空姐(コンジェ)の訓練
昭和40年代末期に中国民航が国際線に進出しましたが、その後に縄文航空で中国民航のスチュワーデスの訓練をしたことがありました。その理由は共産主義国家における長年の社会習慣から、女性服務員 ( スチュワーデス ) にとって接客に必要な サービス 精神の欠如を、外国人乗客に指摘されたからでした。このままでは外国人乗客が乗らなくなる、と思ったからでしょう。
金野氏が初めて北京に行ったのは、昭和 52年(1977年)のことでした。その当時は文化大革命が終了し毛沢東が死亡 (1976年)した直後でしたが、鄧小平(とうしょうへい)主導による改革開放政策がおこなわれる前のため、中国社会は貧しくてひどい状態でした。男も女も人民帽を被り服は紺色かネズミ色のだぶだぶの人民服で、遠くから見ると男女の区別が分からず、背の高さの違いで見分けるほどでした。
共産主義の国では サービス精神というものが基本的に存在しないので、我々にとってはこの上もなく不便で不愉快なものでした。当時北京で最高級の北京飯店 (国営のホテル)でさえも、レストランに食事に行くと ウエ-トレス達は、客が呼んでも無視して仲間同士の雑談に耽り注文を聞きに来ず、ようやく来た仏頂面で横柄な態度の ウエ-トレスに注文を聞いてもらい、食事をさせてもらう状態でした。
彼女たちにとってお客とは、仲間同士の雑談を妨害する不届き者でしたが、生ぬるい食後の コーヒーを飲まされたあげく、彼女達の給料の半月分に相当し、当時の我々にとってもやや高い 二千五百円程度を夕食代に支払ったものでした。しかしその当時 レストランに入ってから最初の料理が運ばれるまで、一時間も待たされた モスクワの ホテルよりも未だ マシ でした。
どんなに勤務態度が悪くても解雇されない。しかも上司による勤務評定も無い。さらに同一労働同一賃金の原則から仕事に努力しても、怠けていても貰う給料は皆同じ。という日教組の主張とそっくり同じの、共産主義国家における労働の制度的欠陥によるものでした。
そういう考え方の中国人女性達を教育した、縄文航空の客室訓練係もさぞ大変だった事でしょう。ホテルのウエートレスやスチュワーデスの勤務態度だけでなく、その当時中国民航機の出発や到着がどれほど遅れても、乗客には一切説明をしないので有名でしたが、飛行機に乗せてもらうだけでもありがたく思え、という会社の方針からでした。
それから三十年後のこと、最近では日本と同じように中国にも、スチュワーデスの養成を目的とした学校が初めて誕生しました。中国の南昌にある航空工学学院に中国語で 空姐 (コンジェ)という スチュワーデスの空中乗務科 が開設されましたが、今後ますます需要が伸びるスチュワーデスの養成に当たるのだそうです。写真はクリックで拡大。
かつての中国では現在の北朝鮮と同様に、公務員である女性従業員たちは客に笑顔を見せると自分が損でもするように、笑顔を絶対に見せないので有名でしたが、この写真を見ると女性達の表情も明るく豊かになり、資本主義国並になりました。
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