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2006年12月30日 (土)

初日の出

太陽を崇拝すること自体は、古代から自然崇拝の一つとして世界中の多くの地域にみられますが、日本でも特に一月一日の日の出を、「初日の出」と称して昔から崇拝してきました。

ところで太陽の神は男性なのでしょうか、それとも女性なのでしょうか?。ギリシャ神話やエジプト神話に登場する太陽神は男神とされますが、神話学者の多くは、太陽神は男神よりも女神のほうが主流であると主張しています。古事記、日本書紀にある天(あま)の岩戸神話で、太陽に神格化された「天照大御神、あまてらすおおみかみ、皇室の祖神、伊勢の皇大神宮の主神」は女性です。

参考までに祭神が男性であるか女性であるかは、神社本殿の屋根を飾る千木(ちぎ)の切り口と、棟に乗る鰹木(かつおぎ)の奇数、偶数を見れば分かります。詳しくはここをクリック

十年前の夏に富士登山をしましたが、山頂近くの九合五勺にある山小屋に泊まり、翌朝暗いうちから登り始めて山頂でご来光を拝むことができました。夏山ですが木曾の御嶽山の剣が峰(3067 m )でもご来光を拝んだし、加賀の白山では室堂の山小屋から白山神社の神主が打ち鳴らす太鼓を合図に登り始め、頂上の御前峰(2702 m )で神主の講話を聞きながらご来光を待ちましたが、生憎の雲でこの時のご来光はダメでした。

「初日の出」に関してHatsuhi 物好きな私は、夜中に家を出て低山からの「初日の出」を拝んだこともありました。ある年の大晦日に、初詣の為に終夜運転する阪急電車に乗り、宝塚駅から六甲山の最高峰( 931m )を目指して、夜中の三時から尾根伝いの道を登り始めました。初めは ヘッドランプ だけを点灯させましたが、次第に細い山道に入ると木の根、岩につまづかないように手にも懐中電灯を持ち、真っ暗で誰もいない山道を一人で黙々と登りました。写真はクリックで拡大。

Headlamp 昼間であれば三時間半で登るところ、深夜のため四時間掛かってようやく山頂に着きました。帰宅後に女房から「真っ暗な山道を一人で登って怖くなかったか?」と聞かれましたが、怖いことは無かったものの、「何かの怪しい気配」 を感じて後ろを振り向き、懐中電灯で照らして確かめたことが、二度ほどありました。「ものの怪(け)」の仕業か、「いのしし」などの大形動物の「殺気(?)」だったのかも知れません。

Hatsuhi1 ところで縄文航空では毎年「初日の出・フライト」と称して、大晦日の夜十一時頃に羽田空港を離陸し、名古屋に着陸し、熱田神宮か伊勢神宮に初詣をした後、羽田への帰途に「初日の出」を機上から見るツアーを何十年も続けています。それを飛んだことのあるパイロットの話によれば、その時は雲が多かったので名古屋を離陸後、途中から八丈島方面に向けて上昇し、高度八千メートルになってようやく雲から出て、無事に「初日の出」を見ることができたとのことでした。 左右に旋回を繰り返して、乗客の皆さんに公平に「初日の出」のサービスをしたとのことでした。

Hinodekijou 最近では羽田だけでなく、福岡からも「初日の出フライト」をしているようですが、大阪伊丹空港では夜九時の離着陸門限のため今後も無理でして、24時間オープンの関空からならできそうです。

2006年12月25日 (月)

クリスマス

Christmastree 今日はクリスマス、「イエス・キリストの誕生」を祝う日ですが、歴史学者の間でキリストの生まれた年が西暦元年とは確定されないごとく、12月25日についてもいろいろな説があります。新約聖書のマタイによる福音書第一章、十八節によれば、

「マリアはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった」とありました。写真はクリックで拡大。

さらに聖母マリアが出産した日付については新約聖書には記されていませんが、イエスが神の子ではなく、実は「婚約者である大工のヨセフ」との結婚前にできた子供であり、その子が後に新興宗教(キリスト教)の教祖になったとしては、なぜいけないのでしょうか?

