォアグラ」を作った人も、料理人も喜ぶというものです。


写真の黄色の円内がキャビアですが、上等のワインをたしなみながら、オードブル、スープ、サラダ、メインディシュ、チーズ、デザート、果物、食後のブランデーと続く、ファーストクラスのフル・コースの食事の気分を味わってください。写真はクリックで拡大。

最近 もったいない というキャッチ・フレーズで滋賀県知事に当選した女性が出ましたが、機内でファースト・クラスやビジネス・クラスで口を切り余った高価なワインや、例の高級なドン・ペリニオンなどのシャンパン、数万円のブランデーなどはどうすると思いますか?。到着前に全てトイレに流すのです。

左利きが聞いたらもったいなくて涙がこぼれそうですが、アルコール類は無税で購入したために、口を切った瓶の返却は税関手続き上しないのです。最近の機体は異なりますが、以前の機体ではトイレの下部に便槽があり、高価なブランデーなどを流すと、馥郁(ふくいく)たる香りがトイレ内部に漂ったものでした。機内のトイレについては別の機会で述べることにします。

2006年7月19日 (水)

デスのお肌

女性のお肌に造詣が深い鶴丸航空の荒俣(あらまた)落太氏によれば、スチュワー「デス」のお肌は職場環境のせいで一般に荒れ易いのだそうです。その理由は機内の空気の乾燥に原因があります。高度一万メートル以上を飛ぶと夏でも外気温がマイナス三十度以下にもなり、冬にシベリア上空を飛ぶとマイナス六十五度以下まで下がりジェット燃料の凍結が心配になります。

客室内部を快適な温度に保つためにはジェットエンジンで空気を断熱圧縮した際に生じる高温の空気を熱源に使用しますが、当然のことながら乾燥しています。それと冷気との混合で室温を摂氏二十度前後に温度調節するために、湿度が低くなります。機内の乾燥空気は「デス」のみずみずしいお肌から水分を奪うので、美容の大敵であるシワができ易くなります。

オゾンの問題もあります。オゾンとは酸素原子が三個結合してできた分子ですが、ジェット機が飛ぶ高空では人体に有害なオゾンが成層圏中には多く存在するので、それを呼吸したり地上よりも強い紫外線を浴びることは、健康や美容に影響があるだけではなく、皮膚ガンなどの危険も増加します。

睡眠不足もお肌の大敵だそうで、ニューヨークの J.F. ケネディー空港発成田行きや、ワシントン D. C. のダレス空港発成田行きともなると、冬場はジェット気流の強い向かい風を受けて飛ぶために 、14時間以上も掛かります。飛行中の「デス」は三交代で 3時間~4時間 の休養をとりますが、彼女達が機内のどこで寝るのかご存じですか?。機種により異なりますが、客室の最後部には クルー用の寝室があり、そこには二段ベッドが4組程度あります。別の機種では二階席の最後部の屋根裏部屋に同様なベッドが用意してあります。ちなみにパイロットの寝室は、操縦室の直ぐ後方の区画にあります。

男性客室乗務員がいる場合、彼らは女性と同じ花園(寝室)で寝るのかどうか聞き漏らしました。

Ohada 疲れていても慣れない環境ではなかなか寝付けないものですが、いずれにしても彼女達が化粧をしたまま寝るのか、あるいは化粧を落としてから寝るのかの判断が分かれるところです。

二十五才のお肌の曲がり角を迎えた「デス」、あるいは何度も迎えた子持ち孫持ち(?)の「デス」は、お肌を休ませる為に念入りに化粧を落としてから眠り、ピチピチお肌の新人「デス」はそのまま眠るといわれていますが、詳しいことは個人情報で秘密だそうです。写真はクリックで拡大。

お肌の大敵の睡眠不足には時差の問題もあります。成田を午前11時に出発し、12時間15分飛んでロンドンのヒースロー空港に現地時間(夏時間)で15時15分に到着したとします。「デス」の体内時計(日本時間)では夜の23時15分のため当然眠くなりますが、ここでぐっすり眠ると後でひどいことになるので、少しだけ寝るかまたは現地の時間に体内時計を無理に合わせるなど、時差の適応方法は人によってさまざまです。

