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2006年8月31日 (木)

飛行機のトイレ

Ystoire 国産旅客機の YS-11や、オランダ製の F-27 ( フレンドシップ )などのプロペラ機のトイレは、水洗トイレではなく、端的に言えばバケツに貯める方式でした。この方式の最大の欠点は飛行機がひどく揺れると、バケツの中の汚水がトイレの床に溢れ出ることでした。もっともそういう事態は、数年に一度有るか無しかでしたが----。写真はクリックで拡大。

ジェット旅客機のトイレについて説明しますと、大きく分ければ循環式とバキューム式があります。循環式トイレは B-747-200型機などの、旧式のジャンボ・ジェットなどに使用されているもので、トイレの下に汚水タンクがあり、水洗レバーで流す度に薬品を入れて青くなったタンクの汚水を、循環させて洗い流す仕組みです。長時間飛ぶと汚水の腐敗分解が進み、臭いが強くなるので、「デス」が青色の防臭剤を更に便器に追加投入します。循環式トイレの欠点は非常識な乗客が、トイレに汚れた下着、おしめなどの異物を流すと、ポンプが詰まり使用できなくなることです。

これに対して 、B-767 や B-777、B-747-400型 のジャンボ・ジェットなどの新型機では、バキューム式、トイレの構造となっていて、汚水タンクはトイレの下ではなく、機体の最後部下方などにあります。このタイプではトイレでフラッシング( Flushing )する(流すボタンを押す)と、「プシュー」という圧縮空気音がするのが特徴です。今度飛行機に乗ったら、トイレに入って試してみてください。汚物は少量の水と一緒に、床下にある汚水パイプを通って後部の汚水タンクに吸引されて、そこに貯蔵されます。原理的には家庭にある掃除機でゴミを吸い取るのと同じですが、その際の吸引力を得るには客室内部の高い気圧と、機外の低い大気圧との圧力差を利用します。したがって循環式トイレのように、臭いがすることは原理的にありません。

詳しく説明しますと旅客機が 一万メートル以上の高空を飛行していても、乗客が酸素不足による高山病などにならないように、客室内の空気を加圧していますが、その圧力は高度にすれば 八千フィート( 2,400 メートル) の高度と同じで、気圧の値では 0.8 気圧程度に常時保たれています。それと機外の低い大気圧との差を、吸引力に利用しています。飛行機が地上にある時や低高度を飛んでいるときは、気圧の差を利用できないので、バキューム・ブロアという一種の掃除機で、少量の水と共に汚物をタンクに吸い込みます。

Toirefurasshu1 ところで航空界には、こういう伝説があります。大西洋横断の旅客機に搭乗した超肥満体の女性が、機内のトイレで用を足し、そのままの姿勢で前述のフラッシュ・ボタン( 写真の黄色のボタン )を押したところ、飛行機内外の気圧差によって巨大なヒップが便器内に吸引されてしまい、便座から抜け出せなくなりました。「デス」を呼んだものの抜け出せず、結局そのままの姿勢で飛び続けた末に、着陸後に三名の整備士によって、ようやく吸引から解放されましたとさ---。

高い高度を飛行中に、客室に掛かる与圧を 8.6 P S I  ( Pound per Square Inch、つまり1平方 インチ当たり8.6 ポンド )と仮定します。これを キログラム/平方センチ の値に換算すると、1平方センチ当たり 0.6 キログラムの圧力が作用することになります。超肥満体の女性が座る便座の大きさを、 30センチ X 20 センチと仮定すれば、巨大ヒップ全体に掛かる吸引力は、計算上で  360 キログラム になります。

Fatwoman ところでトイレ・パイプの吸引力が作用するのは、フラッシュした後のせいぜい 五秒前後なので、便座と巨大ヒップとの間がそれほど長時間、188 キログラムの吸引力( 換言すれば真空状態 )を維持できるかどうか疑問になります。この伝説から教訓を得るとすれば、「身軽になる行事」を終えた後は、身づくろいを済ませてから、フラッシュ・ボタンを押すことです。写真はクリックで拡大。

2006年8月28日 (月)

航空運賃

私が初めて飛行機に乗ったのは昭和32年(1957年)1月のことでした。海上自衛隊の幹部候補生学校を前年の12月に仮卒業し、一ヶ月後にアメリカ海軍飛行学校に留学のため、生まれて初めて鶴丸航空のプロペラ機、 D C-6Bに乗り、羽田からサンフランシスコに向かいました。

