豚小屋の女性番人
スチュワー 「 デス 」 に憧れる人は、怒らずにお読み下さい。スチュワーデス ( Stewardess ) とはご存じのように英語のスチュワード ( Steward )の女性形ですが、研究社の英和大辞典に依ると、古い時代の英語ではStigweared といいました。
ここからが重要なポイントですが、Stig とは 「 Sty 、スタイ、豚小屋 」 のことであり、Weard とは 「 Ward、ウオード、番人 」 の意味でした。つまりスチュワードとは古くは豚小屋の番人の意味であり、従ってその女性名詞であるスチュワーデスとは、豚小屋の女性番人のことでした。写真はクリックで拡大。
ところで欧米諸国では機内での メシ運び、飲み物運び が主な仕事である 、スチュワーデスの社会的地位が低く、短大卒以上の学歴を持つ女性がするべき仕事ではないことは、2005年7月1日のブログ 「 デスの社会的地位 」 で述べましたが、古くは豚小屋の番人の名称だったとする単語の歴史からも容易に納得できます。「 デス 」 という職業は日本国内でこそ鼻を高くしていられても、外国では決して憧れの的ではなく、蒙古人種の特徴である低い鼻を高くするのは禁物です。
さもないと、現在も社会の階級が厳然と存在し、初対面の人にはまず相手の属する階級を、言葉 ( たとえば オックスフォード 訛りの有無 )、服装の趣味、身の振る舞い方 ( エチケット ) などで、それとなく推測し判断するイギリス人からは、下賤の (?) 身分、職業 である 「 デス 」 のくせに、何様 ( なにさま )のつもり?。 Who do you think you are ?. とでも言われるのが オチ です。写真はクリックで拡大。
ところで日本で最初の 「 デス 」 が誕生したのは昭和6年 (1931年 ) のことでしたが、このことは9月6日のブログ 「 デスの事始め 」 にも書きました。更に詳しく述べると多数の中から選ばれた三人の 「 デス 」 が、一カ月後に貰った給料は17円が二人、20円が一人でした。当時の女子労働者の平均賃金の日額が82銭でしたので、給料は決して高くはなく普通の女子労働者並でした。狭い機内での労働の割には給料が安いので、三名全員が不満を持ち、一ヶ月後に退職してしまいました。
羽田空港が公式に開港したのは同じく昭和6年(1931年 )11月3日でしたが、実際にはその数ヶ月前から空港は使用されていていました。8月25日にはここから一番機が飛び立ちましたが、六人乗りの飛行機で、目的地は当時日本の領土であり、現在は中国領である 遼東半島の大連でした。
その飛行機に乗客の代わりに乗っていたのは、六千匹のスズ虫と マツ虫でした。その虫は大連で 「東京 カフエ-」 ( Coffee、コヒーのフランス語読み ) を経営していた人が、日本の秋の気分を顧客に味わってもらおうと東京から送らせたもので、大連までの飛行時間は12時間掛かりました。ちなみに現在では、ジェット機で約 3 時間です。
« ドクター・コール | トップページ | I D カード »
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
ようやく少し涼しくなりましたね。
ところで、縄文航空のスッチーには「お局さん」はいましたか?
昨日の某民放ラジオの新人アナが、こともあろうにニュース報道の中で「おきょくさん」と読んでしまい年配女性パーソナリティーがびっくりしていました。
いまや、どこの会社にもいた「御局さん」は死語になったのでしょうか?
それとも、晩婚時代で「お局さん」だらけになったのでしょうか?
投稿: sakanoue | 2006年9月22日 (金) 12時30分
縄文航空には「おきょくさん?」が、ぎょうさんいてました。よほど職場の居心地が良いのと、ちがいまっか?。
投稿: 金野氏 | 2006年9月22日 (金) 21時14分