初めてロンドンに来た人は観光で時間を潰し、二回目はショッピング、三回目以降はゴルフや水泳、散歩などの運動で時差を慣らします。しかしはっきり言えることは、日本に向けて出発する三日目の晩までに現地時間に体を慣らし、休養を十分に取っておく必要があります。なぜなら帰りは追い風で11時間と飛行時間は短くなるものの、徹夜のフライトになるのでお肌に良くないからです。 お肌こそ「デス」の命であり、「荒れたお肌」は美容の大敵ですが、旅先での便秘 についても忘れずにね!。

2006年7月16日 (日)

いろいろな乗客

乗客の中にはいろいろな国の人がいますが、食事で要注意なのはユダヤ教徒とイスラム教徒、それにインド人の菜食主義者です。ユダヤ教徒の場合は旧約聖書(ラビ記第7章26節、および第11章1節)に述べられている「食べてよい食物、いけない食物」がありますが、例えば食べてはいけないものは、豚、貝類、甲殻類(エビ・カニ)、鱗が無い魚(うなぎ)などです。

しかも食べても良い牛肉や鳥肉などでも、ユダヤ教の儀式にかなった方法で屠殺されたものでなければならないのだそうで、律法に適合した食物であることを示すコーシャ Kosher (清浄食品)の証明書を付けます。

インドの菜食主義にも厳格な派( Vegitarian Strict )とそうでない派があり、厳格な菜食主義者は卵も食べず、鰹節のダシの味付けもダメなのだそうです。勿論特別な機内食を必要とする乗客は座席予約の段階で申し出があるので、それに適した食事が機内食製造会社により用意されます。

Hishaku 豚肉を食べないイスラム教徒については世界的に知られていますが、荒俣氏によれば彼らは機内サービスの面でも要注意なのだそうです。その理由は尾籠な話で恐縮ですが、機内でのトイレの使用法にあります。イスラム教国の空港に初めて行った時のこと、トイレは便座に座る方式ではなく、しゃがむ方式でした。しかも水を入れたバケツがトイレに置いてあり、中にはヒシャク(手桶)がありました。(写真はクリックで拡大)

つまり行事が済んだ後は右手でバケツからヒシャク(手桶)で水を汲み、紙を使わずに「不浄の左手」で局所に水を掛けながら洗い落とし、後でその指をヒシャク(手桶)の水で洗うのです。機内のトイレでこの方法を実行したら、どうなると思いますか?。便座には靴の跡がクッキリと残り、トイレの床は水だらけになります。ウワサによれば彼らは水洗用(?)の空き缶を携帯して搭乗し、機内のトイレではそれに水を汲んで使うのだそうです。

ところで乗客の中でとかく評判が良くないのはインド人で、その理由はガメツイ人間が多く、機内で消費すべきものを、お土産(?)として機外へ持ち出そうとするからです。たとえば食事の際に提供される缶ビールやワインの小瓶を飲まずにお土産用にしまい込み、、別な「デス」に何度も缶ビールやワインの瓶を要求して「お土産」にするのです。それに気付いた「デス」は「お土産」防止の為に、缶ビールのフタを予め開けて渡したり、ワインの瓶のキャップを外したままでその乗客に渡すことにしています。

機内での退屈しのぎと称して「デス」にトランプ・カードを要求し、異なる「デス」から合計三組のトランプ・カードをお土産にせしめた者もいました。他国の人を悪く言いたくありませんが、「断られて、もともと」とか、恥知らずの「ズルサ」という点で、インド人にはガメツイ D N A を持つ人が多くいるようです。

2006年7月13日 (木)

ズルイ乗客

飛行機の乗客の中にもズルイ奴がいるのです。荒俣落太氏によればある時成田からニューヨーク行きの便で、離陸後にファースト・クラスの乗客の数が、乗客名簿の数と合わないとチーフパーサーから報告がありました。またやられた!、と荒俣氏は思いました。

