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2007年4月19日 (木)

飛行機雲

Contrail0 飛行機雲を初めて見たのは62年前の、昭和20年(1945年)のことでした。当時米軍機の空襲を避ける為に、東京から長野県の山奥の寺へ学童集団疎開をしていましたが、気象観測や写真撮影などのために単機で飛ぶB-29爆撃機がやってきました。写真はクリックで拡大。

B29 日本の戦闘機がその高度まで飛べず、高射砲の弾もとどかない高度七千~八千メートルの高空を、飛行機雲を引きながらゆうゆうと飛ぶ B-29 爆撃機を見ると、子供心にも日本と アメリカの技術力の格差を思い知らされました。                           

金野氏によれば、昭和20年代の気象の本には成層圏について、以下のような説明がありました。高空に行くにつれて気温が低下するものの、ある高度に達すると マイナス45度の一定の値になり、そこでは気流の乱れも無くそれを成層圏と呼ぶのだそうです。つまり戦時中はもちろんのことその当時まで、日本人では誰も成層圏を飛んだ者がいなかったので、気象学の本にもそのような誤りが堂々と書いてあったとのことでした。

ところが後に ロンドン、モスクワなどの国際線を飛んだ金野氏の話によれば、マイナス 45度どころか冬季のシベリア大陸の上空、高度一万メートルでは マイナス 70度近くまでも気温が下がり、空気と翼の摩擦熱による翼の温度上昇があるものの、タンク内の燃料の凍結が心配になったそうです。 ちなみに スペースシャトル が大気圏に突入する際の空気との摩擦による温度上昇は、1,400度に達しますが、巡航中の ジェット旅客機の速度では、せいぜい15~20度上昇する程度だそうです。

Cont3 飛行機雲のことを コントレールといいますが、正確には Condensation trail( 凝結の航跡 )だそうです。自分の機体が飛行機雲を引いているかどうかは操縦席では分かりませんが、航空路ですれ違う他機や、先行機が飛行機雲を引いていれば、自分も引いているものと推測します。太陽との位置関係によっては地面や水面に自機の影が映るので、飛行機雲を引いていればその影も見えるそうです。

金野氏から聞いたところによれば、飛行機雲の発生条件としては

1:気温が、 マイナス35~40度C よりも低いこと。
2:大気中に水分が含まれていること。

Cont1 だそうです。飛行機雲の発生原理とは、過冷却 ( 零度C 以下でも水分が凍らない ) の状態にある高空の大気を エンジンでかく乱するため、排気ガスに含まれる一酸化炭素(CO)、窒素酸化物(NXO)、炭化水素(HC)の微粒子などが、凝結する際の核、つまり飛行機雲の 「 タネ 」 になり、大気中の水分が急速に凝結し雲を形成します。しかし上空の大気が乾燥していれば飛行機雲はでき難く、湿潤状態であればでき易くなります。

Contrail5 逆にいえば、飛行機雲が長時間消えなければ、湿った空気が上空にある証拠なので天気は下り坂であり、その反対に飛行機雲ができなければ、空気が乾燥している為に好天が続きます。そして短時間に飛行機雲が消えれば、明日の天気は晴れるとのことでした。

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コメント

>>飛行機雲を引きながらゆうゆうと飛ぶ B-29 爆撃機を見る・・
終戦の夏は岐阜・長野県境の村の国民学校1年生、キラキラ銀色に輝く米粒のようなB-29の編隊が、恵那山上空を悠々と北へ去るのをみんな表に出て見上げたのをよく覚えています。
引き返していく、日本軍の戦闘機も黒く見えたと思います。
日本軍の飛行機をはっきり見たのは、ただ一度、(たぶん特攻出撃の数日前)迷彩色も鮮やかな双発の戦闘機が超低空で村の上空を数回旋廻、通信筒を生家の近くに投下して、翼を振って南の方へ飛び去りました。
操縦士の顔も分かるほどで、たぶん複座の綺麗な機体で、村中の人が表の中山道に出て手を振っていました。
今思えば、あの時代、彼らは正式に部隊の許可を取って飛来したのでしょうか・・それとも訓練の途中だったのでしょうか・・ときどき不思議に思います。

郷土訪問飛行というのがありました。 パイロットとしての一応の訓練が終わりに近づくと、有視界の航法訓練としてクロス・カントリー( Cross country )飛行をおこないましたが、その際に自分の生家の上を飛行したのだそうです。予め家族には手紙で知らせておくので、目印に農家では庭で火を燃やして煙りを出したり、家の人が屋根に上って旗を振ったそうです。

しかしその際に山に衝突したり、天気が悪いのに無理に飛行して事故が起きたので、一時禁止されました。

金野氏から聞いた話によれば知り合いの航空大学の学生も、卒業前のクロス・カントリー・フライトで宮崎県から近畿地方まで、教官同乗で飛んで来て両親が見守る家の上空を飛ぶ、郷土訪問飛行をしたそうです。大阪の八尾空港に一泊して翌日帰ったそうですが、その後、縄文航空に入社したとか?。

ブルーエンジェルスが墜ちたそうです。
>>サウスカロライナ州ビューフォートで21日、航空ショーで飛行中の米海軍機1機が墜落、操縦士1人が死亡した。墜落したのは海軍の曲芸飛行隊ブルーエンジェルスのF18戦闘機。
住宅地に墜落し、飛び散った破片などで周辺の自動車や住宅が破損、8人がけがをした。

 

ブルーエンジェルス

ペンサコラ基地には シャーマン飛行場 ( Sherman Field )がありますが、そこが ブルーエンジェルス の本拠地でした。私が ペンサコラにいた当時、二度ほど エアー・ショウを見ましたが、その年に ルイジアナ州にあるニューオーリンズの エアー・ショウ で墜落事故があり、1名の パイロットが死亡しました。

ブルーエンジェルスは 1972年以降 16件の大事故を起こして 8人が死亡していますが、隊長を除く隊員は殆どが独身でした。冬場は暖かい フロリダ半島先端の キー・ウエストを基地にして編隊飛行の訓練をして、春から秋にかけて デモンストレーション飛行をしに全米各地を移動するそうです。飛行性能ぎりぎりの パーフォーマンス を発揮して演じるので、昔から空中接触、衝突事故がよく起きました。

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