その当時の往復の航空運賃は日本円で15万円でしたが、当時の大卒サラリーマンの初任給が1万円前後でしたので、15ヶ月分に相当しました。現在の大卒サラリーマンの初任給を20万円とすれば、往復運賃は実に300万円ということになり、高速大量輸送時代以前の航空運賃が、如何に高額だったかが分かります。

ちなみに昭和35年頃から新婚旅行に飛行機がようやく使われ始めましたが、東京--大阪間の運賃は1万円であり、前述のサラリーマンの1ヶ月分の給料と同じでした。今ならさしずめ20万円に相当します。昭和30年代に祇園で芸妓をしたことがある女性石井某が、銀座に「おそめ」というクラブを開店し、毎週飛行機で大阪--羽田を往復したので、「空飛ぶマダム」とマスコミに騒がれたことがありました。しかし「ジョニ黒(ジョニーウォーカー・ブラック)」などの高級(?)洋酒(当時は1本1万円)の瓶の底に穴を開け、国産の安いウイスキーを詰め替えて客に出すという、芸者上がりの「えげつない」商法がバレてしまい没落し、飛行機に乗る身分ではなくなりました。

Dc6b 当時のプロペラ機では航続距離が短いために、日本からハワイ( ホノルル )に直行できずに、パンナム航空が開設した太平洋上の孤島、ウエーキ島( Wake island 、北緯19度17.4分、東経166度31.7分 )に立ち寄り、燃料補給をしてからハワイに向かいました。記憶がさだかではありませんがその当時は、乗客定員は60名前後で、ハワイまでは里帰りの日系人が多いのでスチュワーデスが4名、男性のパーサーが1名乗務し、日系人がハワイで降機してしまうとハワイ、サンフランシスコ間は乗客が少なく、スチュワーデス2名 とパーサー1名の乗務でした。写真はクリックで拡大。

しかも所要時間は羽田--ウエーキ島間が7時間半、ウエーキ島--ホノルル間、8時間、ホノルル--サンフランシスコ、9時間の合計で24時間半プラス燃料補給の停留時間が掛かりました。今では考えられませんが飛行中に「どうぞ操縦室に見学に来てください」、などと機長が機内アナウンスをしていました。操縦室にはパイロット、航空機関士、航空士の合計四名がいましたが、航空士以外は全てノースウエスト航空からのアメリカ人でした。甲種二等航海士の海技免状を持つ私の同級生二名が、後に鶴丸航空で一等航空士の航空免状を取り、国際線に乗務する航空士になりましたが、慣性航法装置( I N S )を装備したジャンボ・ジェットの導入により、航空士は不要になったので航空機関士に転職しました。

その当時は乗客に機長の署名入りの、日付変更線通過証明書なるものを発行してサービスに当たっていましたが、中古の飛行機を購入したために故障が多く、ハワイの日系人からは日航ではなくて欠航だと不評でした。

Wake1 その後飛行機はD C-6Bから D C-7型機になりましたが、ハワイ--東京間は向かい風が強いと、やはり直行できずにウエーキ島に燃料補給のため着陸していました。島には戦争の傷あとが残っていて、海岸には米軍機の攻撃に遭い、船を沈没から救う為に故意に海岸に乗り上げた日本の貨物船がありました。

2006年8月24日 (木)

私の手荷物

Baggageclaimtable 以前の ブログ で海外旅行の際に、私は手荷物が行方不明になったことがあると書きましたが、1977 年 ( 昭和 52 年 ) のことでした。

ワイド ボディ  ジェット (  Wide body jet , 室内に 通路が 二本ある 広胴機 ) の飛行訓練を受ける為に、ロサンゼルス 空港から北米大陸のど真ん中にある、カンサス 州 カンサス 市にある M C I  ( Mid Continent    I nternational ) 空港まで、その後倒産 して消滅 した T W A  ( トランス ・ ワールド航空   )の飛行に乗り移動 しま した。

ところが到着の際にいくら待っても、回転 テー ブルに手荷物が出てきませんで した。写真は クリック で拡大。

ちなみに カンサス ( Kansas ) とは米語の発音によれば 「 キャンザス 」 であり、キャンザス 州にある キャンザス ・ シティ ( 市 ) と、隣接する ミズーリ 州にある キャンザス ・ シティ ( 市 )  ミズーリ  とに分かれています。これを日本に例えれば、横浜市を半分に分けて、神奈川県 横浜市 と 東京都 横浜市 にするようなもので した。 