ビジネス・クラスの搭乗券( Boarding Pass )や時にはエコノミーの搭乗券を持つ乗客が、出発間際に駆け込み搭乗をして、ファースト・クラスの空いている座席に座り、あたかもファースト・クラスの客の如くに成り済ますのだそうです。 機内名簿には座席番号と名前が書いてあるので、空席のはずの座席に座っている客がいれば一応分かりますが、出発間際の駆け込み搭乗者に関しては名簿の訂正が口頭連絡の場合や、連絡が来ないままでの出発もあり得るからです。

そこで荒俣氏はチーフ・パーサーにファースト・クラスの全乗客の搭乗券の確認を命じました。その結果ビジネス・クラスの搭乗券を持ちながら、ファースト・クラスの座席にいた50代の日本人乗客が発見され、座席から追い出されました。彼の態度から今回が初めてではなさそうなので、日本に帰国後にチーフ・パーサーはキャビンレポートを、機長は状況報告者を会社に提出した結果、彼の氏名、パスポート番号、犯行が、要注意人物として社内コンピュータのブラック・リストに載せられることになりました。今後は彼がどこの空港から搭乗しても、事前に「デス」に要注意人物の情報が流され、監視の目が注がれることになります。

Antore 自己の利益獲得のために不正な手段で相手をあざむく行為をチーティング( Cheating )といいますが、学生が試験の際にするカンニングも正しい英語ではチーティングです。

「デス」の隙を見てエコノミー・クラスからビジネス・クラスに座席を移動したり、食事の前になると上のクラスの座席に密かに移動して、美味しい食事にありつこうとする「ヤカラ」が、日本人にも外人にもいるものです。しかも食事以外にも映画上映の際や夜間は安眠の為に機内の照明を暗くするので、上のクラスのより快適な座席へと潜り込み易くなります。写真は成田、サンフランシスコ線で出した、ファースト・クラスのアントレ( Entree、主要料理)、クリックで拡大。

一方「デス」の方でもスパーの万引き取り締まり係員の如くに眼を光らせていれば、不審な態度や落ち着きの無さから、なんとなくチーティングしそうな者が事前に分かるのだそうです。そういう場合はどうするのか、チーフ・パーサーに聞いてみました。 すると座席名簿から名前が分かるので、飲み物などを配る際に「田中様は今回どちらへご旅行ですか?。」などとさりげなく、相手の名前を知っていることを示して、犯行を抑止するのだそうです。

米国系の航空会社の中には乗客の不正行為には厳しい対応をする会社があり、前述のような行為をした乗客をファースト・クラスの食事、飲み物を盗もうとした窃盗未遂事件として、到着地の空港警察に事前通報し、警察に逮捕される場合があるのだそうです。その理由は一部の旅行者の間で、どの航空会社がごまかし易いとか、どこが厳しいなどの情報がインターネット上に出回っていて、趣味と実益を兼ねてマネをする者が出るのを防ぐ為だそうです。

2006年7月10日 (月)

スチュワーデス予備校

Desug 航空会社のスチュワーデスになりたいという若い女性をターゲッとにして、 日本の主要都市には、いわゆる「スチュワーデス学校/学院」なるものが数多くあります。その経営者や講師には元「デス」の起業家がなる場合が多く、教える内容としては「デス」の心構え、航空知識、歩き方、作法、化粧の仕方、話し方、などなどです。

鶴丸航空の元機長の荒俣(あらまた)落太氏によれば、航空会社の「デス」採用担当者はこれまで何千人もの応募者の面接をしているので人物の鑑定眼に優れ、顔を見ただけで九割方、合格、不合格が分かるのだそうです。採用担当者によれば、「デス」の予備校に行っても行かなくても、あまり関係がないとのことでした。他人の商売をことさら批評するつもりはありませんが、授業料もなかなか高く、一コース当たり安くて三十万円から高いところでは六十万円もするのです。

それだけでなく航空会社が行う面接試験の数ヶ月前になると、「特訓コース」と称して三十万円近くの料金を払えば、面接に必要な知識、テクニックを授けると共に、面接の練習を何度もするのだそうです。