日本におけるMaria 民俗学の創始者、柳田国男風に書けば、日本各地の僻地には、平家の落人(おちうど)伝説が数多くありますが、今は落ぶれた暮らしをしていても先祖は偉い人だったとする、貴種説(貴い人の血を引くとする権威付け)と同じ部類の話ではないかと思います。

「 Believe it or not、信じようと信じまいと」 によれば、マリアはイエス以外にも子供を産みましたが、イエスの兄弟姉妹については聖書では触れられていません。神の子供に兄弟姉妹が沢山いては、処女懐胎(つまり無原罪)の希少性が薄れ、キリスト教の教理上からは、とても具合が悪いからでしょう。

キリスト教が日本で解禁された明治以後、百三十年経ちますが、キリスト教の信者の数は一パーセント前後にしか過ぎません。その根本原因は教理である原罪(人は生まれながらにして罪人である)や処女生殖などの矛盾、奇跡にあり、それが日本人の思想に受け入れられないからと言われています。敗戦後占領軍の後押しや、チョコレートが貰えるので教会に行った人もいましたが、その後は信者の数が減り、今後も信者が増える見込みは無いでしょう。

ところでキリストの誕生した年に関しては、B.C.八年(Before Christ、キリスト以前、紀元前)から、A.D.六年(A.D.ラテン語の Anno Domini、その意味は、 in the year of our Lord 、神の年において)まで色々な説があります。

最近アメリカや、イギリスでのクリスマスもややこしくなりました。空港でのクリスマスの飾り付けを撤去しなけければ、爆破するとの警告がイスラム教徒を名乗る犯人からあったため、ある空港では空港内にあった十七個ものクリスマス・ツリーを全部撤去しました。
これに反対したある航空会社では、カウンターに従業員の自前のクリスマス・ツリーを飾りました。

たしかにクリスマスはキリスト教徒だけの祝日であり、ユダヤ教徒、イスラム教徒には無関係ですが、アメリカやイギリス国民の大部分はキリスト教徒に違いありません。

彼等が祝う日を、自分達の宗教では祝う日ではないので、公共の建物である空港やデパートにクリスマスの飾り付けをするのはけしからんとする、一神教(主にイスラム原理主義)信者の考え方には同意できません。

Courtswear Regan 「政教分離」と「信教の自由」の原則があるにしろ、米国大統領の就任時の宣誓をはじめ、裁判所での証人の宣誓の際にも聖書に片手を置き、毎日のように全米各地で宣誓がおこなわれていますが、これには文句を言わずにクリスマス・ツリーや、メリー・クリスマスの飾り付けが、なぜいけないのか理解に苦しみます。写真はクリックで拡大。

ところで金野氏によれば、クリスマスのロンドンには、行かない方がよいのだそうです。地下鉄、バスは運休しているし、ほとんどの店は閉まっているので、ホテルに閉じこもり、ホテルで食事する状態になりますから。

夏のバカンス・シーズンのパリも、少しカネがあるパリッ子はバカンスに行き、気の利いた店やレストランは閉まっていて、日本人などの観光客がうろうろするだけだそうです。

2006年12月22日 (金)

宇宙船のトイレ

Shodai 温水洗浄便座"は、「ウオッシュレット」という呼び名が一般的ですが、これはTOTO(元の名は東洋陶器)が名付けて、昭和55年(1980年)に販売開始した商品名でした。これより早く衛生設備メーカーのもう一方の大手のINAXが、昭和46年(1967年)に売り出した商品名は、シャワー・トイレ でしたが、ノズルが二本あったりした為に、あまり流行りませんでした。「万年筆」、「ボールペン」、「味の素」などと同様に、商品名が広く知れ渡ると、「ウオッシュレット」といえば温水洗浄便座を指すようになりました。写真は初代の製品、クリックで拡大。

ところで水洗トイレで「大」を流すのに、何リットルの水を使用するのかご存じですか?。通常ですと十リットルから十五リットルぐらいが平均的水量なのですが、阪神大震災後に建て替えた我が家の便器では、一回に付き十三リットルの水を使用します。今年売り出された最新式の節水型のものでは、 「大」六リットル、「小」五リットルだそうです。

菜食、穀物類の摂取が多い日本人は「大」の排出量が多く、肉食の欧米人は少ないために、少ない水で如何パイプを詰まらせずに流せるか、という節水開発の苦労があったのだそうです。

