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2007年6月26日 (火)

ダイヤモンド と 石

Mentorsingle 私は米国 フロリダ州、ペンサコラ にある米国海軍飛行学校で、約二年間 パイロットになる訓練を受けました。米海軍の飛行学校では、最初は単発の初級練習機に教官と一緒に乗り、十二時間の飛行訓練を受けても単独飛行の実地試験に合格できなければ、操縦適性無しと判断され、訓練生を クビになりました。写真はクリックで拡大。

自動車教習所の運転免許の講習では、規定の講習時間で規定の レベルに達しない者は、車の運転適性に欠ける証拠ですが、教習所は営利企業なので補習の料金を払えば、何時間でも運転講習を買うことができます。しかし米海軍では納税者の税金( Taxpayer's Money )なので、適性の無い者は直ぐに クビになりました。.

Yuushi24 その後は馬力のある中級練習機、双発機、実用機と順に飛行機を乗り換えて、宙返り、錐 モミ などの アクロバット飛行、編隊飛行、計器飛行、無線航法、天測、推測航法などの訓練科目ごとにある実地試験に不合格にならずに終了すれば、晴れて海軍の パイロットの資格である ウイング・マークを制服の胸に着けることができました。その資格を手にした者は、飛行訓練開始時の約 二十 パーセントに過ぎませんでした。写真は丁度 五十年まえ(1957年、昭和32年)の私ですが、機体の星のマーク (米軍機)に注目。

ところが パイロット訓練生が 一人も クビにならず、百 パーセント パイロットになれるという、世界でも極めて珍しい飛行教育施設があるのをご存じですか?。それは宮崎県にある民間 パイロットを養成する航空大学校です。そこでは入学試験として受験生に15分程度操縦桿を握らせて、飛行機を操縦させて適性を判断するそうですが、それで操縦適性が本当に判断できるとすればまさに神業で、世界各国で軍隊の飛行学校が マネをするはずですが---?。

現在では独立行政法人ですが、それまでは運輸省( 現国土交通省に統合 )航空局乗員課の管轄でした。そこでは操縦適性の無い学生を クビにすると、航空大学校の予算が余るので、クビにすべきでないという、如何にもお役所らしい考え方から、何十年もの間 操縦適性に欠けた者を一人も クビにせずに、日本の航空界に パイロットとして送り出してきました。

高い費用をかけて飛行訓練をしながら適性の無い者を淘汰しなくても、パイロットの適性を早期に知る方法はないものかと、昔から心理テストの導入などが考えられてきましたが、結局は飛行訓練の過程でしか判断できないという結論になりました。

Tsutankam 日本の旧海軍には骨相学の大家がいて、パイロット訓練生の人品骨相を見て、適性の有無を判断したといわれていますが、この方法が有効だったかどうか不明です。この人の操縦適性など、骨相から いかがでしょうか?。

いずれにしても パイロットには適性が最重要であることは間違いなく、適性の無い者が飛行機に乗ると事故につながります。

Amasaki ところで尼崎で起きた福知山線の脱線事故の運転士は、乗務経験 十一ヶ月で過去に何度も オーバーランの前歴があり、事故の当日も直前の伊丹駅で 72メートルの オーバーランをしたため、伊丹駅を1分20秒遅れで出発しました。

事故が起きた カーブの制限時速は 70 キロでしたが、事故調査委員会の発表によれば時速 116 キロで通過し、46キロの速度 オーバーで通過したために列車が脱線しました。

運転士としての適性がなく、本来運転士にするべきではない者を 運転士にしたのが、事故の根本原因でした。以前述べましたが、古くから軍隊や自衛隊のパイロットの養成現場で言われていた言葉に、

たとえ ダイヤモンドを捨てても、石は拾うな。

というのがありましたが、操縦適性のある者をたとえ間違って クビにすることがあっても、適性に欠ける者を 絶対に パイロットにしてはならないという戒めの言葉でした。

2007年6月21日 (木)

注意力は散漫に限る

スチュワーデス になるためには頭よりも顔の造作、パイロット になるためには頭よりも丈夫な身体が必要であることを前回述べましたが、その他に注意力の問題があります。

勉強や仕事に対して一心不乱に、あるいは脇目もふらずに取り組むという表現がありますが、普通であれば一見好ましい性格のように思えても、こと飛行機の操縦に関していえば、そういう 傾向 ( クセ ) は  マイナス であり、矯正できない人は パイロット としては致命的な欠点を持つ為に、真っ先に エリミネート ( Eliminate 、淘汰 ) の対象にされます。

飛行機の計器板には、姿勢を示す計器、高度計、速度計、昇降計、エンジン計器、など多数の計器がありますが、有視界飛行では パイロット は注意力の八割を外部の見張りに当て、二割は飛行計器、エンジン計器に注意を払います。

Bank901_1 計器飛行状態 ( 雲中飛行、夜間 ) では計器だけを見て飛行機の姿勢、高度、速度を保ちますが、ここで一つの計器、たとえば高度計だけしか見なければ、飛行機の姿勢が乱れ、写真のような危険な状態になりかねません。あるいは速度が落ちても エンジンの パワーを増やさなければ、機体が失速し墜落する危険もあります。

写真の計器板で黄色線で囲んであるのは姿勢指示器 ( Attitude gyro indicator ) ですが、機体が 90 度 左に傾いた状態を示しています。軍用機とは異なり、民間旅客機では通常 30 度以上の傾斜角を取ることはありません。

