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2007年2月25日 (日)

嫌な乗客、パート7

金野氏によれば飛行機に乗る楽しみとは、かつては下界の景色を見ることでした。何しろそれまで飛行機に乗ったことのある人など、ほんの一握りの国民でしたから。米軍による占領期間中は日本人が空を飛ぶことを禁止されていましたが、昭和27年(1952年)の講和条約発効と共に航空が再開され、日本人も空を飛べる時代となり、旅客を運ぶ航空会社だけでなく、遊覧飛行をする航空会社も誕生しました。

飛行場で遊覧飛行客が来るのを待つだけでなく、各地で遊覧飛行客を募集し、一定の数になると自衛隊や民間の飛行場を使用して一回二十分から三十分程度の遊覧飛行をしました。また商店街の大売り出しの一等の景品として、遊覧飛行の切符が出されたこともありました。ちなみに敗戦後日本で開発した旅客機 YSー11 の窓の位置が下方にあるのは、下界がよく見えるようにとの親心からでしたが(?)、身長170 センチ 以上の人には窓が低すぎて、水平線が見え難い窓の位置だったそうです。

Wtc1 平成13年(2001年)9月11日に ニューヨーク の WTC ( ワールド・トレード・センター)で起きた自爆 テロ の際には、CNN・ニュース が最初に伝えたことは、飛行機事故が起きたという ニュースでした。その映像を最初に見た金野氏は、奥さんに 「これはおかしい」 と言ったそうです。これまで飛行機が山や建物に衝突した事故の多くは機体の故障か、雲や霧で飛行機の位置が分からなくなったのが原因でした。写真はクリックで拡大。

ところが事故当日の天候は、航空用語で 「 カブ・オウケイ 」 CAV・OK、Ceiling And Visibility  OK ( 雲高、視程が良好 )の状態であり、上空は青空だったので旅客機の パイロット が気でも狂わない限り、 ワールド・トレード・センター ( WTC ) の ビル に、真っ直ぐ衝突するはずがないと思ったからでした。

Laguardia それに マンハッタン から最も近い距離にあり、主に国内線の飛行機が使用する ラ・ガーディア( La Guardia )空港や、遠くにあり 主に国際線用の J F K 、ケネディー空港 の離着陸時の飛行コースから WTC は本来離れていたからです。その後になって、二機目が突っ込み テロ だったことを知りました。写真は ラ・ガーディア空港。

自爆 テロ ではなく飛行機を利用して乗客が自殺したり、あるいは自殺しようとした例が日本にもありました。Atr

昭和40年(1965年)当時、大阪府の八尾空港に縄文航空の飛行訓練所がありましたが、自衛隊から転職した金野氏は、そこで民間機の機長になるための ライセンス( 定期運送用操縦士技能証明書 )を取る為に、飛行訓練を受けたそうです。

写真の下部に 7 4 6 とあるのは、日本で 7 4 6 番目の機長用 ライセンス の意味だと聞きました。ところでその当時、訓練所の職員の中に 顔一面に ヤケド の跡が残る、A 氏が勤務していました。

記録によれば昭和29年(1954年)2月21日、大阪府 中河内郡上空を飛行中の極東航空の大阪 一周遊覧飛行中の 「 オースター・オートカー 」 の機内で、遊覧客の岡山市中島田町の無職 斎藤某(26才)が、 マグネシウム など薬品を使い放火しました。

Auster1 機内は火に包まれましたが、パイロット は燃える飛行機を操縦して、かろうじて田んぼに不時着させました。放火犯人は機内で焼死し、操縦士と機関士が重傷を負いましたが、A 氏はその時の パイロット だったのです。放火犯人は百万円の保険に入ったばかりでしたが、保険金がもらえたかどうか不明です。写真はイギリス製の オースター・オートカー。

2007年2月20日 (火)

嫌な乗客、パート6

Tanima 金野内蔵 氏から聞いた話によれば、 V I P 用の マイクロバス に関連して別の話もありました。

ホンコン空港は ランタオ島に建設した チェック ・ ラップ ・ コック 空港が平成 10 年 ( 1998 年 ) に オープンする迄は、 九龍半島にある カイ ・ タック  ( 啓徳  )  空港を使用していました。

