箱すべからず
前回述べた如く排泄 スタイル には 「 腰掛け派 」 と 「 しゃがみ派 」 がありますが、その分布を地図で見ると、アジア、アフリカ では 「 しゃがみ派 」 が主流であり、ヨーロッパ では 「 腰掛け派 」 が殆どのように思われます。
さらに調べるとそこには、宗教に基づく分類 もできそうです。仏教、ヒンズー 教、イスラム教の地域では 「 しゃがみ派 」 が大部分であり、キリスト 教の地域では大部分が 「 腰掛け派 」 ということになります。写真は田舎の便所で、右側が 「大」 用、クリック で拡大。
常識的にみて椅子の生活環境にあれば 「 腰掛け派 」 であり、床に座る環境にあると 「 しゃがみ派 」 ということになりそうですが、必ず しもそうではなく、例えば中国では長年椅子の生活を していたにもかかわらず、もっぱら 「 しゃがみ派 」 です。
日本は有史以来 「 しゃがみ派 」 であり、平安時代には貴族階級は 「 箱 」 ( おまる ) を日常的に使用 していま した。そのころは陰陽師 ( おんみょうじ ) による占いが盛 んで、日の吉凶を初め、外出する際に、目的地が 禁忌 ( きんき ) の方向に当たるかどうかを占いま したが、方向が 凶の場合には、前夜に別の方角に行き泊まり、そこから目的地に向かいま した。これを方違え ( かたたがえ ) と いいま した。
陰陽師には予め占いの結果を暦のように紙に書 いてもらいま したが、ある陰陽師が面倒になって、ある日を 「 箱すべからず 」 ( 「 大 便 」 を しては いけな い 日 ) と しま した。次の日も、またその次の日も、「 箱 すべ からず 」 に したために、暦 をもらった人は 「 箱 」 を我慢するの に大変苦労 した と、宇治拾遺物語か何かに書いてあったのを思い出 しま した。
ちなみに平安時代以後は 束帯 ( そくたい、平安時代以降の男子の正式な服装 ) を した男性が 「 小 」 をする際 には、「 し とづ つ、尿筒 」 と呼ばれる竹筒製の 「 しびん 」 で、外観は 太めの 尺八 のような物を使用 していま した。
ところで日本人 女性の中には、公衆便所の 洋式 トイ レ で、他人の肌が触れた便座に座るのが気持ち悪 い と して 、トイ レッ ト ・ ペーパー を敷 いたり、便座に接触せずに用を足す女性も いるそうです。腰を浮か して用を足すので 「 浮か し シッ コ 」 と呼ぶそうですが、「 立ち組 」 の変形で しょうか?。
成田空港の第 一 ターミナル に今年完成 した、南 ウイング にある ト イ レ では、ボタンを押すと便座を覆う紙が自動的に出てくるら しいので、機会があれば男便所に入り、確かめてみた いものです。
排泄後の後始末については、紙を使うのは世界で約 三割 であり、それ以外の 七割 については 「 水 と 指 」 の イスラム、 「 指 と 砂 」 の砂漠の民、 「 小 石 」 を使う アフリカ、エジプト の 一部、フ ィリ ピン、中国の一部では 縄 でこするのもあるそうです。スゥエーデン では「 雪 」 も使うなど、所 変われば 使う道具も様々です。
かつて日本でも 木の葉、植物の 茎、縄、木 や 竹 の ヘ ラ、海草など身近なものを道具として使用 してきま したが、大正時代に四国遍路を した人の記録を読 むと、
「 阿波の新野町 ( あらたの、現在の徳島県 阿南市 ) では 農家の善根宿 に泊まった。便所のそばに ワ ラ を変な形に 束 ねたものが積 んであるが、それは便所の紙の代用であった。」 と書かれて いま した。
「ボット ン便所」の穴の中に 「 便所用の草履 」 を誤って落 と したり、幼児が落ちたり、臨月の 妊婦 が 赤ん坊を産み 落 と した話など、むか し聞 きま したが、 ウオシュレッ ト の 普及率が 七十 パーセント を越えた現在、両親と暮ら した古き時代の 「 ボットン 便所 」 の記憶が次第に消え去って行くのは、私にとって一抹の寂 しさを感 じます。写真は クリック で拡大。
コメント
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流石のウンちくですね。経験談をすこし。
わずか半世紀前、「夜明け前」の舞台に近い山中の開拓農家、伊那出身の一家のお爺さんは猟師(マタギ?)、木箱二つにクサビ様木片多数、木箱は交互に雨で自然洗浄、硬い木片には驚き絶句。
兄は別のお宅で、股下の高さに張られたトイレ入り口の藁縄を跨ぎ少し移動すると聞き絶句したそうです。
高校から行った白馬村のスキー民宿は、胡同(フートン)のトイレみたいな○隠しなしの穴だけのが三つほど並んでいて真っ暗、すぐ横の五右衛門風呂へ入る人が脱衣場と間違えて脱衣し始め驚く。
なお、おつりの来るボットンでは、落下直前にお尻を振って魚雷のように水平に投下すると被弾しないと教わりましたが至難でしたね。
投稿: Y.S | 2006年12月18日 (月) 13時29分
ムムーッ、
まるで真珠湾攻撃の際の、浅深度魚雷投下並の高度なテクニックですなあ。実は 「大」 に関して苦い経験がありましたが、いつか随筆集に書くつもりです。
長野県の山奥の寺に、学童集団疎開をしたばかりの昭和19年(1944年)のこと、山で遊ぶ際に 「大」 がしたくなりましたが、紙が無かったので当時の風習に従い 、近くにあった木の葉をちぎって拭きました。ところが都会の子の悲しさで木の葉の見分けが付かずに、なんと 「山うるし」 の葉で拭いてしまいました。
その結果はお尻の周囲が 「うるし」 にひどくかぶれ、痒くて悲惨な状態になり、村の看護婦さんから笑われましたが、話題が少ない村人の間にも笑いを提供しました。その時は十日近くガニ股で歩く破目になりましたが、あれから六十二年が過ぎました。
ところで U 氏は本の編集にかかわった女性と、再婚していました。
投稿: | 2006年12月18日 (月) 17時49分