嫌な乗客、パート6
金野内蔵 氏から聞いた話によれば、 V I P 用の マイクロバス に関連して別の話もありました。
ホンコン空港は ランタオ島に建設した チェック ・ ラップ ・ コック 空港が平成 10 年 ( 1998 年 ) に オープンする迄は、 九龍半島にある カイ ・ タック ( 啓徳 ) 空港を使用していました。
カイ ・ タック 空港に北側から計器進入し 着陸する際には、山があるので計器進入コースと滑走路とが 47 度の交角がありました。そのため低高度で旋回を続けて滑走路に正対するため、いわゆる 「 ホンコン ・ カーブ 」 を描き、 ビルの谷間を縫うようにして着陸します。
https://www.youtube.com/watch?v=3PCOcyt7BPI&list=PL74A8646D25AB22A9&index=2
その頃の話ですが、ある時 全日空の成田行きの便に、 大韓航空の会長 が乗客として乗ることになりました。 写真はクリックで拡大。
相手の秘書からの事前要求により V I P 待遇をすることになりましたが、ホンコン空港で多かった業界用語でいう 「 沖取り、つまり ターミナルから離れた駐機場に飛行機を駐機 」 の場合には、一般乗客と一緒の バス輸送ではなく、特別に マイクロバス を用意せよとの御希望でした。
いつもは日本航空を利用しているのだが、今回は特別に全日空を利用してやるとの、ありがたいお言葉を頂戴しました。写真は 沖取りされた飛行機の列。
参考までに、大韓航空は ホンコンと成田の間を飛ぶ路線を持っていませんでした。
会長ご 一行 三名さまが ターミナルに到着されたので、丁重に空港貴賓室にご案内申し上げましたが、そこで全日空の営業係員が搭乗手続きの為に、秘書から手渡された航空券を見ると、なんと呆れたことに全日空が特別の相手に配った、 ファースト ・ クラス用の無料優待券でした。
つまり タダで乗る乗客だったのです。それを知らずに ホンコンの空港支所長が会長の所にご挨拶に伺ったところ、あたかも蠅でも追い払うような手振りで、その場から早く立ち去れという無礼な態度をしたのだそうです。
後で支所長曰く 「 タダの切符で乗せて貰うくせに、何が V I P 扱いをしろだ、成り上がり者のくせに偉そうな態度をしやがって。今度搭乗を申し込みに来たら断ってやるから 」。
その後、日本航空に聞いたところでは、「 無料優待券で乗るくせに、いつも偉そうな態度をするので今回は断ったら、お宅に行きましたか?。 彼は他の航空会社でも評判がすこぶる悪いですねー。」
タダで乗れるものはなんでも利用するというのも一つの考え方ですが、それならそれらしく V I P 待遇をしろはないでしょう。
聞くところによれば大韓航空の会長は朝鮮戦争後に裸一貫から事業を起こし、起業家、経営者としては一応成功したものの、 育ちの悪さから マナーに反する行為をしても 周囲の人から注意されずに成長した 為に、 礼儀知らずのままで企業の会長の地位にのし上がった人と言われています。
韓国には相手に対する礼儀とか、品格という概念が無いのかも知れませんが、最近の日本の政治家も品格とは無縁の人が増えたようです。
金野内蔵 氏によれば 大韓航空は昭和 37 年 ( 1962 年 ) に中古の飛行機を購入して始めた国営航空会社で、昭和 44 年に民営化されました。
昭和 40 年代~50 年代には日本に技術移転を迫る韓国の要望で、毎週金曜日の夜の日本発 ソウル行きの便は、日本人の コンピュータ 技術者などの I T 技術者でいつも混雑していました。
彼等は土、日、に韓国人に I T 技術の指導をしては日曜日の夜に帰国しましたが、韓国では戦後に 造船、製鉄、電子 ・ 家電製品、自動車産業などが全て日本人の技術指導を受けて成長したことなど、韓国の教科書に一字も書いてなく、全て自力で開発 発展させたことにしているので、韓国人はその事実を全く知らずにいます。 それについて詳しく知りたい人は ここをクリック
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