市の真ん中に州の境界道路 ( State Road ) があり、その西側が キャンザス 州、東側が ミズーリ 州で した。

チェックイン の際に カウンター で預けた荷物が行方不明になった場合に、まずすることは 手荷物紛失届の書類に必要事項を英語で記入 して、航空会社に提出することです。手荷物 タグ の番号、手荷物の形状、ハード か ソフト ・ ケース か、色、ブランド 名 ( サムソナイト など )、連絡先住所、などです。

後日米国人から聞いた話によれば、手荷物が行方不明になると彼らは 福の神が舞い込んだ とばかりに、高価な背広など必要な品物を直ぐに買いに走り、後で航空会社に代金を請求するのだそうです。

その場合に補償金は いくら貰えるのでしょうか ?。国際線の場合 ワルシャワ 議定書により手荷物の重量 1 キログラム 当たり 20 ドル ( 2,200円 ) と、国際的に決められています。 そして エコノミー ・ クラス の荷物の重量制限は 20 キロ であり、ビジネス・ クラスは 30 キロ、ファースト ・ クラス は 40 キロ までなので、補償金額の上限はそれぞれ 4 万 4 千円と 6 万 6 千円、ファースト ・ クラス では 8 万 8 千円になります。

機内に持ち込む手荷物 ( Carry on Baggage ) については、補償額の上限が 一人当たり 400 ドル ( 4 万 4 千円 ) になります。もっとも チックイン の際に荷物に高価な品物があることを申告し、申告価格 100 ドル につき 2 ドル の保険料を支払えば、最高 5 千 ドル  ( 55 万円 ) まで補償されます。

しかし ワルシャワ 議定書の金額ではあまりにも安過ぎるというので、その後に ハーグ 議定書、モントリオール 議定書ができま したが、米国を初め多くの航空会社については手荷物の補償額の上限が、一人当たり最高 1000 ドル ( 110 万円 ) に引き上げられま した。

Lost_bagoffice ところで キャンザス の M C I  空港 ロビー 内にある航空会社の手荷物紛失事務所 ( Lost and Found Office ) に行くと、荷物の トラブル に巻き込まれた旅行者たちが、列を作って クレイム 処理の順番待ちを していま した。

ある統計によると米国では手荷物 二百 ~ 二百五十 個のうち 一個が行方不明、誤配、中身を盗む為の破損、などの トラブル に見舞われるそうです。写真は クリック で拡大。

航空会社が調べた結果、私の手荷物は ロサンゼルス 空港の荷物係員が積み忘れ、手荷物置き場にあることが判明 したので、次の便に搭載 して、後で受け取ることができま した。

参考までに トラブル があった手荷物を引き取る際には、正当な持ち主であることを証明する為に、搭乗券の 半券、手荷物の タグ の片券、それに身分証明書を要求されま した。

2006年8月21日 (月)

手荷物捜索クルー

十日間家に遊びに来ていた小学生の二人の孫と、五日間いた娘と別の孫が、昨日ようやく帰ったので、我が家の「夏の狂乱」も終わり、やっと老夫婦だけの平穏な生活に戻りました。

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お盆休みの最中に英国では航空機爆破テロ計画の容疑者二十四人が、事前に逮捕されるという驚くべき事件が起こりましたが、2001年9・11に米国で起きた W T C (世界貿易センター・ビル)を初めとする、旅客機連続自爆テロ事件直後のニューヨークのケネディー空港の厳戒振りは、後輩パイロット達の語り草でした。

靴を脱がされ、ズボンのベルトやネクタイ・ピンも外して金属探知機を通過しようとした日本人の多くは、それでも探知機のブザーが鳴りましたが、感度を最高に高めた探知機のせいで、金歯に反応したのだそうです。別の話ではウソか本当か、パスポートの表紙に印刷してある金色の菊の紋章に反応したという話もありました。

さらに身体検査の際にもたもたしていると、先に X 線検査を終えた貴重品が入った機内持ち込み荷物を、検査テーブルから持ち去られるという事件が多発しましたが、検査係官が荷物の正当な持ち主が誰か、分からない点に付け込んだ「置き引き」犯人たちの仕業でした。平成元禄の太平の世に慣れた日本人は、外国旅行の際は、油断も隙も禁物です。

