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2007年1月27日 (土)

嫌な乗客、パート 2

Yuki1 平成13年2月のこと北京から成田空港に向かった鶴丸航空の飛行機が、大雪のため成田に着陸できずに関西空港に臨時着陸しました。ところが関西空港では大勢の中国人乗客が、「ろくな食事も水も与えられなかった」、「中国人だけ空港に16時間も足止めされ、他の国籍の乗客はホテルを用意されたが、これは人種差別だ」として騒ぎ、後に中国の新聞によれば1人9万ドル(約1千万円)の補償を求める裁判を起こす計画、との報道が流れました。写真はクリックで拡大。

Overnight ところが鶴丸航空によれば、日本を経由して第三国に向かう トランジット( Transit 、乗り継ぎ )の中国人乗客の中には、その際に日本への密入国を図る者がいるので、不法就労、不法滞在防止の観点から、入管当局により トランジット の際は入国を禁じられていたのです。当日は大雪のため 約1,500人の乗客が空港で一夜を過ごしており、同社は乗客に毛布や 食料、飲み物を提供したとしていました。

そういえば日本における不法滞在( Over Stay )者の数では、中国人と韓国人が毎年一位と二位を争っています。人種差別を口にするのであればそれ以前に、自国民により繰り返される違法行為の結果取られた措置であることを、まず反省すべきであると思います。中国に隣接し中国に返還された ホンコン でさえも、同じ理由から2003年前半までは、中国人の個人観光客に対する ビザ を発給しませんでした。

日本でも中国からの個人観光旅行者に対する ビザ の発給審査を厳重にしていますが、団体観光旅行には個人別の ビザ ではなく グループ・ビザ を発行しています。日本国内での自由行動時間でも、小さいグループごとに団体行動をさせ、ツアーの添乗員はホテルでも夜間に点呼を取り人数を確認し、逃亡者に気を付けているという話を聞きました。

なお日本から強制送還されても ワイロ天国の中国では、当局のしかるべき筋に ワイロを支払うと、正規の パスポート が偽名で入手できたり、あるいは横行する偽造の パスポートで、中国人も韓国人もまた入国するのだそうです。

Cathay 平成17年の7月には香港で キャセイ航空の飛行機の出発が二時間遅れたことがありました。場内 アナウンスで乗客に知らせ、他の乗客は聞いていたにもかかわらず、韓国人の団体37名が「そんなの聞いてない」と主張し、あげくの果ては キャセイ航空に遅延と対応の悪さを理由に賠償を要求し、韓国人の乗客37人が空港 ロビー内で デモ をおこないました。

キャセイ航空は社内規定に従い食事 クーポンを支給しましたが、韓国人は外国航空会社の態度を改めさせるとして、帰国後も法廷で損害賠償を要求すると息巻いていました。 中国人も韓国人も自国の航空会社の国際運送約款を読むべきであり、そこには気象状況やその他やむを得ない原因により、航空会社は運行時間の変更や欠航を行うことがあると書かれていて、その場合原則として航空会社の責任は免除されています。

更にいえば中国や韓国の航空会社はそれほど運航面で遅延や欠航が無く、立派だと思っているのでしょうか?。

Daikan 事実はその逆で大韓航空などは、金野氏が飛んでいた縄文航空よりも十二倍も事故率が高いくせに、それに中国民航(現、中国国際航空)などは共産主義国の常として、事故に関する情報をこれまで一切公表してきませんでした。航空会社ごとの事故率について詳しく知りたい人は、ここをクリック

2007年1月22日 (月)

嫌な乗客、パート1

Baggageclaim 昔の話ですが縄文航空で搭乗前に預けた手荷物が、到着地で受け取ることができずに一時的に行方不明になる、いわゆるロスト・バゲッジ( Lost Baggage )が年間で一千件ありました。一日当たり三個という数字を少ないと見るのか多いと見るのかは、お客の立場からすれば多いと思うでしょうが、繁忙期には国内、海外へ一日十万人を運ぶ実績からすれば、極めて少ない値になります。写真はクリックで拡大。

