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2007年3月 1日 (木)

嫌な乗客、パート、8

[その、一]
Fokker3m 飛行機を利用した自殺の最初は、今から76年前の昭和6年(1931年)3月に起きました。東京発大阪行きの日本航空輸送の定期旅客機 フォッカー3型が、三重県と滋賀県の境を南北に横たわる鈴鹿山脈の上空を飛行中に、乗客で カバン屋の店員だった 須山某(27才)が トイレの窓から飛び降り自殺しました。動機は近所の カフェー(当時の酒場)の女給(ホステス)に失恋したためでした。写真はクリックで拡大。
  
[その、二]
Dc3 昭和34年1月2日,山口県柳井市沖の瀬戸内海 上空を飛行中の全日空大阪行 DCー3型機内で、乗客の大分県玖珠郡九重町の生菓子仲買い人の恵本某(31才)が、便所のなかに ダイナマイトを仕掛けたうえ、飛行機の ドアを開けて飛び降り自殺しました。犯人は新婚旅行中であり、神経衰弱による計画的犯行と断定されました。幸運にも雷管が不発だったため機体爆破はまぬかれたが、死にたければ他人を道連れにせずに、自分一人で勝手に死ぬべきだと思います。

[その、三]
昭和34年(1959年)3月24日のこと、日東航空の徳島発大阪行き不定期水上旅客機 「デ・ハビランド・ビーバー」の機内で、乗客の徳島市住吉本町の元県経済農協勤務の湯浅某(38才)が、機内に ガソリンを撒いて火をつけようとしました。それに気付いた乗客によって阻止され、犯人は放火、殺人未遂などの容疑で逮捕されました。勤務先だった農協で公金を使い込み、ヤケになっての犯行でした。

[その、四]
Akan 北海道の阿寒湖めぐりの遊覧飛行機が アベックを乗せて飛行中に、突然火災になる事故が起きました。昭和41年(1966年)9 月8日午後のこと、北海道川上郡弟子屈(てしかが)町、町営飛行場から飛び立ち、阿寒湖、雄阿寒岳、雌阿寒岳めぐりの遊覧飛行を終えて、飛行場に着陸の態勢にはいった横浜航空の セスナ175型機が、高度約百メートルの上空で、後部座席から突然火を吹きました。

ところが二人の乗客のうち弟子屈町川湯温泉の ホステス嬢(19才)は、高度約四十メートルの上空から機外に落ちて即死しました。連れの男性乗客の小高某(65才)は、同機が炎上しながら着地すると機外に飛び出してそのまま姿を消しました。

ヤケドの重傷を負った今村操縦士によれば、「急に背中が熱くなったのでうしろを振り返ってみると、女の人がドアをあけて飛び降りようとしていたので、左手で女の人を押えながら片手で操縦した。男はガソリンに火をつけていた」と述べました。この証言で小高某が機内で放火し、自殺または女性と無理心中をはかったともみられました。男は同飛行場から六百メートルほど離れた鐺別(とうべつ)川桜橋上流で、死体となっているのを発見されました。

[液体の機内持ち込み禁止]
昨年8月、英国で液体爆発物を使った航空機爆破テロ未遂事件が発覚したことを受け、国際民間航空機関(ICAO)が加盟各国にガイドラインを通知しました。100ミリリットルを超えるあらゆる液体物の客室内への持ち込みは禁止とし、欧米では同様の規制が行われていますが、日本でも、今日(3月1日)から出発するすべての国際線で適用されます。

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コメント

珍しいフォッカーの3発機ですね。どう見ても不細工なので、3発機はもう作られないだろうと思っていたら、JET時代になってトライスターが華々しく登場したので驚きました。
今思えば、乗ってみると客室部分の直径がずいぶん細かった印象です。

確かに不細工な格好ですが当時のエンジンの性能が低かったので、性能上からやむなく三発動機にしたと思います。当時は高翼機が主流でしたが四発動機にすると、主翼に掛かるエンジン重量が重過ぎて、主翼と胴体の接合部に掛かる応力に耐えうる、軽くて強い超々ジュラルミン (アルミ合金 A7075) のような金属材料が、未だ開発されなかったため、構造的に無理でした。

ところで三発エンジンのジェット機の始まりは、短距離選手の B-727 型機で、その後 ロッキード社の トライスター、ダグラス社の D Cー10、マクダネルと合併して MD-11 となり、大出力の ジェットエンジンの開発により、現在の双発機の時代になりました。

しかし更に大型の B-787 では、やはり四発です。

そうでしたね。橋幸夫と吉永小百合がデュエットで歌っていましたね。↓オジさんの昭和回顧録http://homepage1.nifty.com/koshifumi/fdc-natsukashi2.htmlから引用
>1966年(昭和41年)には日活映画でB727投入記念の映画「大空に乾杯」が製作され、全日空のスチューワデスに扮した吉永小百合が「♪夢のジェット機 セブンツセブン・・♪」と主題歌を歌いました。日航の727は赤軍派の日本初のハイジャック「よど号」事件の機体としても知られています。

話は違いますが、今日、全日空安全教育センターを、JR福知山線事故と明石歩道橋事故の犠牲者の遺族が見学したそうですね。
JR西も車体の保存展示など見習うべきです。

最高時速 120キロ前後でレールの上を走る福知山線の安全と、三次元の空間を時速 800キロで飛ぶジェット機の安全と、どのような関係があり、見学の結果、列車の安全にどのような効果があるというのでしょうか?。

さらに大阪と東京間の交通費、バス代、食事代は誰が負担したのでしょうか?。自費であって JR 西日本や、歩道橋j事故の担当自治体ではないことを願います。

私は事故の度にいつも思いますが、ご遺族様という 「錦の御旗」 を貰うと、相手の弱みにつけ込んで無理難題を要求し、それが通るのがおかしいと感じています。福知山線の事故後に同じ色の電車を見ると事故を思い出すから色を変えろと JR 西日本に要求し、車両の色を変えさせました。何とアホらしいこと。

池田市の教育大付属小学校では1~2年生の8名が殺されたのに、卒業を控えた6年生の親達が PTSD(心的傷害) を児童が負ったから、全員を付属中学へ無条件で入学させろと「いいがかり」を付けて、受け入れられました。縄文航空や鶴丸航空の事故ではいつも、そこのけそこのけ、ご遺族様のお通りでした。

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