8月15日付のイギリスの夕刊紙イブニング・スタンダードによると、英国の旅客機爆破テロ計画の影響で、ロンドンのヒースロー空港でチェックインした手荷物二万個が、所在不明になっていると伝えました。同紙によると所有者の名前や住所を記したラベルを適切に貼らなかったことが原因なのだそうです。

ところで縄文航空では前述したロンドンのヒースロー空港で多発する、手荷物の紛失事故に対処するために、同空港の荷物取り扱いに詳しい英国人のバゲッジ・クルー( Baggage Crew 、手荷物捜索係)を四名雇い入れて、行方不明になった手荷物の捜索発見、追跡調査に当たらせています。バゲッジ・クルーはヒースロー空港だけにいて、それ以外の空港にはいません。

出発空港のカウンターで預けた手荷物は自動的にコンピュータ処理されていて、世界中の空港と専用回線で結ばれたコンピュータのバゲッジ・トレーサー(手荷物追跡装置、Baggage Tracer )に手荷物のタグの番号を入力すれば、手荷物の経路、現在の場所が直ぐに分かる仕組みになっています。

Baggage_crew しかし問題はその手荷物に付けられたタグ(荷札)が途中で脱落した場合や、空港のコンテナ置き場の片隅で、コンテナーに積んだまま、飛行機への搭載やコンテナからの取り下ろしを忘れられた場合が多いのです。英国人の労働習慣から勤務時間が過ぎると、仕事上の引継もせずにさっさと帰宅してしまうなどの国民性にも原因があります。そこでバゲッジ・クルーは行方不明になった手荷物をコンピュ-タで捜索するだけでなく、広いヒースロー空港の手荷物置き場やコンテナ置き場などを探し廻り、処理を忘れられ、放置されたコンテナや手荷物の発見に努めるのです。写真はクリックで拡大。

ちなみに持ち主が不明の手荷物( Lost Baggage )や、持ち主が空港に引き取りに来ない「忘れ去られた手荷物」( Forgotten Baggage )はどうなるかご存じですか?。一定期間預かった後に中身もろとも売りに出され、航空会社の収入になります。電車の車内に置き忘れられた傘などの品物が、後で売られるのと同じ扱いです。

2006年8月 9日 (水)

手荷物の紛失事故

Baggage 手荷物の紛失事故については国内の旅行ではあまり気になりませんが、海外旅行の際には出発時に預けた手荷物(旅行カバン、スーツケース)が、目的地空港の回転式テーブルやベルト・コンベアに無事に出てくるまで、心配になるものです。その昔ロンドン・ヒースロー空港は、手荷物の破損、中味の盗難事故が多発したので、世界的に悪名が高い空港でした。その原因とは長い間空港に巣喰っていた、空港貨物従業員をメンバーとする犯罪組織集団(マフィア)の存在でした。

監視の届きにくい手荷物の仕分け場所や飛行機の貨物室の中で、従業員達がバールでトランクのカギを壊しては、貴重品を盗んでいたのでした。手荷物の中に貴重品を入れる傾向があった日本人は、スーツケースに布製のベルトを巻く独特の風習や、名札の名前から特に狙われて被害に遭いました。

Cont 航空会社がガードマンを雇い入れて手荷物の監視を強化すると、次には手荷物を入れたコンテナを飛行機に積み込み/下ろしするハイリフト・ローダー( High Lift Loader )やコンテナー運搬車( Container Pallet、Dolly )を空港内の駐機場に向かう途中でわざとパンクさせ、飛行機の出発を遅らせたり、荷物のトランクやスーツケースのカギ穴にクギを打ち込んで、旅客を困らせる嫌がらせなどをしました。写真はクリックで拡大。

各国の航空会社の強いクレームにより空港警察やロンドン警視庁もようやく捜査に乗りだし、犯行に加わっていた50人以上の従業員が逮捕され、窃盗組織は壊滅しました。しかし荷物の盗難事故はロンドン・ヒースロー空港に限らず、ローマのフミチノ空港、パリのシャルル・ドゴール空港など、日本以外のどこの空港にも手荷物を狙う従業員の盗人が必ずいるので、盗難事故は起こります。

