「デス」の花道
かつて縄文航空の「デス」の制服は、その当時に良く用いられた濃紺のサージの生地で、タイト・スカートに上着もウエストをぴったり絞った形でした。それに靴もハイヒールを履きましたが、機内の入り口で乗客の搭乗をお出迎えした後は、動き易さと揺れに対応しやすいように、すぐに「ロウ・ヒール」の機内靴に履き替えて仕事をしていました。つまり「デス」が持つ鞄の中には、常に機内用の靴が入っていました。しかしデスの服装が変化するにつれて、靴も「かかと」が細いハイヒールは次第にすたれ、「かかと」の太い歩き易い靴に変わりました。
最近の「デス」といえばキャリー・バッグを引いて歩くのが定番のスタイルですが、せいぜい20年くらい前からで、それ以前の「デス」は鞄を手に持って空港内の長い距離を移動しました。さらにターミナルの搭乗ゲートと飛行機を結ぶボーディング・ブリッジ( Boarding bridge )が設備される以前は、雨天の際には地上のゲートから乗客は傘を差して機体のまで歩き、タラップを登ったものでした。
「デス」の制帽が無くなったのは十年以上前からでしたが、縄文航空では「デス」からの要望により帽子を廃止したことで会社は経費節減で喜び、「デス」は機内で帽子の着脱時に髪の乱れを気にせずに済むのでハッピーでした。しかし下の写真を見ると世界の航空界には、帽子を被る「デス」は未だ三分の一程度はいます。
今回成田空港の第一ターミナル改修工事終了に伴い、スター・アライアンス(航空連合の一種)に加盟した十八の航空会社(ユナイテッド、エアーカナダ、ルフト、S A S、シンガポール、全日空など)のチェックイン・カウンターを、第一ターミナルに統合して乗客の利便性を高めましたが、その記念式典に参加のため、成田に集まった加盟各社の「デス」達です。(写真はクリックで拡大)
なんといっても「デス」の花道は国内線、国際線共に空港ロビー内を移動する途中です。出発を待つ若い女性客の羨望の眼差しと、若い男性の好奇心に満ちた視線を一身に受けながら、あまり高くない鼻を高く見せようと少し上を向き、豊かとはいえない胸を張って颯爽と搭乗ゲートに/から移動する道中です。この花道を歩く時が「デス」にとって至福の時であり、多くの人に「見られる快感」があるからこそ、「デス」を辞められないのだ、ともいわれています。
ところで若い頃から女性にもてた経験が一度も無い金野氏によれば、人から見られる「快感」など、七十三才の老爺になるまで無縁だったそうです。それどころか退職間近になると、老眼鏡を掛け白髪もかなり多そうだが、この爺さんに操縦を任せて、悪天候時の着陸は大丈夫なのかいな?。とか、国際線の場合には長い道中で爺さんパイロットが、脳卒中や心臓麻痺でも起こして「コロッット」 逝きはしないか?。などと疑問や不安の入り混じった目で見る乗客も、いたやに聞いておりますが---。
医者と僧侶は年を取りたるが良し、
という昔の人の言葉がありましたが、仕事に対する経験の重要性を述べたものでした。当てにならない空港の六時間先、十二時間先、二十四時間先の天気予報や、一日二回の高層天気図に描かれたジェット気流の位置、晴天乱気流の危険空域などを、参考にはするが決して信用せず、絶えず変化する自然を相手に大空を安全に飛ぶ為には、機長の長年の経験に基づく判断が、大きくものを言うことは間違いありません。
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