また最近では応募書類に添付する写真を専門に撮るビジネスもあるそうで、如何に清楚に美しく撮る(写真の修正をする?)かによって、値段も2万円から10万円までランクがあるのだそうです。更に「デス」の受験に備えて、より美しく(?)理知的に(?)見せるため、親からもらった顔を「デス」用に美容整形で改造する女性もいると聞いております。道理で美容整形医師が娘を誘拐され、三億円を要求されるほど儲かるワケです。

これまで公表されたことはありませんでしたが、平成11年に男女雇用機会均等法が施行する以前は、社員の採用には指定校制度というのがあり、東大を頂点とする国公立大、早慶以下の私立大の中から一定レベル以上の大学を指定校にして、それ以外の大学の出身者からは願書を受け付けないとする大企業もありました。その一方で航空会社の応募には、「コネ」があって当たり前と昔から言われてきました。

かつて鶴丸航空には俗に P T Aといわれた国会議員が四十人もいましたが、彼らの子弟子女を社員として多数採用した結果でした。P T A は鶴丸航空の為に、陰になり日なたになり何かと便宜を図ってきましたが、航空会社が儲ける為に必要なことは、利益が上がる「美味しい路線」を獲得することです。 その基本政策を決めるのが国交省(旧運輸省)のお膳立てで、国会で開かれる運輸政策審議会であり、そこに審議委員として出席するのが国会議員の「センセィ」でした。

その「センセィ」に何かと便宜を図っておけば、見返りがあることは当然でした。「デス」の採用についても同じことがいえます。前述の鶴丸航空の荒俣氏によれば「センセィ」達だけでなく、マスコミ関係者、大手旅行会社、メインバンク、空港周辺の自治体などのトップから、娘や親類の娘を「デス」に採用するように、航空会社にお願い(要求)が来るのだそうです。

荒俣氏によれば男性社員とは異なり、頭が悪くて顔も悪い娘(こ)を「デス」に採用しても、会社の将来を担うわけでは決してないので、会社にとってどの程度の利益があるのかで、「コネ」の採用を決めるのだそうです。そういえば機内で時には、「デス」の採用担当者の審美眼を疑うような「デス」を眼にすることがありますが、余程強力な「コネ」の持ち主に違いありません。 しかもそういう「デス」に限って当然のことながら、なかなか結婚せず、従って退職もしないのだそうです。

参考までに2006年度大学就職人気企業ランキングでは、文系女子の場合、1位は J T B 、2位 A N A 、3位資生堂、4位 J A L、5位サントリーの順でした。

2006年7月 6日 (木)

男性客室乗務員

航空会社は水商売と以前述べましたが、景気の良し悪しにより「デス」の採用数も大きく影響を受けます。縄文航空でも不況の最中の平成14年、平成15年の二年間は、「デス」の採用を中止しました。しかし翌年の平成16年になると、250名の「デス」を採用しましたが、17年には新卒250名に加えて既卒枠で330名の大量募集をしました。

更に平成18年入社分には、450名の「デス」を大量採用をしましたが、その理由は景気回復が進む中で航空業界にも追い風が吹き始め、平成21年(2009年)には現在工事中の羽田空港に4本目の滑走路ができるために、大幅な増便が期待できるからです。

退職してから金野氏は年に五~六回は所用で大阪と東京を飛行機で往復していますが、ある時縄文航空に乗ったところ、男性の客室乗務員がいるのに気が付きました。平成11年(1999年)から男女雇用機会均等法が施行されたために、スチュワーデスやスチュワードの呼称が廃止されて、客室乗務員( C A 、キャビン・アテンダント)になり、女性だけを採用することができなくなり、少数ですが背が高くて「イケメン」の男性の客室乗務員も採用したからでした。

しかしいわゆるスチュワードを昭和28年から採用してきた、鶴丸航空の社内事情をよく知る荒俣(あらまた)落太氏によれば、男性客室乗務員は気の毒なことに「男子一生の仕事」ではなく、将来性の面でお先真っ暗なのだそうです。

Rufuto 「デス」と同様に一年毎の契約社員として安い給料(約20万円)で働き、三年後には正社員になり、アシスタント・パーサー、パーサー、チーフ・パーサと職場での階級を登って行ったとしても、結局のところ酷な表現をすれば機内で四十面(づら)を下げてファースト・クラスのお客に、ワインを注ぐ仕事しか無いわけです。(クリックで写真が拡大)