昨日の新聞によれば(米国の)航空会社ではテロに対する保安上の理由から、最近手荷物に鍵を掛けないように乗客に指示するようになった為に、グアム空港では航空会社に預けた手荷物の中が荒らされて、貴重品が盗まれる事件が多発していると報じられましたが、ドロボーにとっては願ったり叶ったりの事態です。

盗難とは別に手荷物の紛失事故(ロスト・バゲッジ、Lost Baggage)がありますが、ヒースロー空港は今でもこの分野で悪名が高いのです。その理由としては年間6,500万人の乗客が出入りし、90の航空会社の飛行機が世界中の200の目的地に向けて/から出入りし、毎日1,250便が離発着し、年間に7,500万個の手荷物を取り扱うからと弁解しています。しかし実際は自分の勤務時間が終わると、仕事の途中でもすぐに止め、 次の勤務者へ仕事の引き継ぎもせずにさつさと帰宅する無責任な、換言すれば「カネにならない」サービス残業は1分たりともしない、イギリス人の労働慣行にあるといわれています。

ヒースロー空港は、手荷物(Checked Baggage)がなんと毎日1千個も行方不明になり、天候不良でフライト・スケジュールが混乱すると、更に数が増えるのだそうです。そのためロンドン・ヒースロー行きの飛行機に乗る際には、貴重品はもちろんのこと旅慣れた人は数日間の生活に必要な化粧道具、下着類などを、機内に持ち込む場合が多いと言われています。ところであなたは手荷物の事故に遭ったことがありますか?。私は一度だけありました。

ブログのお盆休みのお知らせ

目的地空港まで「デス」や地上係員が責任を持って子供を送り届けてくれる、「お子様一人旅」の制度が縄文航空にありますが、それを利用して明日(10日)から横浜にいる小学生の孫二人が、胸に荷札を着けてもらい飛行機に乗って遊びに来ます。孫の相手や旅行などで忙しいため、ブログもお盆休みに入ります。再開は孫が帰る20日過ぎの予定です。

2006年8月 6日 (日)

外資系のデス

スチュワー「デス」になるには日本の航空会社だけでなく、日本に乗り入れている数多くの外国航空会社も、日本人乗客に対する集客性、利便性を考慮して日本人を採用していますが、雇用形態などは日本の会社とはかなり異なります。そこで外資系「デス」の特徴を箇条書きにしてみます。

1:定期的な採用をせずに、「デス」に欠員が生じた場合など必要に応じて、ジャパン・タイムズなどの英字新聞の広告欄に募集広告を載せて公募します。

2:一般に採用人数が少なく、訓練に時間と手間が掛かる新卒者よりも、即戦力となる「デス」の経験者を採用する場合が多いようです。もちろん英語でグループ・デスカッションができる程度の、語学力が必要です。

3:「デス」の雇用は全て契約社員であり、3年~5年の契約期間終了と共に解雇される場合が多く、日本の航空会社のように、三年後に正社員に採用される道は全くありません。ちなみに縄文航空では「デス」の契約社員の内から、その間の退職者を含めて、3年後の正社員への雇用率は約50パーセントであり、鶴丸航空の場合は過去6年間に2916人を契約社員の「デス」に採用しましたが、三年後には1580人、率にして54パーセントが正社員になりました。

4:外国航空会社は日本の会社に比べて「ドライ」というか、従業員を簡単に解雇する傾向があることで、乗客の搭乗率悪化を理由に日本への運航が突然打ち切られ、日本人「デス」が全員解雇された例がありました。

Attendant3 5:外資系「デス」の中には外国航空会社から次の外国航空会社へと、より良い条件を求めて渡り歩く、いわゆるジョブ・ホッピング( Job Hopping )をする「デス」もかなりいますが、それができるのもせいぜい三十代までで、それを過ぎると「デス」としての就職口も無くなります。その後は海外旅行社の添乗員などで生活する人がいます。(写真はクリックで拡大)


6:給料はせいぜい20万円~25万円/月程度、年収で250万~300万円と安く、日本ではぎりぎりの生活ですが、東南アジアの国では高給取りの部類に入ります。

7:航空会社によっては物価の高い東京を日本人「デス」のベース(主基地)にせずに、ロンドンなどをベースにして、そこから乗務を開始//終了させますが、日本と離れて生活することになり、日本国内の情報から取り残されます。

