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2006年11月14日 (火)

チャーター便の運航

金野氏から話を聞きました。

会社が運航する路線の空港を On Line 空港といいますが、その空港に着陸すれば会社の整備士、運航管理係、あるいは委託を受けた他社の整備士や運航管理の係員がいて、機体の点検や燃料補給、飛行計画などの作成、提出業務を代行してくれるので、乗員にとっては気楽なものです。

7271 ところで会社の飛行機が日常飛ばない、つまり路線がない空港のことを Off Line 空港といいますが、チャーター便などでそこに行く場合には予期せぬことが起きます。昭和五十年(1975年)頃のこと金野氏は名古屋からソ連(当時)のハバロフスクに、シベリア抑留中に死亡した遺族の墓参団 のチャーターで行くことになりました。写真はクリックで拡大。

名古屋からハバロフスクまでは2時間30分ほどの距離なので、B-727型機でもハバロフスクで燃料を補給しなくても帰りの目的地新潟空港まで往復できます。時差は夏時間がある場合は二時間ですが、通常は一時間早くなります。管制方式がメートル単位のこと以外に特に難しいこともなく、無事に目的地に到着しました。ところが当時はペレストロイカ(1980年代後半からはじまった政治体制の改革運動)以前のため、ソ連の社会には現在の中国社会同様に、汚職や腐敗がはびこっていました。

Habaro 出発に際して思わぬトラブルが起きましたが、空港当局の係官がいうには、日本から来た飛行機は帰りの燃料を積むことになっている。だから燃料を積んで帰れということでした。積め、積む必要が無いの押し問答をしましたが、これでは燃料の押し売りと同じです。
写真はハバロフスクの空港。

念のために燃料の値段を聞くと国際相場の二倍であり、しかも代金を米ドルの現金で支払うように要求してきました。そこでようやく頭の働きがにぶい金野氏も、彼等が無理難題を吹きかけて、カネをせびろうとしていることに気が付いたそうです。そのため単刀直入に How  much money do you want?.  というと、相手はそれまでの厳めしい態度をガラリと変えて、指を五本出しました。五百 ドルの意味でした。

英語には  Under the table  (内密の取引)という言葉がありますが、金野氏が五百 ドルなど高すぎるので、 ニエット (ノー)と拒否しました。すると相手は次に三本の指を出しました。三百 ドル のことですがその当時の為替相場は一ドル三百円でしたので、九万円になります。

こんな相手に九万円を ワイロ として呉れてやるのはしゃくなので、金野氏が指を二本出すと相手が O K しました。日本円に直すと六万円になり、高すぎる金額ではありませんが、ソ連の労働者階級にとっては半年か一年分の給料に相当します。飛行機の出発が遅れるので、添乗していた営業係員から米 ドルの二百 ドルを借りて支払うと、飛行機に対する管制承認とは別の、出国の許可( Clearance )がすぐに出ました。その代金は帰国後に営業係員に返済し、後に会社に請求しました。

Stocking1 その当時のソ連国内では消費物資の不足が甚だしく、若い女性に ストッキング は非常に喜ばれましたが、墓参団の中には四百円の ストッキング を、わざわざ何足も買って持参した人がいたそうです。何のために?。

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