以前のブログで述べたロンドンのヒースロー空港では、毎日一千個の手荷物が行方不明になるといわれていますから。

Flying_baggage_allowance ところであるとき九州から羽田行きの縄文航空の便に搭乗した、一人の乗客の手荷物が行方不明になりました。当時は未だ手荷物の取り扱いがコンピュータ化されていなかったため、探すのに時間が掛かり一週間経っても見つかりませんでした。係員が念のため荷物の中身を聞いたところ、貴重品が入っているとのことでした。

五十万円以上はする貴重品だというので、運送約款ではそういう場合には事前の申し出が必要であり、その貴重品の申し出価格に応じた保険料を支払わなければならないことを説明しました。すると相手は怒り出して説明が面倒だから五十万円と言ったが、実際は金には換えられない親の形見の品だ、どう補償するつもりだ、カネで誠意を見せろ、五十万円出せと詰め寄りました。

Rfid ところが会社にとって幸運にも貴重品が入っていた手荷物が、タグ(荷札)がとれた状態で、ある空港の荷物置き場で発見されました。中身を確認したところ、五十万円に相当する親の形見の品らしきものは何も無く、出張時に使用したらしい多くの汚れた下着や靴下と、洗面道具だけだったそうです。

写真は近年使用されている RFID ( Radio Frequency Identification 、無線周波数による識別機能付き紙製 ) タグ です。クリックで拡大。

手荷物を確認のため空港に来て欲しいというと、忙しくて行けないから自宅に送れという返事でしたが、本人の手荷物かどうか確認できないので送れません。最寄の警察署に送るので、遺失物として警察官の立会いの下に確認をお願いしますというと、「荷物はそっちで勝手に処分しろ」ということになりました。会社の弱みに付け込んで五十万円を要求し、一儲けをたくらんだ、四十男の望みが消えて無くなりました。

2007年1月17日 (水)

酒気帯び飛行

去年の八月に福岡で市の職員が酒酔い運転をした結果、幼い子供三名が死亡する事故がおきましたが、それ以来飲酒運転の取り締まりが厳しくなりました。

Otoso 今から四十年近く前の昭和40年代のこと、当時はお正月に地方空港に飛ぶと、パイロットの控え室にはおせち料理とお屠蘇が用意してあり、新年の挨拶を交わしたパイロットに、代理店の職員がお屠蘇を勧めるのが当たり前でした。 地方空港では短い地上滞在時間でしたので、せいぜい二~三杯呑んでからフライトをしました。その当時の航空法にもアルコールや薬の影響がある間は、操縦してはならないという規定がありましたが、その程度のアルコール量が操縦に影響が出るとは誰も思いませんでした。

Heavylift_dc8_ 日本では鶴丸航空のパイロットの酒酔い操縦が原因で、昭和52年(1977年)1月13日にD C-8の墜落事故が起きましたが、場所はアラスカ州のアンカレージ空港でした。この事故により乗員三名と貨物機のため添乗員で牛の世話係り二名の合計五名が死亡しました。写真は同じ型の他社の貨物機ですが、クリックで拡大。

Uisukigurasu 事故機は名古屋の百貨店が購入した牛五十六頭を日本に運ぶ途中でしたが、離陸時の機首上げ角度が大き過ぎたうえに、翼面上に氷結があり飛行性能が低下していたことが複合して高度三十メートル(百フィート)で失速し墜落炎上しました。機長の遺体からは相当量のエチル・アルコールが検出されたことから、機長の離陸時の過大な操作の原因として、酩酊状態にあったと、アメリカの国家運輸安全委員会が指摘していました。

それから日本でも乗務前にアルコールの検知器による検査を、自主的におこなうように会社から指示されました。当時の検査機器は懐中電灯のような細長いもので、息を吹きかけてアルコール分があると、ブザーが鳴る仕組みでしたが、タバコを吸った直後でも鳴ったので、信頼性がイマイチで、ひと月も経つと誰も使わなくなりました。

