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2006年11月 5日 (日)

立ったままの乗客

Hatsukari1 昭和35年(1960年)頃のこと、当時東北本線を走る寝台急行は何本かあったものの、一日に一本しか無い昼間の特急列車、上野発青森行きの「はつかり」に乗る人には、「立ち席特急券」を発売していました。全席座席指定の特急列車で空席がある場合には座ってもよいが、その席の指定券を持つ人が来れば席を譲り、立ったままという条件でした。コンピュータが無かった時代に、座席管理能力の不足を補う為に産み出された方法でした。写真はクリックで拡大。

F271 金野氏が民間航空で機長になったのは昭和43年(1968年)のことでしたが、「デス」が一人乗りの F-27、フレンドシップ 四十人乗りのターボ・プロップ機でした。ターボ・プロップというのはジェット・エンジンの回転で、プロペラを回転させて推進力を得る飛行機のことですが、ジェット機との違いの一つは客席における騒音の大きさでした。写真は他社の機体

ターボ・プロップ機ではプロペラが風を切る音や、ジェット・エンジンの高速回転を減速歯車により減速してプロペラを回す為に、「キーン」という減速歯車による周波数の高い騒音がしました。そのため、ターボ・プロップ機を含めて国際線を飛ぶプロペラ機では、ファーストクラスの座席は騒音の少ない最後部にありましたが、ジェット機になるとエンジン音が静かな最前方に移りました。

ところである時金野氏が満席の乗客を乗せて、大阪から鹿児島へ行く為にゲートから滑走路に向かって地上滑走をしていると、「デス」から「座る座席が無い乗客が一人いて、立ったままでいる」という連絡がありました。このままでは離陸できないので、金野氏はゲートに引き返すことにしました。その乗客によると空席待ちをしていましたが、ゲートの係員から空席があるので乗るようにいわれたとのことでした。

その当時は航空業界も未だコンピュータが導入されてなく、搭乗の際にはゲート係員が搭乗整理券( Boarding Pass )の半券をちぎり、その枚数を数えて乗客数を確認していました。係員の数え間違いにより、定員よりも一名多い乗客を乗せてしまったのでした。

昔ソ連にアエロフロートという国営航空会社がありましたが、共産主義、社会主義国の根本的欠陥であるサービス精神の欠如で有名でした。飛行機の出発が何時間遅れても乗客には一切説明せず、「乗せてやるから有りがたく思え」という態度でした。ソ連が崩壊した結果、アエロフロート・ソ連航空から、アエロフロート・ロシア航空に変わりましたが、現在では多数の航空会社に分割された結果、その中の一つとしてモスクワに拠点を持ち、国際線や国際線を運航する会社の一つになりました。

Toilet その当時日本のある新聞のモスクワ支局の記者が、地方に出張した時のことでした。彼は国内線の飛行機に乗り、前の方の座席に座りましたが、飛行中にトイレに行きたくなりました。通路の後方にはトイレを待つ人の列ができていましたが、いつまで経っても列が進まないので、不思議に思い並んでいた人に尋ねたところ、それはトイレ行列ではなく、座る座席の無い乗客でした。

つまり飛行機に「立ったままの乗客」を、数多く乗せていたのでした。不時着などの緊急事態には、どうするつもりだったのでしょうか?。絵はクリックで拡大、便座に座った女性が体を少し右に傾けているあたり、イカニモ ? という感じがしますし、列の真ん中の女性がやや前かがみになっているのは、我慢している様子がうかがわれます。

Seatbelt 中国には国営の、中国民航( CAAC、 Civil Aviation Administration of China )という巨大公司(こんす、会社)がありましたが、改革開放以後に九社に分割されて今では小型化されました。ある友人がその国際線に乗った時のこと、座席ベルト が壊れていて締まらないので「デス」に言うと、「ベルトの金具を使わずに縛れ 」といわれたそうです。周囲には座席ベルトが壊れた席がいくつもあり、中国人の乗客達はごく当たり前の様に ベルト を体の前で結わえていました。しかし結わけばいざという場合に、解くのに時間が掛かるので不安になりましたが、やむなくベルトで体を縛ったとのことでした。

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コメント

おや!
私が初めてフレンドシップに乗ったのは
昭和43年(1968年)です。
大村空港までで、最後部の席で随分揺れましたが・・ひょっとして金野氏の操縦だったのでは・・(失礼)

そうでしたか!。
その頃は長さが千五百メートルしかない、海上自衛隊基地の滑走路を借用していましたが、今では沖合にあった島を切り崩して埋め立てて作った長崎空港は、二千五百メートルの滑走路を持ち、レーダーによる進入管制がおこなわれ、南側からは I L S (計器進入着陸)が可能です。

中国国際航空で関空から北京に向かった時、禁煙席を希望したのでジャンボ2階席に乗ったのですが、離陸してすぐ窓から島が見えているときに、タバコ臭がしてきたのです。
不思議に思い、回りを見回したのですが、だれもタバコを吸っていませんでした。
巡航高度に達し、食事も終わったとき、コックピットの真後ろにあるトイレに入ったときにビックリです。
なんとパイロットがくわえタバコで”運転”(操縦ではありません)しているのです。
なぜ分かったというと、コックピットのドアは開けっ放しだったのです。たぶん、紫煙が目にしみたのでしょう。禁煙席だったのですが、パイロットの受動喫煙に付き合わされるとは想定外でした。
また、北京に着くまで善からぬことを考える馬鹿がいないようにと願っていましたが、2階席のみなさんは紳士淑女だったので、事なきを得ましたが、オープンな航空会社も困りものです。
もちろん北京からの戻りは鶴丸でした。
MD11だったので、ちゃんとドアは閉まっていました。

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