8:米国の航空会社では労働組合の力が強く、タフト・ハートレー法により禁止されているクローズド・ショップ( Closed Shop )制に近い制度を採用し、労働組合員でなければ会社が雇用できない仕組みで、組合員になる為には米国の市民権が必要となります。 したがって日本人を採用しても「デス」の仕事は一切させられずに、機長のアナウンスを後で日本語でアナウンスして伝える機内通訳の仕事や、入国書類の記入方法について日本人乗客に手助けするのが主な仕事になり、米国の航空会社の「デス(?)」は、やり甲斐のある魅力的な仕事とはいえません。

2006年8月 3日 (木)

クリスマス・ケーキ

一昔前のこと女性はクリスマス・ケーキという言葉が流行りましたが、その意味は12月24日(24才)までは買い手が多いが、25日(25才)を過ぎると買う人がいなくなるということで、最近の晩婚傾向にある女性が聞いたら怒り出すような表現でした。

Xmasskeiki 姿 美子(すがた・よしこ)さんは短大卒業後スチュワー「デス」になり、夢中でしかも楽しく働き三年が過ぎましたが、そろそろクリスマス・ケーキの年齢も近づいてきました。その間、ときにはお客様から会社宛てに何月何日の何便に乗務した姿・美子様へという手紙が来たり、携帯電話の番号を書いたメモを若い男性乗客から渡されたことがありましたが、先輩たちによれば25才を過ぎると、それも急に減るのだそうです。美子さんもそろそろ結婚相手を探すことを、真剣に考えるようになりました。写真はクリックで拡大。

Hyottoko1 「デス」の結婚について詳しい金野(かねの)内蔵氏によれば、結婚相手の第一希望としてはパイロットと結婚することだそうで、パイロットであれば顔なんか無くても良いと言う「デス」もいるそうです。しかし「デス」にとってその栄冠(?)を勝ち取ることは、至難のワザなのです。その理由とは航空大学卒やパイロットの自社養成コースを出た若い男性は年間にせいぜい30~40名が入社するのに対して、デスの採用は去年は450名でした。景気の拡大から航空需要の増加が見込まれ、今後共「デス」の採用は増加するに違いありませせん。

しかも競争相手は同僚の「デス」だけではなく、G H ( グランド・ホステス、Ground Hostess )と称する空港のカウンターや搭乗ゲートで働く地上職の女性もいますし、更に事務職の女性もおります。「デス」だけが美人の部類だと思ったら大間違いで、身長最低制限の162センチ(正確ではない?)に達せずに「デス」を諦めた、やや小型の美人女性も多いからです。

金野氏が若いころは丁度ラジオの真空管に代わり半導体のトランジスタが開発されましたが、それまでの「東通工(東京通信工業)」がソニーと社名を変更して、トランジスタ・ラジオを世界で初めて販売して有名になりました。その当時にはトランジスタ・ガールという言葉が流行りましたが、小型でしかも高性能という意味からでした。

ところで航空大卒業生やパイロットの自社養成コース出身者がパイロットの資格をとったからといって、すぐに旅客機に乗れるわけではありません。それを車の運転免許に例えれば、軽自動車の運転免許(?)を取っただけに過ぎず、これで三百人~五百人もの乗客を乗せる大型バスの運転ができるわけではないからです。彼らはパイロットの卵であるパイロット訓練生と呼ばれていて、会社では大型バスの運転免許を取らせるために飛行訓練をするわけですが、パイロットの実用機訓練への順番待ちと、パイロットの需要供給を調節する為に、1年~3年程度、他職種経験と称して営業などに配属し、空港カウンターなどで勤務させます。

このパイロット訓練生の期間こそが、前述の「デス」、G H 、事務職の女性にとって、将来のパイロットを射止める絶好のチャンスなのです。その理由は彼らは恋愛経験を含めて未だ「世間ズレ」していないうえに、訓練生の給料は非常に安く「カネが無い」ので女性の方から誘惑(?)し易く、上手くいけば結婚に導くチャンスがあるからです。

ところで、これまで女性にもてたことが一度も無く、いつも相手に振られてばかりいた金野氏は、死ぬまでに一度で良いから女性に誘惑される身分になりたいものだと、かなわぬ夢を抱きつつ定年を迎え、老爺に成り果てました。

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