Kauntod ところで金野氏によれば、外国のお正月ほどつまらないものは無いのだそうです。日本の正月のように外国では祝う事が無く、アメリカでもイギリスでも一月一日が休日だけで、二日からは会社も普通に仕事をします。
ただ ニューヨーク の タイムズ・スクエア の カウント・ダウン だけは別で、大晦日の寒さの中を大勢の人が集まっていて、時間になると声を合わせて 5、4、3、2、1、Zero( Now ) と 大時計を見ながら カウント・ダウン し、 A Happy New Year と祝っていました。

ホンコン では旧正月を祝うので、新の正月は何もしません。旧正月は年により異なりますが、概ね二月の節分附近になります。そのため、目抜き通りのネーザン通りには、クリスマスの飾りをその頃まで残しておく商店もありました。金野氏が知っていた昭和60年代初めの北京の旧正月は、政府の建物に電灯のイルミネーションがあったものの、電力不足から町全体も暗く、資本主義国のように派手ではなく、爆竹も禁止されました。今ではオリンピックを控えて、旧正月の祝いも派手になったようです。

2007年1月12日 (金)

操縦不能

Fedex_md11_1 十日の午前のこと、高知県の足摺岬沖を飛行中の米国アラスカ州のアンカレージ発ホンコン行きのトランスマイル航空の貨物機の操縦席で、ブラジル人機長が突然けいれんを起こして意識を失ったために、別のパイロットが操縦して関西空港に緊急着陸をしました。

写真は別会社のものですが、同型機の同じタイプの貨物機です。クリックで拡大。

この機長は脳腫瘍を患い一年半前にも、意識を失ったことがあるとのことでした。ブラジルの航空身体検査はどうなっているのか疑問を感じましたが、パイロットにとって最も危険であり、避けなければならないことは、飛行中に インキャパシテイション ( Incapacitation、操縦不能 ) になることです。

ある時縄文航空のパイロットが羽田に向かう途中で胆嚢か尿路かの結石が原因で、操縦不能になったことがありましたが、その際に副操縦士が社内無線で 「機長の顔色がますます悪くなり、非常に痛がっています」 と実況放送(?)していたのを聞きました。結石が体内を移動するときの痛さは強烈で、その為にショック状態になり、モルヒネの注射でなければ鎮痛できないといわれています。その時は副操縦士が操縦して、無事に羽田に着陸して事なきを得ました。

Koukuus 機長資格保有者の場合は六ヶ月毎に航空身体検査を受けて、それに合格しなければなりません。合格すると初めて第1種航空身体検査証明書が貰えるので、乗務の際はパイロットの技能証明書と共に常に フライト・バッグ の中に携帯していて、これも半年毎の操縦試験の際に、有効な検査証明書を持つことの確認を受けます。写真は私が最後に更新した第1種航空身体検査証明書ですが、記念に保管しておいたものです。クリックで拡大。

航空身体検査の検査項目とは、脳波、心電図、胸部の レントゲン撮影、眼の検査だけでも、通常視力、動体視力、眼圧、視野、眼球振動、夜間視力、それに血液検査、聴力、血圧 、尿検査、握力、平行感覚などなどで、身体について検査できる箇所は全て調べるのではないかと思うほどです。

しかも検査はパイロットの健康維持の観点からおこなうのでは決してなく、航空法で定められた基準値から少しでも外れたならば、すぐに飛行停止にしようと (?) 会社は待ち構えている (?) のです。

Shindenzu 特に老齢パイロットにとっては、半年ごとにやってくる身体検査に合格することが切実な問題です。若い時には血圧、聴力などに異常がなくても、老齢になるにつれて血圧も高くなり、聴力も衰え、心電図にも期外収縮などの異常波形が出やすくなるのが普通です。パイロットの中には身体検査に不合格となり、何年も飛べずに定年を迎えた人や、パイロットの職を諦めて、地上職に職種変更した人が何人もいました。その点私は定年まで無事に飛ぶことができて、幸せだったと思っています。