昭和43年(1968年)から始まった「アポロ計画」の頃の宇宙船には、トイレの設備がありませんでした。その為に乗員は「大」も「小」もすべて専用の袋の中に貯めて、消毒剤と共に密封して地球に持ち帰りました。しかし「小」の方は宇宙の滞在時間が長くなると、現在と同様に宇宙空間に捨てるようになりました。初めて地球を回る軌道を、五時間で三周したマーキュリー宇宙船のグレン 船長(後に上院議員)は、宇宙船の回りにキラキラと輝く、無数の「宇宙ホタル」を発見したことを地上に報告してきましたが、実は彼が宇宙空間に捨てた「小」が、微細な氷となってダイアモンド・ダストになったのでした。

現在のスペース・シャトルには男女兼用のトイレが備え付けられていますが、無重力状態での排尿、排便、そして「オナラ」には物理学の作用/反作用の法則が支配するので、排泄の前には身体を固定するのだそうです。特に「大」の場合には所定の位置に腰を掛けたら、まずスイッチを入れて待機します。いざ「もの」が出た途端に下に吸い込まれ、高速回転する電動カッターで粉々に砕かれて乾燥、貯蔵されます。

なお宇宙船のトイレは連続使用ができずに、以前は一人が使うとその後十五分間は使用できませんでした。現在でも数分は待たねばならないのだそうで、腹でもこわしたら大変です。

Katsuyakukin2 女性の排尿括約筋は膀胱出口にある内尿道括約筋だけしかなく、男性のそれは内と外の二段構えになっています。何を隠そう私は前立腺肥大切除手術を受けたので、二段構えの括約筋から、一段構え(外側の括約筋のみ)になったので詳しいのです。

女性は年をとると、重い物を持ち上げたり、「セキ」をすると人によっては尿漏れしたりするそうですが、若い女性でも遊園地のジェット・コースターなどに乗り身体に加速度がかかると、思わず「小」を「ちびる」女性もいると聞いております。

Shatoru 重力が膀胱に及ぼす影響については、スペース・シャトル打ち上げ時や、地球への帰還で大気圏突入の時に、重要な問題となりました。強烈な G-force (重力、加速度)が身体に掛かるため、女性の宇宙飛行士はその際に、思わず「小」が漏れてしまうのだそうです。写真はクリックで拡大。

アメリカ人女性や日本人女性の向井千秋さんも宇宙飛行士として活躍していますが、彼女達は DACT (ダクト、Disposable Absorption Collection Trunk )と呼ばれる液体を吸収して回収、処分する為の婦人用下着、つまり端的に言えば 「オシメ」 を宇宙服の下に必ず着けているのだそうです。(スチュア-ト・ヘンリーの著書参考)

2006年12月17日 (日)

箱すべからず

Inakaben 前回述べた如く排泄 スタイル には 「 腰掛け派 」 と 「 しゃがみ派 」 がありますが、その分布を地図で見ると、アジア、アフリカ では 「 しゃがみ派 」 が主流であり、ヨーロッパ では 「 腰掛け派 」 が殆どのように思われます。

さらに調べるとそこには、宗教に基づく分類 もできそうです。仏教、ヒンズー 教、イスラム教の地域では 「 しゃがみ派 」 が大部分であり、キリスト 教の地域では大部分が 「 腰掛け派 」 ということになります。写真は田舎の便所で、右側が 「大」 用、クリック で拡大。

常識的にみて椅子の生活環境にあれば 「 腰掛け派 」 であり、床に座る環境にあると 「 しゃがみ派 」 ということになりそうですが、必ず しもそうではなく、例えば中国では長年椅子の生活を していたにもかかわらず、もっぱら 「 しゃがみ派 」 です。

日本は有史以来 「 しゃがみ派 」 であり、平安時代には貴族階級は 「 箱 」 ( おまる ) を日常的に使用 していま した。そのころは陰陽師 ( おんみょうじ ) による占いが盛 んで、日の吉凶を初め、外出する際に、目的地が 禁忌 ( きんき ) の方向に当たるかどうかを占いま  したが、方向が 凶の場合には、前夜に別の方角に行き泊まり、そこから目的地に向かいま した。これを方違え ( かたたがえ ) と いいま  した。