カイ ・ タック 空港に北側から計器進入し 着陸する際には、山があるので計器進入コースと滑走路とが 47 度の交角がありました。そのため低高度で旋回を続けて滑走路に正対するため、いわゆる 「 ホンコン ・ カーブ 」 を描き、 ビルの谷間を縫うようにして着陸します。

https://www.youtube.com/watch?v=3PCOcyt7BPI&list=PL74A8646D25AB22A9&index=2

その頃の話ですが、ある時 全日空の成田行きの便に、 大韓航空の会長 が乗客として乗ることになりました。 写真はクリックで拡大。

Okidori 相手の秘書からの事前要求により V I P 待遇をすることになりましたが、ホンコン空港で多かった業界用語でいう  「 沖取り、つまり ターミナルから離れた駐機場に飛行機を駐機 」 の場合には、一般乗客と一緒の バス輸送ではなく、特別に マイクロバス を用意せよとの御希望でした。

いつもは日本航空を利用しているのだが、今回は特別に全日空を利用してやるとの、ありがたいお言葉を頂戴しました。写真は 沖取りされた飛行機の列。

参考までに、大韓航空は ホンコンと成田の間を飛ぶ路線を持っていませんでした。

Vip2 会長ご 一行 三名さまが ターミナルに到着されたので、丁重に空港貴賓室にご案内申し上げましたが、そこで全日空の営業係員が搭乗手続きの為に、秘書から手渡された航空券を見ると、なんと呆れたことに全日空が特別の相手に配った、 ファースト ・ クラス用の無料優待券でした

つまり タダで乗る乗客だったのです。それを知らずに  ホンコンの空港支所長が会長の所にご挨拶に伺ったところ、あたかも蠅でも追い払うような手振りで、その場から早く立ち去れという無礼な態度をしたのだそうです。

後で支所長曰く 「 タダの切符で乗せて貰うくせに、何が V I P 扱いをしろだ、成り上がり者のくせに偉そうな態度をしやがって。今度搭乗を申し込みに来たら断ってやるから 」。

その後、日本航空に聞いたところでは、「 無料優待券で乗るくせに、いつも偉そうな態度をするので今回は断ったら、お宅に行きましたか?。 彼は他の航空会社でも評判がすこぶる悪いですねー。」

タダで乗れるものはなんでも利用するというのも一つの考え方ですが、それならそれらしく V I P 待遇をしろはないでしょう。

聞くところによれば大韓航空の会長は朝鮮戦争後に裸一貫から事業を起こし、起業家、経営者としては一応成功したものの、 育ちの悪さから   マナーに反する行為をしても 周囲の人から注意されずに成長した 為に、 礼儀知らずのままで企業の会長の地位にのし上がった人と言われています。

韓国には相手に対する礼儀とか、品格という概念が無いのかも知れませんが、最近の日本の政治家も品格とは無縁の人が増えたようです。

金野内蔵 氏によれば 大韓航空は昭和 37 年 ( 1962 年 ) に中古の飛行機を購入して始めた国営航空会社で、昭和 44 年に民営化されました。

昭和 40 年代~50 年代には日本に技術移転を迫る韓国の要望で、毎週金曜日の夜の日本発 ソウル行きの便は、日本人の コンピュータ 技術者などの  I  T  技術者でいつも混雑していました。

彼等は土、日、に韓国人に  I  T  技術の指導をしては日曜日の夜に帰国しましたが、韓国では戦後に 造船、製鉄、電子 ・ 家電製品、自動車産業などが全て日本人の技術指導を受けて成長したことなど、韓国の教科書に一字も書いてなく、全て自力で開発 発展させたことにしているので、韓国人はその事実を全く知らずにいます。 それについて詳しく知りたい人は ここをクリック

2007年2月15日 (木)

保持船、避航船

Takachiho3 宮崎県日向市漁協所属の漁船「幸吉丸」が沈没し乗組員ら三人が救助された事故で、衝突したとみられるマルエー・フェリー(鹿児島県奄美市)所有の貨物船「フェリー・たかちほ」(3,891トン)が今日(15日)昼、東京港に入港しました。今朝のワイド・ショウを見ていると、「フェリー・たかちほ」は以前にも見張り不十分で衝突事故を起こしていた。見張りの怠慢はけしからん。当て逃げではなか?。などと「フェリー」側が一方的に悪いように、コメンテーターが述べていました。写真はクリックで拡大。

以前の事故や、当て逃げかどうかの件はさて置いて、漁船には過失が無かったのでしょうか?。

ワイド・ショウで示した衝突直前の両船の位置関係を、船舶の運航関係者がひと目見れば、悪いのは漁船の側に決まっていると言うはずです。私は海事関係の学校で海事法規を学びましたが、陸上に道路交通法がある如く、海には 海上衝突予防法 があり、そこには下記の条文がありますが、後で参考にしてください。

