酒気帯び飛行
去年の八月に福岡で市の職員が酒酔い運転をした結果、幼い子供三名が死亡する事故がおきましたが、それ以来飲酒運転の取り締まりが厳しくなりました。
今から四十年近く前の昭和40年代のこと、当時はお正月に地方空港に飛ぶと、パイロットの控え室にはおせち料理とお屠蘇が用意してあり、新年の挨拶を交わしたパイロットに、代理店の職員がお屠蘇を勧めるのが当たり前でした。 地方空港では短い地上滞在時間でしたので、せいぜい二~三杯呑んでからフライトをしました。その当時の航空法にもアルコールや薬の影響がある間は、操縦してはならないという規定がありましたが、その程度のアルコール量が操縦に影響が出るとは誰も思いませんでした。
日本では鶴丸航空のパイロットの酒酔い操縦が原因で、昭和52年(1977年)1月13日にD C-8の墜落事故が起きましたが、場所はアラスカ州のアンカレージ空港でした。この事故により乗員三名と貨物機のため添乗員で牛の世話係り二名の合計五名が死亡しました。写真は同じ型の他社の貨物機ですが、クリックで拡大。
事故機は名古屋の百貨店が購入した牛五十六頭を日本に運ぶ途中でしたが、離陸時の機首上げ角度が大き過ぎたうえに、翼面上に氷結があり飛行性能が低下していたことが複合して高度三十メートル(百フィート)で失速し墜落炎上しました。機長の遺体からは相当量のエチル・アルコールが検出されたことから、機長の離陸時の過大な操作の原因として、酩酊状態にあったと、アメリカの国家運輸安全委員会が指摘していました。
それから日本でも乗務前にアルコールの検知器による検査を、自主的におこなうように会社から指示されました。当時の検査機器は懐中電灯のような細長いもので、息を吹きかけてアルコール分があると、ブザーが鳴る仕組みでしたが、タバコを吸った直後でも鳴ったので、信頼性がイマイチで、ひと月も経つと誰も使わなくなりました。
ところで金野氏によれば、外国のお正月ほどつまらないものは無いのだそうです。日本の正月のように外国では祝う事が無く、アメリカでもイギリスでも一月一日が休日だけで、二日からは会社も普通に仕事をします。
ただ ニューヨーク の タイムズ・スクエア の カウント・ダウン だけは別で、大晦日の寒さの中を大勢の人が集まっていて、時間になると声を合わせて 5、4、3、2、1、Zero( Now ) と 大時計を見ながら カウント・ダウン し、 A Happy New Year と祝っていました。
ホンコン では旧正月を祝うので、新の正月は何もしません。旧正月は年により異なりますが、概ね二月の節分附近になります。そのため、目抜き通りのネーザン通りには、クリスマスの飾りをその頃まで残しておく商店もありました。金野氏が知っていた昭和60年代初めの北京の旧正月は、政府の建物に電灯のイルミネーションがあったものの、電力不足から町全体も暗く、資本主義国のように派手ではなく、爆竹も禁止されました。今ではオリンピックを控えて、旧正月の祝いも派手になったようです。
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