陰陽師には予め占いの結果を暦のように紙に書 いてもらいま したが、ある陰陽師が面倒になって、ある日を 「 箱すべからず 」   (  「 大 便 」  を  しては いけな い 日 )  と  しま  した。次の日も、またその次の日も、「 箱 すべ からず 」 に  したために、暦 をもらった人は 「 箱 」 を我慢するの に大変苦労 した と、宇治拾遺物語か何かに書いてあったのを思い出 しま した。

ちなみに平安時代以後は 束帯 ( そくたい、平安時代以降の男子の正式な服装 ) を  した男性が 「 小 」 をする際 には、「 し とづ つ、尿筒 」 と呼ばれる竹筒製の 「 しびん 」 で、外観は 太めの 尺八 のような物を使用  していま した。

ところで日本人 女性の中には、公衆便所の 洋式  トイ レ で、他人の肌が触れた便座に座るのが気持ち悪 い と  して 、トイ レッ ト ・ ペーパー を敷 いたり、便座に接触せずに用を足す女性も いるそうです。腰を浮か して用を足すので 「 浮か し  シッ コ 」 と呼ぶそうですが、「 立ち組 」 の変形で しょうか?。

成田空港の第 一 ターミナル に今年完成  した、南 ウイング にある  ト イ レ では、ボタンを押すと便座を覆う紙が自動的に出てくるら しいので、機会があれば男便所に入り、確かめてみた いものです。

排泄後の後始末については、紙を使うのは世界で約 三割 であり、それ以外の 七割 については 「 水 と 指 」 の イスラム、 「 指 と 砂 」 の砂漠の民、 「 小 石 」 を使う アフリカ、エジプト の 一部、フ ィリ ピン、中国の一部では 縄 でこするのもあるそうです。スゥエーデン では「 雪 」 も使うなど、所 変われば 使う道具も様々です。

かつて日本でも 木の葉、植物の 茎、縄、木 や 竹 の  ヘ ラ、海草など身近なものを道具として使用  してきま したが、大正時代に四国遍路を した人の記録を読 むと、

「 阿波の新野町 ( あらたの、現在の徳島県 阿南市 ) では 農家の善根宿 に泊まった。便所のそばに ワ ラ を変な形に 束 ねたものが積 んであるが、それは便所の紙の代用であった。」 と書かれて いま した。

「ボット ン便所」の穴の中に 「 便所用の草履 」 を誤って落 と  したり、幼児が落ちたり、臨月の 妊婦 が 赤ん坊を産み 落 と  した話など、むか し聞 きま したが、Botton ウオシュレッ ト の 普及率が 七十 パーセント を越えた現在、両親と暮ら  した古き時代の 「 ボットン 便所 」 の記憶が次第に消え去って行くのは、私にとって一抹の寂 しさを感 じます。写真は クリック で拡大。

2006年12月11日 (月)

女性用便器

聞くところによると最近の家庭では「小用」の際に、男性でも洋式トイレで「座って」する者が多いそうですが、子供の頃から便器の周囲を汚すからと座ってするように母親から躾けられ、結婚後は奥さんに小言を言われて座るようになったのだそうです。

こと「小」に関しては昔から男性は立って、女性は「しゃがんで」するものと思っていましたが、紀元前五世紀にエジプトを旅行した古代ギリシャの歴史家 ヘロドトス(BC 484年頃)によれば、エジプトでは女性が立って「用」を足し、男性は反対に「しゃがんで」する姿を見て驚いたと記述していました。

実は日本でも昔から京都の女性が立って「小」をするので有名でした。江戸時代に有名な 「南総里見八犬伝」などを書いた戯作者の曲亭馬琴(1767~1848年)が、享和3年(1803年)に京都に旅をしましたが、その際に京おんなの「立ちション」を見て次のように書いています。

街中で富家(金持ちの家)の女房も、小便をことごとく立ったままするなり。ただし良(良家の婦女)、賤(賤しい女性)とも紙を用いず。

従者を二~三人連れた女が、道端の小便桶に立ちながら尻を向けて小便しても、恥じる色なく、笑う人なし。

それまで京の女性は優雅で上品だとばかり思っていた江戸っ子の幻想は、この姿を見て無惨に砕かれてしまいました。江戸時代の川柳を 「自然が呼ぶ」 のコメント欄から再掲しますと、京おんな、立ってたれるが少しきず とありました。