Takachiho ややこしい条文の要点を簡単に説明しますと、相手を右側(右舷)に見る船は相手を避ける義務があり(避航船)、 相手を左側(左舷)に見る船はそのままの針路、速力を維持しなければならない(保持船)、という ルールです。写真はクリックで拡大。

Takachihocol これをワイド・ショウで示した、「フェリー・たかちほ」と漁船の位置関係に適用しますと、漁船は相手を右側(右舷)に見るので、「フェリー・たかちほ」を避けなければならない「避航船」であり、「フェリー・たかちほ」は相手を左側(左舷)に見るので、その針路、速力を維持しなければならない「保持船」ということになります。つまり衝突回避の責任は、
一義的には漁船側にあるということです

夜間には船の船橋附近や飛行機の翼(昼間も)には航海灯を点灯させますが、左側は赤灯で、右側は緑灯です。つまり相手の赤灯を見る船は、危険なので相手を避ける義務があることを示し、相手の緑灯を見る船は相手が避けるために安全とみなし、針路、速力を保持します。

あくまでも現時点での事故情報と、ワイド・ショウの位置関係が正しいと仮定した場合の話であって、前提条件が変われば、責任の所在がひっくり返る場合もあります。

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海上衝突予防法

(横切り船)
第十五条  二隻の動力船が互いに進路を横切る場合において衝突するおそれがあるときは、他の動力船を右げん側に見る動力船は、当該他の動力船の進路を避けなければならない。この場合において、他の動力船の進路を避けなければならない動力船は、やむを得ない場合を除き、当該他の動力船の船首方向を横切つてはならない。
2  前条第一項ただし書の規定は、前項に規定する二隻の動力船が互いに進路を横切る場合について準用する。

(避航船)
第十六条  この法律の規定により他の船舶の進路を避けなければならない船舶(次条において「避航船」という。)は、当該他の船舶から十分に遠ざかるため、できる限り早期に、かつ、大幅に動作をとらなければならない。

(保持船)
第十七条  この法律の規定により二隻の船舶のうち一隻の船舶が他の船舶の進路を避けなければならない場合は、当該他の船舶は、その針路及び速力を保たなければならない。
2  前項の規定により針路及び速力を保たなければならない船舶(以下この条において「保持船」という。)は、避航船がこの法律の規定に基づく適切な動作をとつていないことが明らかになつた場合は、同項の規定にかかわらず、直ちに避航船との衝突を避けるための動作をとることができる。この場合において、これらの船舶について第十五条第一項の規定の適用があるときは、保持船は、やむを得ない場合を除き、針路を左に転じてはならない。
3  保持船は、避航船と間近に接近したため、当該避航船の動作のみでは避航船との衝突を避けることができないと認める場合は、第一項の規定にかかわらず、衝突を避けるための最善の協力動作をとらなければならない。

2007年2月11日 (日)

嫌な乗客、パート5

航空会社は水商売であると六月のブログに書きましたが、水商売にとって嫌な客は政治屋(家?)、芸能人、スポーツ選手などです。これらはいずれも日頃から他人にちやほやされる クセ が付いているために、機内でもあたかも特権を持つかの如くに振舞ったり、横柄な態度をする連中が多いからです。本人だけでなくその配偶者まで、そのように振る舞う者がいました。

去年の暮れに縄文航空の金野内蔵氏と、親友である鶴丸航空の 機長 O B でした荒俣(あらまた)落太氏などと六人で忘年会をしましたが、昔話をする中で ある乗客のことが話題になりました。

Ksousaku その女性とは某野球監督の妻で平成 13年に数億円の脱税容疑でお縄になり、懲役 2年、執行猶予 4年、罰金 2,100万円を頂戴した女性でした。それまでは テレビ などで下品な顔をよく出していたので、ご記憶の方も多いかとも思います。写真は警察の家宅捜索を受けた時の 「Sチー」の家、クリックで拡大。

Zaseki767 その出来事は荒俣(あらまた)氏が鶴丸航空の成田発のニューヨーク線を飛んだ時のことでした。ファースト・クラスの ディナー が終了し 機内で映画が始まりましたが、「 S チー」は 座席を大きく リクライニングさせた為に、前に座っていた人の頭で映画が見え難くなくなりました。すると スチュワー「デス」を呼びつけてこう言いました。前の頭が邪魔だからさー、あんたなんとかしなさいよ。

自分が座席の リクライニングの角度を調節すれば済むことなのに、「Sチー」はそれをせずに 「デス」に解決を命じたのでした。前の座席にいた温厚な紳士が 「デス」の苦境を察して、映画が済むまで、ファースト・クラスの空いた座席に移動してくれたのだそうです。「Sチー」は、その行為を至極当然のこととしました。