ところで身体検査に不合格になり一定期間飛べなくなると、収入の大部分を占める飛行手当が無くなり収入が減りますが、殆どのパイロットはそういう事態に備えて所得補償保険 ( Loss of License 保険 ) に加入しているため、経済的に困ることはありません。補償保険金には所得税が課税されないため、地方税も無税に近く、収入はむしろ増えるとさえいわれています。

2007年1月 7日 (日)

秋田空港の思い出

Akitaap 昨日の夕方秋田空港の誘導路に、133人を乗せた大韓航空のボーイング 737 型機が、間違えて着陸したと聞いて驚きました。古い秋田空港は昭和36年(1961年)に秋田の市街地に近い海岸に平行して、南北方向に滑走路が作られましたが、北西の季節風が吹く冬場は横風着陸が大変でした。その後 ジェット機を乗り入れさせる為に、昭和56年(1981年)に今度は内陸に入った山側に、新しい空港ができましたが、その当時は秋田新幹線が未開通だった為に、秋田と東京を結ぶ路線の乗客は多く搭乗率は好調でした。写真はクリックで拡大。

Kuroyama 上空から見ると空港周辺の地域は今とは異なり交通に不便な陸の チベット(?)で、鉄道も秋田自動車道、日本海東北自動車道もなく、地理的には不便な場所でした。飛行機が到着する頃になると、毎日ターミナルの屋上は見物客で黒山の人でしたが、入場料を取っていた空港のターミナル会社は儲かりました。

縄文航空の秋田空港支所長の所に秋田美人の秘書がいるという話を聞いたので、秋田に着陸した際には用も無いのに顔見知りの支所長の所に行き、秋田美人からお茶の接待を受けましたが、鄙( ひな、いなかの意味 )にはまれな美人というか、色じろ( 白 )で、うりざね顔 ( 瓜実顔、瓜の種のような面長な顔 )の評判に違わぬ美人でした。

Gochaku 今回の誤着陸に関しては小雨で視界も 10 キロ と悪くなく、現時点でなぜ誘導路に着陸したのか不明ですが、西側(海側)から着陸する場合には V O R-D M E 進入になり、計器を参考にして進入すれば、滑走路の手前には進入灯火もあり、誘導路に誤着陸するなどとは考えられません。

衛星写真を見れば分かりますが、滑走路には積雪地帯用に黄色のペイントで写真の様にオーバーラン( 過走帯 )標識、滑走路末端標識などのマーキングがはっきり施されているので、何も標識が無く幅も半分しかない誘導路を、滑走路と誤認するとは考えにくいのです。写真はクリックで拡大。

福知山線の脱線大事故の際の運転士のように、パイロットは 「うつろな眼」をしながら操縦していたのではないかと思いました。

Higashic ところで昔むかし昭和30年代のこと、 鶴丸航空のプロペラ機( D C-4?)が、札幌千歳空港に着陸する際に、間違えて千歳空港の北東六キロにある陸上自衛隊、東千歳駐屯地内の、廃止された滑走路に着陸したことがありました。 ここは戦時中日本軍が滑走路として使用し、敗戦後は米軍が一時使用したらしいのですが、その当時は廃止されていました。写真の赤印は千歳空港にある航空自衛隊滑走路、黄色は陸上自衛隊、東千歳基地内の滑走路(?)でクリックで拡大。

当時千歳空港の管制塔にいた管制官から後日話を聞きましたが、着陸支障なし( Clear to land )を彼が言ってから、いつまで経っても着陸の音が聞こえず、姿も見えないので飛行機を無線で呼んだところ、アメリカ人のパイロットから「どうやら間違った滑走路に着陸したらしい、ここから千歳空港に行く誘導路があるか?」と尋ねてきた とのことでした。滑走路の長さが短く、しかも荒れた路面の滑走路に着陸した彼は、その後直ぐに鶴丸航空から解雇され、アメリカに帰国したそうです。パイロットは二人とも、アメリカ人でした。