当時の京都の家々の厠の前や道端には小便桶がありましたが、尿は百姓に売れる商品であり、カネになるものを無駄にしないよう 「始末、算用」 を旨とする上方の合理精神の現れでした。なお 明治、大正時代までも、この習慣を見ることができたのだそうです。

Tachishon 戦後強くなったのは 「女性と靴下」 といわれましたが、ナイロン製のストッキングが開発される以前は 「しゃがんで」 すると、高価な絹のストッキングが伸びたり、伝線する原因にもなりました。そこで東洋陶器(現TOTO)がアメリカで流行の女性用便器を参考にして、立ったままでする女性用小便器を 「サニスタンド」 の名前で、昭和26年に売り出しました。しかし女性の 「立ちション」 の習慣が廃れたことから売れ行きは伸びず、昭和46年に生産中止になりました。写真はクリックで拡大。

以前アメリカの私立女子高校に留学した女性の体験談を読んだことがありましたが、その学校のトイレには片側が「大」用の便器が並び、他方には女性の立ちション用便器が並んでいて、多くの女子学生が 「立ちション」をしていたそうです。しかも終了後は紙を使わないのだそうです。彼女は最初は紙で拭いていたものの、やがて 「郷に入りては郷に従え」 で紙を使用しなくても慣れたのだそうです。

世界でも「立ち組」は現在も多く、外人女性選手が競技に訪れる国立競技場の女性トイレには、「サニスタンド」があるそうです。なお使用法はサニスタンドに背を向けて立ち、両手が膝に触れる程度に上半身を前傾するのだそうです。前傾姿勢(?)が必要なのは スキーだけか と思いましたが、意外な場面でも必要なことが分かりました。

2006年12月 7日 (木)

自然が呼ぶ

五日10時から七日の15時まで、ニフティー側のメンテナンスの為に、ブログやコメントの書込みができませんでしたが、  Powerman さんへのコメントを、遅れはせながら書いておきました。

ところで昭和の一桁生まれの私は、昭和20年代の初めに併設中学(旧制中学)の英語の時間に、「 nature call me、自然が呼んでいる 」と言えば、「トイレに行きたい」という意味だと習いましたが、なぜ「自然が呼ぶ」と「生理的要求」になるのか、その当時は英語の先生も知りませんでした。

Autobahn ある時 ドイツでレンタカーを借りて、乗用車には最高制限速度が無い区間もある、アウトバーン( Autobahan、英語読みではオートバーン、高速道路)を走りましたが、BMW、ベンツ、ポルシェ などが時速200キロ以上のスピードですっ飛んで行きました。

ジェット旅客機の着陸時のスピードである、時速250キロ前後のスピード感覚に慣れているはずの私も、車を借りる際にタイヤの空気圧を確認しなかった為に、圧力不足からタイヤが発熱して破裂( バースト、Burst )でもしないかと心配になり、時速150キロの低速でトコトコ走りました。この道路は米国のフリー ウエイ同様に、高速道路料金など不要でした。写真はクリックで拡大。

Komichi 途中には日本と同様のサービスエリアやパーキングエリアがありましたが、小さいパーキングエリアには無料だけあって「トイレの設備」がありませんでした。その代わりに何やら標識がある所に一本の小道が近くの森に通じていました。第二外国語でフランス語を少し習ったものの、ドイツ語が全く読めない私は、「排泄場所」に行く道に違いないと ピントきました。

Berusaiyu 「自然が呼ぶ」の語源を考えた場合に、「自然の中で排泄をした人々の習慣」から、それが「生理的要求」の意味に変化したのではないかと想像します。ちなみに研究社の英語大辞典にも  「 a call of nature 」 とは、生理的要求のことと書いてありました。

