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2007年1月 7日 (日)

秋田空港の思い出

Akitaap 昨日の夕方秋田空港の誘導路に、133人を乗せた大韓航空のボーイング 737 型機が、間違えて着陸したと聞いて驚きました。古い秋田空港は昭和36年(1961年)に秋田の市街地に近い海岸に平行して、南北方向に滑走路が作られましたが、北西の季節風が吹く冬場は横風着陸が大変でした。その後 ジェット機を乗り入れさせる為に、昭和56年(1981年)に今度は内陸に入った山側に、新しい空港ができましたが、その当時は秋田新幹線が未開通だった為に、秋田と東京を結ぶ路線の乗客は多く搭乗率は好調でした。写真はクリックで拡大。

Kuroyama 上空から見ると空港周辺の地域は今とは異なり交通に不便な陸の チベット(?)で、鉄道も秋田自動車道、日本海東北自動車道もなく、地理的には不便な場所でした。飛行機が到着する頃になると、毎日ターミナルの屋上は見物客で黒山の人でしたが、入場料を取っていた空港のターミナル会社は儲かりました。

縄文航空の秋田空港支所長の所に秋田美人の秘書がいるという話を聞いたので、秋田に着陸した際には用も無いのに顔見知りの支所長の所に行き、秋田美人からお茶の接待を受けましたが、鄙( ひな、いなかの意味 )にはまれな美人というか、色じろ( 白 )で、うりざね顔 ( 瓜実顔、瓜の種のような面長な顔 )の評判に違わぬ美人でした。

Gochaku 今回の誤着陸に関しては小雨で視界も 10 キロ と悪くなく、現時点でなぜ誘導路に着陸したのか不明ですが、西側(海側)から着陸する場合には V O R-D M E 進入になり、計器を参考にして進入すれば、滑走路の手前には進入灯火もあり、誘導路に誤着陸するなどとは考えられません。

衛星写真を見れば分かりますが、滑走路には積雪地帯用に黄色のペイントで写真の様にオーバーラン( 過走帯 )標識、滑走路末端標識などのマーキングがはっきり施されているので、何も標識が無く幅も半分しかない誘導路を、滑走路と誤認するとは考えにくいのです。写真はクリックで拡大。

福知山線の脱線大事故の際の運転士のように、パイロットは 「うつろな眼」をしながら操縦していたのではないかと思いました。

Higashic ところで昔むかし昭和30年代のこと、 鶴丸航空のプロペラ機( D C-4?)が、札幌千歳空港に着陸する際に、間違えて千歳空港の北東六キロにある陸上自衛隊、東千歳駐屯地内の、廃止された滑走路に着陸したことがありました。 ここは戦時中日本軍が滑走路として使用し、敗戦後は米軍が一時使用したらしいのですが、その当時は廃止されていました。写真の赤印は千歳空港にある航空自衛隊滑走路、黄色は陸上自衛隊、東千歳基地内の滑走路(?)でクリックで拡大。

当時千歳空港の管制塔にいた管制官から後日話を聞きましたが、着陸支障なし( Clear to land )を彼が言ってから、いつまで経っても着陸の音が聞こえず、姿も見えないので飛行機を無線で呼んだところ、アメリカ人のパイロットから「どうやら間違った滑走路に着陸したらしい、ここから千歳空港に行く誘導路があるか?」と尋ねてきた とのことでした。滑走路の長さが短く、しかも荒れた路面の滑走路に着陸した彼は、その後直ぐに鶴丸航空から解雇され、アメリカに帰国したそうです。パイロットは二人とも、アメリカ人でした。

Guam グアム島にあるアガナ国際空港ではハワイのホノルル国際空港と同様に、恒常的に北東方向からの貿易風が吹きます。北東方向に二本ある滑走路を挟んで西側に民間航空のターミナルが、東側には米海軍基地があり空港を共用しています。写真の左側が民間空港ターミナルで、誘導路を工事中の写真ですが、右側の滑走路を誘導路の代わりに使用していました。

ところで滑走路の工事や事故などで滑走路が閉鎖された際に、誘導路に意図的に着陸する場合に、米軍の管制方式、用語があるのをご存じですか?。

誘導路に着陸を要求する飛行機のパイロットに対して管制官は、Unable to issue landing clearance, Landing will be at your own Risk. つまり 「着陸の許可は出せません。あなた自身の危険において、着陸されたし。」 という返事をすることになっていました。

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コメント

秋田は1960年の6月にゼミ旅行で一度だけ訪れました、「日本海」の三等寝台でしたか・・。
地元出身者の案内で、夜はカワバタというスナック街?を飲み歩きましたが、あのときの支払いは誰がしたのだろう?・・・
あのころの心根を持つ、秋田美人のようなオネエサンは、もうこの日本国では絶滅したのでしょうね。

実は私は秋田市の繁華街どころか、秋田空港のターミナルから外へ出たことがなかったのです。去年の秋に老妻は大阪から札幌行きの特急寝台列車、トワイライト・エクスプレスに乗り、友人たちと日本海に入る夕日を見ながら食堂車で高価なフランス料理のコースを食べ、ワインを味わいましたが、秋田市は寝ている間に通過したので、なにも知らなかったとのことでした。

その留守中私は家にいて、老妻がスーパーの大売出しで 「私の為に」 大量に購入した 「格安の」 インスタントラーメンを、テレビを見ながらひとり侘しく鍋からすすり、ワインではなく「涙をのみながら」、飢えをしのぎました。

私は羽越本線の列車など一度も乗ったことがないので、死ぬまでに一度は列車に乗って秋田に行き、本場の 「きりたんぽ」 でも食べてみたいと思っています。なお小野小町は秋田の出身だそうですが、その末裔 ( まつえい ) の美人にでもお眼にかかりたいものです。しかし老妻と一緒では------?。

昨夜寝てから思い出したのですが、20年くらい前でしたか・・品の良い老人が我が家へたずねてきました。
同姓の先祖のルーツの研究を印刷した薄い書物持参でした。その老人によると、うちの祖先は三木城の合戦に秋田の酒田から応援に連れてこられ、その後この地に土着したとのことでした。
現存の人類の祖先は遺伝子マーカーの研究では、アフリカーのピグミーの一族らしいので、秋田美人もひょっとしたらロシアの血をひいているのかなと、昔から漠然とおもっています。

>秋田美人がロシアの血を引く。

私はシベリアに住む、ツングース族の系統かと思っていました。ロシアというと 「スラブ系」 の女性を連想しますが、二十才前後までは楚々としてスタイルが良いのですが、それを過ぎるとブクブク太り始め、ビヤダル(樽)のような体形になる人が多くいました。

小野小町はどこで死んだのか不明ですが、ビヤダルだったとすれば、幻滅を感じます。

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