Guam グアム島にあるアガナ国際空港ではハワイのホノルル国際空港と同様に、恒常的に北東方向からの貿易風が吹きます。北東方向に二本ある滑走路を挟んで西側に民間航空のターミナルが、東側には米海軍基地があり空港を共用しています。写真の左側が民間空港ターミナルで、誘導路を工事中の写真ですが、右側の滑走路を誘導路の代わりに使用していました。

ところで滑走路の工事や事故などで滑走路が閉鎖された際に、誘導路に意図的に着陸する場合に、米軍の管制方式、用語があるのをご存じですか?。

誘導路に着陸を要求する飛行機のパイロットに対して管制官は、Unable to issue landing clearance, Landing will be at your own Risk. つまり 「着陸の許可は出せません。あなた自身の危険において、着陸されたし。」 という返事をすることになっていました。

2007年1月 3日 (水)

昔のお正月

新年おめでとうございます。暗いニュースが多かった去年とは異なり、今年は安倍総理のモットーとする 「美しい国、日本」 に、ぜひなって欲しいものです。

F_shihohai ところで私が小学生の頃は、全国の小学校で一月一日は登校日でした。当時の文部省、国民学校(小学校のこと)令、施行規則第十四条によると、四方拝、紀元節、明治節、天長節を式日と定めて、四大節( しだいせつ )と呼びました。写真は平安時代から続く四方拝の様子で、クリックで拡大。

四方拝とは、一月一日に宮中でおこなわれる天皇家の祭儀、
紀元節( 国民の日から、後に建国記念の日に変更 )は、二月十一日、
明治節( 現、文化の日 )は、明治天皇の誕生日の十一月三日、
天長節( みどりの日から、後に昭和の日に変更 )は、当時の天皇( 後の昭和天皇 )の誕生日の四月二十九日でした。

どのような方法で式をするのかは、同じく第四十七条に定められていて、
紀元節、天長節、明治節及一月一日ニ於テハ、職員及児童学校ニ参集シテ以下ノ式ヲ行フベシ。

職員及児童「君ガ代」ヲ合唱ス。

職員及児童ハ天皇陛下、皇后陛下ノ御影( 御真影、ごしんえい、写真のこと )ニ対シ奉リ、最敬礼ヲ行フ。

学校長ハ教育ニ関スル勅語( 教育勅語 )ヲ奉読ス。

学校長ハ教育ニ関スル勅語ニ基キ聖旨( せいし、天皇の考え )ノ在ル所ヲ誨告( かいこく、教え告げる )ス。

職員及児童ハ、其ノ祝日ニ相当スル唱歌ヲ合唱ス。

とあり、正月の式典では「一月一日」の歌を歌いました。

年のはじめの、ためしとて、終りなき世のめでたさを、
松竹(まつたけ)たてて、門ごとに、いわふ(祝う)今日こそ
たのしけれ。(以下略)

Kouhakum 式の当日には児童も先生も晴れ着を着て登校し、校長先生が朗読する教育勅語を聞き、式歌を歌い、終了後は教室で先生から紅白のまんじゅう、あるいは菊の模様の落雁を貰い喜んで下校したものですが、太平洋戦争開始後は菓子は貰えなくなりました。

Hanetuki 子供達にとって正月になると久しぶりにお雑煮や、正月料理のご馳走を食べ、お年玉を貰えるので楽しみでした。それに昔の年齢の数え方では、お正月が来ると数え年が一才増えるので、学校にあがる前の小さい頃は、お正月が来て年齢が増えるのを、童謡にある「もういくつ寝るとお正月---」のように心待ちにしていました。

正月の遊びとしては女子は羽根突き、男の子はたこ揚げで、その他にかるた取り、福合わせ、双六などをして遊びました。

Haregi 最近では晴れ着と普段着の区別が薄れ、お正月だからといって晴れ着を着る人は殆どなく、男も女も普段着で初詣をしていました。ちなみに英語では晴れ着のことを Sunday Clothes (  Best ) といいますが、日曜日に教会のミサに行く際に最上の服を着た習慣から、そのように名付けられたのだそうです。

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