機内サービス担当者としての年齢を過ぎた四十代後半から、五十代の男性客室乗務員を、仮に国際旅客部に配置させようとしても、接客能力以外に営業関係の管理職に求められる知識、経験が無いため役に立たず、使い道が無いために結局は子会社に出向させられて退職まで不遇を嘆く状態です。縄文航空としても三十才以前の若い内に、彼らの職種を客室乗務員から営業職、事務職に変更して鍛え直した方が、本人の将来の為にも会社の為にも良いのではないかと思います。

ついでに言いますと外国に行った場合に、訪れたレストランが一流かどうかを簡単に見分ける方法がありますが、ご存じですか?。それはウエイトレスがいるかどうかです。もしウエイターではなく店にウエイトレスがいれば、そのレストランは格が低く決して一流ではない証拠です。かつて日本では洋服の仕立屋や、着物の仕立屋は女性ではなく、男性のする仕事でした。長年の技術の習得と、経験が必要だったからでした。

外国ではウエイターもそのような職業と考えられていて、ご存じのように彼らには店の固定給が無く、顧客が支払う食事代の最低でも15%のチップ、都会の一流店では20%~25%のチップを唯一の収入源としています。聞くところによれば米国の一流レストランともなると、ウエイターは月に1万5千ドル(165万円)~2万ドル(220万円)の収入があるといわれ、店によってはウエイターが店の良い位置にある座席を店のオーナーから賃借していて、自分の顧客に提供するシステムもあるそうです。更に一流レストランのウエイターのポストが、彼にとっては退職金代わりの高い値段で取引されるのだそうです。

国賓を迎えて皇居で行われる晩餐会のテレビ放映を次回からよく観察して、そこでサービスに当たるのはウエイターだけであり、ウエイトレスなど絶対にいないことを確かめてみて下さい。

2006年7月 4日 (火)

「デス」の花道

かつて縄文航空の「デス」の制服は、その当時に良く用いられた濃紺のサージの生地で、タイト・スカートに上着もウエストをぴったり絞った形でした。それに靴もハイヒールを履きましたが、機内の入り口で乗客の搭乗をお出迎えした後は、動き易さと揺れに対応しやすいように、すぐに「ロウ・ヒール」の機内靴に履き替えて仕事をしていました。つまり「デス」が持つ鞄の中には、常に機内用の靴が入っていました。しかしデスの服装が変化するにつれて、靴も「かかと」が細いハイヒールは次第にすたれ、「かかと」の太い歩き易い靴に変わりました。

最近の「デス」といえばキャリー・バッグを引いて歩くのが定番のスタイルですが、せいぜい20年くらい前からで、それ以前の「デス」は鞄を手に持って空港内の長い距離を移動しました。さらにターミナルの搭乗ゲートと飛行機を結ぶボーディング・ブリッジ( Boarding bridge )が設備される以前は、雨天の際には地上のゲートから乗客は傘を差して機体のまで歩き、タラップを登ったものでした。

「デス」の制帽が無くなったのは十年以上前からでしたが、縄文航空では「デス」からの要望により帽子を廃止したことで会社は経費節減で喜び、「デス」は機内で帽子の着脱時に髪の乱れを気にせずに済むのでハッピーでした。しかし下の写真を見ると世界の航空界には、帽子を被る「デス」は未だ三分の一程度はいます。

Sutaa 今回成田空港の第一ターミナル改修工事終了に伴い、スター・アライアンス(航空連合の一種)に加盟した十八の航空会社(ユナイテッド、エアーカナダ、ルフト、S A S、シンガポール、全日空など)のチェックイン・カウンターを、第一ターミナルに統合して乗客の利便性を高めましたが、その記念式典に参加のため、成田に集まった加盟各社の「デス」達です。(写真はクリックで拡大)