ところで昭和40年代のこと、羽田空港 ビルの整備以前のため、飛行機に乗り降りするための乗客用の ボーディング・ブリッジ が無く、業界用語で「沖取り」と呼ばれるターミナル前の広い駐機場に止めた飛行機に、ターミナル・ゲートから、徒歩やバスで乗客を輸送する方法をとっていました。

あるとき某大臣の一行が九州に行くために、縄文航空の定期便に乗ってきましたが、大臣は V I P ですから会社もそれなりの接遇をして、ゲートから飛行機まで乗客輸送用の一般のバスではなく、豪華な マイクロバスに大臣一行を乗せて乗客の最後から搭乗してもらいました。

Jingasa その中に九州出身の A という陣笠代議士( ヒラ の国会議員)がいましたが、帰りは大臣と一緒の飛行機ではなく、数日遅れて羽田に帰りました。

陣笠代議士が乗った帰りの便が羽田に到着し沖取りの位置に駐機すると、彼は V I P 待遇を要求し、「一般の バスではなく、往路と同じように専用の マイクロバスを用意しろ」と「デス」に要求しました。

ところで陣笠とは、写真に写る最下級の兵士である足軽(あしがる)が、 「カブト」 の代わりに被る笠のことですが、そこから 政党の幹部に追従する連中のことを、陣笠と言うようになりました。

金野氏が無線で会社に連絡したところ、陣笠代議士は V I P に該当しないので出せないとの答でした。それを 「デス」経由で伝えると陣笠は ヘソ を曲げて、 「マイクロバスが来るまで、俺は飛行機から降りないぞ」と宣言しました。

金野氏も 「デス」も シップ・チェンジ (別の飛行機に乗り換える)をして、札幌行きの最終便に乗務のため降機することになりましたが、この機体は今日はもう使用しないため、交代の クルーは搭乗せず、整備士には陣笠代議士についての事情を説明して、別の飛行機に向かいました。

Tyakan 後日聞いた話によれば 「デス」も乗員もいなくなり、整備士が 「今から飛行機を牽引して夜間駐機場に移動するため、客室の照明を切る」 旨を伝えたところ、さすがの陣笠も諦めて飛行機から降りることにしました。そこで整備士が整備作業用の汚い車で、陣笠を ゲートまで乗せて行ったそうです。

2007年2月 6日 (火)

嫌な乗客、パート4

Passportc 金野氏から聞いた話によれば、以前こういうことがありました。ホンコンで他社の飛行機から縄文航空の成田行きに乗り継いだ外国人が、成田に到着後に パスポートを所持していないというのです。そんなバカなことがあるはずがないと思われますが、実際にあったのです。

パスポートが無いので成田で入国ができずに、縄文航空の責任と費用負担で再びホンコンまで送り返すことになりました。あとで聞いた話によればホンコンでも、もちろん入国できずに、出発地であるマレーシアの首都 クアラ・ルンプールまで マレーシア航空で送り返されました。しかしそこでも入国できずに、結局 クアラ と成田の間を十日間近くも ピンポン 球のように往復し続けたのだそうです。

Malaysia つまりどういう意図か分かりませんが国籍を証明する パスポートを初め、書類を全て機内かあるいは空港の便所やゴミ箱に棄ててしまい、無国籍者を装ったのでした。その男はいつまで経っても、どこの国にも入国できなかった為に、最後はやむなく自分が マレーシア国籍を持つていることを自供したために、マレーシア政府が引き取ったのだそうです。写真はクリックで拡大。

Spoilers_1 ところで古い航空関係者であれば モスクワの シェレメチェボ 空港で起きた鶴丸航空の DCー8 型機による墜落事故をご存知と思いますが、非番の副操縦士をしていた大学の二年後輩の男も、その時に死亡しました。「デス」と職場結婚をして子供が二人いましたが、気の毒なことでした。

この事故は昭和 47 年(1972年 )に起きましたが、離陸直後に副操縦士が車輪を上げるつもりで、着陸時に翼の上に立てる スポイラー( Spoiler、抵抗板)を誤って操作したために失速したといわれていて、六十二名が死亡しました。

操縦室の事故当時の録音によれば
離陸の操縦桿を引きながら、機長の声「やっこらさ」、「ギアー(車輪)アップ」、「おい、それはなんだ」
当番の副操縦士の声、「済みません」