たとえば千数百人の居住者に対して、便所の数が極めて少なかったフランスのベルサイユ宮殿では、庭園がトイレの役目をして、十九世紀まで糞尿が垂れ流されていました。

ロンドンでは十九世紀にコレラが大発生したのがきっかけで、1855年に下水道工事が始まりましたが、それまではロンドン市内の公園も便所と化していたし、便所が無い家が多く、「オマル」に貯めた汚物を、決められた場所に捨てずに、窓から道路に捨てる者が大勢いました。その際の ルールが決められていて、「ソラ、水だ-」と叫んだのだそうです。中には警告をせずに捨てる不心得者がいたので、1371年に法律ができて違反者には、4シリングの罰金が課されたのだそうです。

男女が街中を歩く場合には、乗馬、馬車などの危険が多い車道側を男性が歩き、女性は建物側を歩くのが決まりでしたが、必然的に窓からの「落下物」の被害を受けることになったのは、女性たちでした。

アウトバーンのパーキング・エリアから森の中の小道を歩いて行くと、道から少し離れた所に点々と紙がありました。「小」の場合は不要ですが、後から来る人が「大」を踏まない様に、排泄後は使用した紙とは別に、目印に紙を広げて被せて置くのが、野外における排便時の「エチケット」なのだそうです。「自然に呼ばれて」ヨーロッパの森に入る際は、くれぐれも「紙にはご用心」を 

2006年12月 2日 (土)

テーブルマナーと犯罪

Dinnera いまさら食事の際のナイフやフォークの使い方や、スープの食べ方(英語では飲むとは言わず eat と言います )を述べるつもりはありませんが、女性が「ハンドバッグ」を食卓やテーブルの上に置くことが、なぜマナーに反する行為なのでしょうか?。

その昔 我が家の女房の体験から、「理由」を初めて知りました。外国ではどこの国に行っても公衆便所の女性用トイレには、「ハンドバッグ」を掛ける金具が殆ど無く、従ってバッグを両足の間に置いて用を足すのだそうです。つまりバッグを「便所の床」に置くという社会的習慣から、汚染されたハンドバッグを食卓やテーブルの上に置くのはマナー違反であり、食事の席では椅子の背もたれと腰の間に置くようになったのでした。

翻って日本の女性用公衆トイレには、ハンドバッグを掛ける金具が必ずあるそうなので、バッグは不衛生な品物ではなく、三十年前の日本では ルイ・ヴィトンのバッグのように、むしろ「虚栄と経済力(?)を誇示する象徴」でもありました。

Baikingu2 長靴の形をしたイタリアでは、南に行くほど治安が悪く犯罪の発生率が増加しますが、その事件はローマのホテルで起きました。バイキング形式の朝食の際に、日本からの団体旅行中の女性の一人が日本でよくやる習慣から、貴重品の入ったバッグを場所取りの為にテーブルの上に置いたままで、食べ物を取りに行きました。ところがその僅かな隙を狙っていた地元の犯罪者の置き引きに遭い、ハンンドバッグを盗まれた中年女性は半狂乱になりました。

外国では命の次に大切なパスポートや所持金全部が入った財布を盗まれた彼女が、取り乱したのは無理からぬことでした。彼女の日本への帰国はパスポートに代わる 帰国の為の渡航書 (直行便に搭乗する場合にのみ使用)の取得の為、早くても数日から、一週間は遅れる事態になったことは間違いありません。

Ambasciata それには地元の警察署に行き盗難届( Theft report )を提出し、そのコピーと自分の写真二枚を用意して日本の大使館( アンバッシアータ・デル・ジャポネ 、Ambasciata del Giappone )や総領事館に行き、渡航書の申請手続が必要になります。イタリア語は勿論のこと、英語も話せないと思われる女性にとって、泣きたくなる程の辛い仕事に違いありません。写真は ローマにある日本大使館で、クリックで拡大。

それだけでなく ホテルの宿泊追加に加え、安いツアーの帰国便に乗り遅れた為に、正規運賃を支払う羽目になり、「泣き面に蜂」の事態になったことでしょう。平和ボケ をして防犯意識に欠けた日本人旅行者を狙うスリ、ひったくり、買物や食事の際の ボッタクリ や釣り銭のごまかし、偽警察官、ホテルの支払いでは取ってもいない ルームサービス代、飲んでもいない バーの代金請求など、ホテル従業員による ゴマカシや、窃盗など、海外の犯罪には、くれぐれもご用心を。 

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