ヘリの事故に思う
[ そ のー1]
那覇市にある陸上自衛隊所属のヘリコプター、C H-47が徳之島の山に衝突し、乗員四名全員が死亡するという事故が起きました。
徳之島の病院から鹿児島県を通じて、急患を沖縄県の病院に輸送してほしいという要請を受け、3月30日の午後9時50分ごろ沖縄那覇空港を離陸し徳之島に向かいました。
当初の計画では東部の徳之島総合グラウンドに着陸する予定でしたが、視界不良のため行き先を島北西部の徳之島空港に変更しました。到着する前に墜落しましたが、恐らく天候不良のため、飛行中に周囲を雲に囲まれ視界を失い山に衝突したと思います。写真はクリックで拡大。
墜落した自衛隊 ヘリで搬送される予定だった徳之島の七十代の女性患者は、翌日午前9時54分 鹿児島県鹿屋市自衛隊第一航空群司令部のUH60J ヘリで那覇空港に搬送されました。受け入れた南部徳州会病院によると、「一時、脈が弱くなったようだが現在は安定している。」と回答があったそうです。
ヘリの機長の建村3等陸佐(54才)は4,850時間の飛行時間を持ち、定年退職する前の最後の フライトだったといわれていますが、お気の毒なことでした。
CHー47は愛称を チヌークといい1961年(昭和36年)に初飛行の、双発 ツインローターの全天候大型輸送 ヘリで、兵員、弾薬、物資の輸送、傷病者の輸送などに使用されてきましたが、設計から40年以上経過という古さを補う為に、新型 レーダーや、衛星利用測位 システム( GPS )などの航法装置を備えていました。
[ そ の - 2 ]
ところで昭和 35 年の冬のこと海上自衛隊大湊基地所属の 救難 ヘリコプターが、今回と同様に急病患者を輸送するため基地を離陸しましたが、吹雪に阻まれて目的地に到達出来ずに、基地に戻る途中に エンジン の故障(おそらく気化器の凍結)により、海岸から 200 メートル沖合いに不時着水しました。
乗員達はそこから泳いで海岸に向かう途中に、冷たい海水により体温が低下し、岸に泳ぎ着いた後に四名全員が死亡した事故がありました。
老婆の命を救う為に妻子ある有能な隊員四名の生命が失われましたが、その急患とは腹痛の患者で実は痛みの激しい胆石や、急性盲腸炎でもなく、当時の農村に多かった回虫による一時的な腹痛でした。
ところが自衛隊 ヘリ の出動要請をした村の代表者も 寄生虫持ちの ババア の家族 も 誰一人殉職隊員の合同葬儀へ焼香に来なかったというので 、自衛隊員たちは憤慨していました。
今回の第101飛行隊は、鹿児島県 ・ 奄美諸島から日本最西端の沖縄県 ・ 与那国島までの離島の急患輸送を担当していて、年間に約 300 回の出動があり、昭和 47年の部隊発足以降、これまでに 約 7,600 人 の患者を運んだそうですが、沖縄県人は自衛隊員に、はたして感謝しているのでしょうか?。
私は戦争被害者意識の強い沖縄県人に言いたいのです。
「 沖縄における地上戦での県民死亡者数 ( 122,228人、そのうち一般人は 94,000 人、軍人・軍属 28,228人) だったが、それよりも多い人々が、広島 ( 約 1 4 万人 )、長崎 ( 9 万人 ) の原爆や、昭和 20 年 ( 1945 年 ) 3 月 10 日および、4 月 13 日の東京大空襲で ( 1 0 万人 ) が死んだことを知っているのか?。
全国で 60 箇所以上の都市が 空襲 や 艦砲射撃 で被害を受け、被害が 4 千人 以上の府県だけでも 大阪府 15,784 人、愛知県 13,359人、兵庫県 12,427人、鹿児島県 4,601人の死者を出しました。
戦争の犠牲者は沖縄県人だけではないぞ 」 と。
シルバー回顧録へ戻るにはここをクリック
« 泡沫消火剤の散布 | トップページ | 空姐(コンジェ)の訓練 »
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
自衛隊の定年は55歳でしたか、子息が幹校へ入られるのを喜んでいたそうですが、年齢的には、民間ヘリパイロットへの転身などは考えないのでしょうか?
どこの国か忘れましたが、むかし、多くの犠牲者を出した緊急出動時の航空機事故は、まだ空港のない離島の公立病院の独身看護婦(当時の呼称)さんの子宮外妊娠手術時輸血用血液の輸送投下任務の時だったと記憶しています。手術は事故後の島民の輸血で成功したそうです。
チヌークのデビューの頃ですから、まだ適当なヘリが配備されていなかったのでしょうか。
投稿: Y.S | 2007年4月 3日 (火) 08時54分
自衛隊員の定年は特に階級の下の方で延長され、以前は 45才でした 2曹(旧軍の階級では軍曹)の定年が 53才になり、1尉(大尉)までが 54才、2佐(中佐)までが 55才、1佐(大佐)が 56才になりました。
しかし定年前に勧奨退職(?)すると、一般公務員並に退職金の割り増し支給が受けられたので、若年退職する人もいましたが、現在もその制度があるかどうか不明です。
退職前教育というのが定年 3ヶ月前にあり、そこでは、高位高官の退職者に対して、 「 過去の経歴を 誇ることなかれ 」 などと教わるようです。
退職後民間 ヘリ の パイロット になれるかどうかについては、自衛隊免許が民間では通用しないので、( 外国の軍隊では多くの国で、書き換え可能)新たに免許を自費取得する必要がありますが、費用の面で採算が取れない、のではないかと思います。
当時の ヘリ の飛行性能では、片道 340 キロ の距離を洋上飛行するのには、無理だったのかも知れません。
投稿: Y.O. | 2007年4月 3日 (火) 10時20分
沖縄人ではなく徳之島の人の間違いではないですか?
投稿: | 2009年7月29日 (水) 01時05分
ヘリの事故があったのは鹿児島県に属する徳之島なので、貴方の投稿にある 「徳之島の人 」 が正解です。失礼しました。
私が言いたかったのは鹿児島県民には反自衛隊感情がほとんど無く、それに比べ沖縄県民は、 昭和 47 年 ( 1972 年 ) の本土復帰後に本土からやって来た、労働組合員、左翼主義者に洗脳され、反自衛隊感情や戦争被害者意識が特に旺盛な状態です。
それに対して本土でも空襲 ・ 艦砲射撃 ・ 原爆などで沖縄県民の何倍もの死傷者が出たことを、指摘したまでです。
投稿: カネノ | 2009年7月29日 (水) 08時12分