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2007年3月 6日 (火)

嫌な乗客、パート、9

Ninsou 昭和46年(1971年)11月24日のこと、北米太平洋岸のオレゴン州にあるポートランド国際空港から、ノースウエスト・オリエント航空の シアトル行き B-727型機に、40才代の白人のビジネスマン風の男が ダン・クーパーの名前で搭乗手続きをしました。似顔絵はクリックで拡大。

727_40301_0 飛行中に彼はスチュワー「デス」に爆弾を持っていると告げて、カバンの中身を示し飛行機をハイジャックしました。飛行機が シアトル空港に着陸すると乗客を解放する条件として、四つの パラシュートと 二十ドル紙幣で合計二十万ドル(当時の為替レートで五千万円)を要求し、受け入れられました。飛行機が離陸すると今度は パイロットに対して、メキシコに向けて高度一万フィート( 三千三百メートル )以下で飛行することを命じました。写真は同じ会社の、ボーイング 727型機。

Aftstair 「デス」が見ているとクーパーはカネの入った袋を彼の腰の回りに付け、パラシュートを背中に装着し、予備の パラシュートとして胸に一つを着けました。数分後に操縦室のパイロットは、客室の最後部にある出入口ドアが開いたことを示す警報ランプの点灯に気付きましたが、クーパーが自分で最後部の客室ドアを開け、尾部搭乗口の階段( Aft stair )を下ろして飛行中の機体から、氷雨の降る夜の空中へ脱出して行きました。写真は階段を下ろした状態ですが、乗客の搭乗、降機、荷物の積み込みなどの際には、重心の変化により機体の尻モチ防止の為に必ず階段を下ろします。

その後、犯人のクーパーもカネも発見されませんでした。FB I によれば当時は風が強く、彼の装備(ビジネスマン風の服装等)も脱出や地上における逃走に適していなかったので、生存できる可能性は少ないとしました。

ところで フロリダに住む不動産業を営む女性のウエバーが最近話したことによれば、彼女の夫であった七十才の男が平成七年(1995年)に死の床で、自分が ハイジャック犯人のダン・クーパーであることを告白したのだそうです。妻のウエバーによれば夫とはハイジャックの犯行の六年後に、アトランタで知り合ったとのことでした。

当局によれば ダン・ウエバー( 犯人のクーパー )は陸軍の軍歴があり、シアトル近郊の刑務所に入所した前歴もあり、この物語の信憑性について見守っているとのことでした。

事件から九年後の昭和55年(1980年)に、事件に大きな展開がありました。ワシントン州とオレゴン州の州境を流れるコロンビア川の砂州で遊んでいた八才の子供が、引き裂かれ、腐った六千ドル近くの現金を拾得しましたが、クーパーの ハイジャック事件に関係した カネでした。これから想像すれば犯行の当夜 クパーは厳しい状況に直面したに違いないということで、その結果 カネが流されて河口近くで拾得されました。六千ドルの現金は航空会社が加入していた保険会社と、子供の両親で折半されました。

クーパーの残りの カネについては今後森で狩りをする ハンターか、あるいは ハイカーが偶然に発見するかも知れませんし、平成元年(1989年)以来 クーパーの カネを探し続けている陸軍の サバイバル教官で、ベトナム帰還兵の ジェリー・トーマスが先に発見するかも知れません。

Aftentrance ハイジャック事件の教訓から飛行中に最後部にある乗客乗降口の階段( Aft stair )を下ろせないように、B-727型機の機体が改修されましたが、金野氏もその当時、同じボーイング727型機の機長をしていたらしいと聞きました。

写真は前述の階段を下ろした状態ですが、犯人はこの階段を下りて行き パラシュートで脱出しました。写真は階段の上から撮ったものですが、右側のパネル(覆い板)を外した状態です。

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コメント

右の顔写真に見覚えあり。後日譚は知らなかったので、とても興味深く拝見しました。
いま、ガルーダ・インドネシアB737の映像を見ましたがもの凄いですね。

飛行機事故はどこの国で起きても胸が痛みますが、なるべく事故率が高い会社の飛行機には乗らないことです。危ない順に

1:中華航空(台湾)
2:エアー・インディア
3:パキスタン航空
4:大韓航空
5:フィリピン航空
6:ガルーダ

中国の会社とタイ航空はデータが不明。

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