なんといっても「デス」の花道は国内線、国際線共に空港ロビー内を移動する途中です。出発を待つ若い女性客の羨望の眼差しと、若い男性の好奇心に満ちた視線を一身に受けながら、あまり高くない鼻を高く見せようと少し上を向き、豊かとはいえない胸を張って颯爽と搭乗ゲートに/から移動する道中です。この花道を歩く時が「デス」にとって至福の時であり、多くの人に「見られる快感」があるからこそ、「デス」を辞められないのだ、ともいわれています。

ところで若い頃から女性にもてた経験が一度も無い金野氏によれば、人から見られる「快感」など、七十三才の老爺になるまで無縁だったそうです。それどころか退職間近になると、老眼鏡を掛け白髪もかなり多そうだが、この爺さんに操縦を任せて、悪天候時の着陸は大丈夫なのかいな?。とか、国際線の場合には長い道中で爺さんパイロットが、脳卒中や心臓麻痺でも起こして「コロッット」 逝きはしないか?。などと疑問や不安の入り混じった目で見る乗客も、いたやに聞いておりますが---。

医者と僧侶は年を取りたるが良し
という昔の人の言葉がありましたが、仕事に対する経験の重要性を述べたものでした。当てにならない空港の六時間先、十二時間先、二十四時間先の天気予報や、一日二回の高層天気図に描かれたジェット気流の位置、晴天乱気流の危険空域などを、参考にはするが決して信用せず、絶えず変化する自然を相手に大空を安全に飛ぶ為には、機長の長年の経験に基づく判断が、大きくものを言うことは間違いありません。

2006年7月 1日 (土)

デスの社会的地位

ある日老妻が新聞のテレビ欄を見ながら、「またアテンション・プリーズのテレビ番組をやっているわよ」と知らせました。かつて日本の女子バレーボール・チームがオリンピックで金メダルを取った頃は、いわゆる苦しい訓練やシゴキに耐えるバレーボールの「女子選手」物やスチュワー「デス」物の番組がありましたが、テレビ界には「柳の下にドジョウが、四匹も五匹もいる」ようです。

縄文航空の金野内蔵氏や鶴丸航空の荒俣落太氏と三人で雑談の際に、意見が必ず一致することがあります。それはこう言っては失礼ですが、スチュワー「デス」の仕事の80パーセントは、機内での「メシ運び」や「飲み物運び」に過ぎないのに、なぜ日本では彼女達のプライドが高く、ちやほやする男がいるのか、についてです。

ちなみに欧米先進国では「デス」の社会的地位は低く、高等教育を受けた女性のする仕事では無いとみなされています。つまり外国では例外を除き、「デス」は高卒女性の職業なのです。私の知る限り例外は K L M オランダ航空で、応募には短大卒(大学二年終了以上)の学歴が必要でした。

Seifuku 敗戦後の日本は貧しくて輸出産業も振るわずに外貨保有高が少なく、その為に昭和39年(1964年)までは、庶民は自由に海外旅行に行けませんでした。女性にとって海外に行く唯一の方法は「デス」になることで、応募には短大卒ではなく四大卒業の資格が必要でした。写真はクリックで拡大。

今でも後進国に行けば行くほど、「デス」の社会的地位が高くなるという現象に気付きます。

つまりオランダという国も、アムステルダムにあるスキポール空港がいくら立派でも、先進国ではないのです。

日本もその後は先進国の仲間入りを果たし、航空自由化に伴い航空界も発展し「デス」の需要が増大したために、昭和40年代には応募資格を四大卒から短大卒へ、そして前述した募集要項から「容姿端麗、英語堪能」が無くなり、一時期には高卒も応募可能と学歴をダウン・グレード( Down grade )させました。

ところで外国語について一言述べますと、日本人は英語が話せる、あるいはブランス語が読めるのを「教養」と捉え勝ちですが、外国ではそうではなく職業技術、ないしは生活技術とみなしています。返還後もホンコン政庁に事務職員として勤めるには英語の読み書きが必要ですし、ホテルのボーイになるには中文学校(中国語で授業する学校)卒では就職できません。

スイスのチューリッヒ空港で日本語を上手に話すスイス人がいたので、どこで習ったのか尋ねたところ、日本人が教える日本語学校に通ったのだそうです。日本語の会話能力を身に付けたことにより、良い条件で就職できたとのことでした。(続く)

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