クリスマス
今日はクリスマス、「イエス・キリストの誕生」を祝う日ですが、歴史学者の間でキリストの生まれた年が西暦元年とは確定されないごとく、12月25日についてもいろいろな説があります。新約聖書のマタイによる福音書第一章、十八節によれば、
「マリアはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった」とありました。写真はクリックで拡大。
さらに聖母マリアが出産した日付については新約聖書には記されていませんが、イエスが神の子ではなく、実は「婚約者である大工のヨセフ」との結婚前にできた子供であり、その子が後に新興宗教(キリスト教)の教祖になったとしては、なぜいけないのでしょうか?。
日本における 民俗学の創始者、柳田国男風に書けば、日本各地の僻地には、平家の落人(おちうど)伝説が数多くありますが、今は落ぶれた暮らしをしていても先祖は偉い人だったとする、貴種説(貴い人の血を引くとする権威付け)と同じ部類の話ではないかと思います。
「 Believe it or not、信じようと信じまいと」 によれば、マリアはイエス以外にも子供を産みましたが、イエスの兄弟姉妹については聖書では触れられていません。神の子供に兄弟姉妹が沢山いては、処女懐胎(つまり無原罪)の希少性が薄れ、キリスト教の教理上からは、とても具合が悪いからでしょう。
キリスト教が日本で解禁された明治以後、百三十年経ちますが、キリスト教の信者の数は一パーセント前後にしか過ぎません。その根本原因は教理である原罪(人は生まれながらにして罪人である)や処女生殖などの矛盾、奇跡にあり、それが日本人の思想に受け入れられないからと言われています。敗戦後占領軍の後押しや、チョコレートが貰えるので教会に行った人もいましたが、その後は信者の数が減り、今後も信者が増える見込みは無いでしょう。
ところでキリストの誕生した年に関しては、B.C.八年(Before Christ、キリスト以前、紀元前)から、A.D.六年(A.D.ラテン語の Anno Domini、その意味は、 in the year of our Lord 、神の年において)まで色々な説があります。
最近アメリカや、イギリスでのクリスマスもややこしくなりました。空港でのクリスマスの飾り付けを撤去しなけければ、爆破するとの警告がイスラム教徒を名乗る犯人からあったため、ある空港では空港内にあった十七個ものクリスマス・ツリーを全部撤去しました。
これに反対したある航空会社では、カウンターに従業員の自前のクリスマス・ツリーを飾りました。
たしかにクリスマスはキリスト教徒だけの祝日であり、ユダヤ教徒、イスラム教徒には無関係ですが、アメリカやイギリス国民の大部分はキリスト教徒に違いありません。
彼等が祝う日を、自分達の宗教では祝う日ではないので、公共の建物である空港やデパートにクリスマスの飾り付けをするのはけしからんとする、一神教(主にイスラム原理主義)信者の考え方には同意できません。
「政教分離」と「信教の自由」の原則があるにしろ、米国大統領の就任時の宣誓をはじめ、裁判所での証人の宣誓の際にも聖書に片手を置き、毎日のように全米各地で宣誓がおこなわれていますが、これには文句を言わずにクリスマス・ツリーや、メリー・クリスマスの飾り付けが、なぜいけないのか理解に苦しみます。写真はクリックで拡大。
ところで金野氏によれば、クリスマスのロンドンには、行かない方がよいのだそうです。地下鉄、バスは運休しているし、ほとんどの店は閉まっているので、ホテルに閉じこもり、ホテルで食事する状態になりますから。
夏のバカンス・シーズンのパリも、少しカネがあるパリッ子はバカンスに行き、気の利いた店やレストランは閉まっていて、日本人などの観光客がうろうろするだけだそうです。
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