写真は着陸の際に接地直後に翼の揚力を急激に失わせ、車輪のブレーキの効きを良くするための、グラウンド・スポイラーが立った状態ですが、その後の飛行機では手動ではなく自動で立ちます。

Sheremetievo その シェレメチェボ 空港からある時、偽造パスポートを使い日本に出国しようとした男がいました。航空会社のカウンターでのパスポート、ビザの確認には O Kだったものの、出国時の パスポート・コントロールで偽造が発覚して逮捕された事件がありました。写真はその空港。

縄文航空のカウンターで働く アエロフロート・ロシア航空( 旧ソ連航空 )からの出向社員が、旅客の男の態度から怪しいと判断して、預けた バゲッジに目印の赤い布を付けておいたので、その男の荷物を機体後部にある バラ積みの貨物室から、簡単に取り下ろすことができたのだそうです。さすがは元 K G B ( 秘密警察組織 )の国であると金野氏も感心したそうですが、もしかしたらその係員も、元 K G B の職員だったのかも知れません。

2007年2月 1日 (木)

嫌な乗客、パート3

金野氏から聞いた話によれば、ある時成田からロサンゼルス行きの便に乗務のため、出発の1時間半前に出社し、運航管理者とのブリーフィングでいつものように、天候のチェックをし飛行計画を立てましたが、その際に乗客として ディポーティー( Deportee )が乗る旨の連絡を受けました。スチュワー「デス」に対するブリーフィングの際にも確認しましたが、「デス」もその情報をすでに得ていました。

Criminal 日本において何らかの犯罪を犯し、国外強制退去( Deportation )命令を受けた外国人を クリミナル・ディポーティー (Criminal Deportee )と呼びますが、最も多いのは、オーバー・ステイ( Over stay、違法滞在 )や違法就労者が摘発された場合です。金野氏の時は強制退去を命じられて、ロサンゼルスに行くアメリカ人でした。

犯罪者を輸送する場合は一般乗客の搭乗に先立ち、警察官が付き添って機体後部の座席に座りますが、形式犯である違法滞在、違法就労の場合には、機体の入り口ドアの所まで入管職員が付き添ってきて搭乗させます。写真はクリックで拡大。

入管職員の役目はディポーティーの逃亡を防いで確実に飛行機に乗せ、国外に退去させることなので、飛行機の全ての ドアーが閉まるまでは、附近で監視に当たるのだそうです。

Tejou2 ある時金野氏はホンコンから日本人の犯罪容疑者を成田まで運んだそうですが、国外退去を命じられた容疑者(ディポーティー)に手錠を掛けて、ホンコンの警官が飛行機のドアの所まで連行し、そこで手錠を外して、待ち受ける日本警察の捜査員に引き渡しました。

日本の警察は外国では勿論警察権を行使できないので、飛行機が公海上に出てから初めて逮捕状を執行し、手錠を掛ける手続きをとるのだそうです。

日本の警察は俗に「腰縄」といわれるように、手錠に付けた捕縄(ほじょう)を腰に回して結び、犯人の自由を拘束しますが、金野氏が沖縄から米兵の犯罪者を羽田まで輸送したときには、米軍の憲兵が制服姿の兵士に手錠を掛けていて、それを縄ではなく、鎖で腰に固定していたそうです。手錠姿を空港ロビーの乗客に見られるのが恥ずかしいのか、不自由な両手で帽子を持ち手錠を隠していました。

ところで違法滞在や違法就労などによる強制送還の場合の航空運賃は、原則として本人負担ですが、カネ が無ければ政府が立替えて航空会社に支払い、あとで建前上は本人に請求します。

Kekkou テロリストの疑いや麻薬犯罪の前歴がある者などの、好ましからざる人物や、必要な入国ビザを持たない者に対しては、入国審査の際に入国拒否をしてそのまま次の便に載せて送還する場合がありますが、その場合の航空運賃は、その人物を乗せてきた航空会社が負担します。

その理由は法律により搭乗手続きの際には、乗客が有効なパスポートを所持し、相手国への入国に必要なビザの保有確認を、航空会社に義務付けているからです。

Anita 今朝のテレビを見ていたら、青森県住宅供給公社から14億円余りを横領した元同公社職員の チリ人妻で、元売春婦のアニータ・アルバラードが昨夜成田から入国しましたが、入国許可に三時間かかりました。彼女をターゲットにした、テレビ番組の録画撮りに来日したのだそうですが、不正な カネ であることを知りながら 8億円もの大金を貢いでもらい、それを消費した者に対しては 「好ましからざる人物」 として、入国拒否すべきだと思ったのは私だけでしょうか?。

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