Makiwari1 人間は緊張すればするほど視野が狭くなり、普段は見えるはずの計器も大事な時に見えなくなります。つまり注意力の一点集中の クセ ( 傾向 ) がある人は、 マキ ( 薪 ) の頭だけを見て斧を振り下ろす マキ 割りの仕事には向いていても、注意力の分散が常時必要な飛行機の操縦には向かないということです。

Apchi パイロット 訓練生に対する指導の多くは、計器の クロス・チェック ( Cross Check ) 別の言葉では計器の スキャン( Scan )に向けられ、クロス・チェック が足りない、もっと計器を チェック  しろという言葉になります。エンジン火災などの緊急事態の訓練になれば、安全に飛行しながらの消火操作、当該 エンジン の停止操作などで、注意力のさらなる配分、つまり計器のより頻繁なチェックが要求されます。

一つの計器から情報を読み取るのには、計器を 三秒 間見つめるだけで十分だといわれていますが、一分間に 二十回 飛行計器からの情報を読み取ることにより、飛行機を安全に飛ぶことができるのです。

道路交通法の改正により車を運転中に携帯電話を使うと罰せられますが、飛行機を運航する場合には、ゲートにいる出発前から、そして離陸後も、管制塔と頻繁に交信し指示を受けなければ、航空交通管制の制度そのものが成り立ちません。計器板の計器ばかりに気を取られていると耳がおろそかになり、地上の忙しい進入管制所からの管制交信の呼び出しも聞き漏らすことになり、業務に支障がでます。

パイロット は注意力散漫に限るのは、以上の理由からです。

2007年6月16日 (土)

頭脳より 顔 / 身体

かつては若い女性にとって憧れの職業は スチュワー 「 デス 」 でしたが、華やかだった昭和50年代中頃の鶴丸航空では、成田 = ニューヨーク 線をそれまでの アラスカの アンカレージ での燃料補給、乗組員交代を止めにして、直行便を飛び始めました。その際には 二組の乗務員を乗せて飛び、片道の飛行時間 12~14時間のうちの半分は交代要員として機内の ベッド に寝ていて、しかもその間も飛行手当の 50 パーセントが支給されるという、まことに夢のような結構なご身分でした。

Juken しかし今では 「 デス 」 として採用されると 三年間は契約社員としての身分であり、時給 1,300円の パート 従業員に過ぎず、月収は手取り15~20万円前後の普通の オフィス・ガールと変わらぬ収入となり、魅力が薄れました。写真はクリックで拡大。


Okame 言いにくいことですが、「 デス 」 の採用について重要視されるのは、頭脳よりも顔 であり、頭が少しぐらい悪くても 「 顔の造作 」 がよければ、採用される可能性がかなり高くなります。逆に言えば いくら頭脳明晰でも、顔が悪ければ 「 デス 」 には不向きだということです。金野氏によれば、これまで縄文航空で採用された何万人もの 「 デス 」 のうち、東大出の学歴を持つ者は僅か 二名しかいなかったそうですが、才色兼備の女性の出生は、人口統計的にみて極めて少数であり、そういう幸運に恵まれた女性が目指すのは 「 デス 」ではなく、より知的な職業である 「 女子アナ 」 だったから、かも知れません。

以前の ブログ

http://good-old-days.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_d849.html

の9月15日の日付に書きましたが、スチュワーデスの語源は ブタ小屋の女性番人 であり、乗客に飲み物や食事を運ぶのが主な仕事の 「 デス 」 について、欧米では高等教育を受けた女性のするべき仕事ではないとみなされていますが、才色兼備の諸嬢の多くはそれを知っていたのかも知れません。

女性のことばかり批判すると機会均等法違反 (?) と叱られるので、今度は 「 心を鬼にして (?) 」 身内である パイロット のことを書きますと、パイロット になる為に最も必要なものは 賢い頭脳ではなく、とりわけ健康な身体 です。航空法施行規則には航空身体検査基準があり、機長にはその第 1 種基準が、それ以外の者には第 2 種の基準が適用されます。

くどくど説明するよりも下記の URL をクリックして身体検査 マニュアル の内の

10項、視機能 ( 眼について 七つの細目についての基準あり )
11項、耳鼻咽喉
12項、聴力  を参考にお読み下さい。

http://www.aeromedical.or.jp/manual/index.htm

の厳しい基準を、文字サイズを大きくして ( 表示から文字の サイズを クリック ) お読み下さい。

Medcheck 機長になると半年毎に行われる航空身体検査に合格し、第 1 種航空身体検査証明書を更新しなければなりませんが、もし不合格になれば直ぐに機長の資格を停止され、飛べなくなります。

これまで身体的理由により、乗員職から地上職に止むなく転換した不運な人が何人もいましたが、年を取れば血圧や血糖値が高くなり、聴力は低下し、老化に伴う種々の病気も出てきて、身体検査の基準に適合し難くなります。パイロットの生活とは、半年毎に生活の危機 ( 失業の危険 ) が訪れる厳しいものです。

2007年6月11日 (月)

事故の補償金

私は年に数回、東京=大阪を飛行機で往復しますが、「 事故で死ぬのであれば列車事故や自動車事故ではなく、なるべく飛行機事故で---?」 と思っています。

[その、一]
平成6年(1994年)に名古屋空港で墜落し、乗客249名が死亡した中華航空の事故では一人当たり1,940万円の補償金を支払う意向を会社が発表しましたが、遺族側が不満で訴訟を起こしましたが、どうなったか知りません。

[その、二]
Garuda1 平成8年(1996年)に福岡で離陸に失敗し炎上したガルーダ・インドネシア航空事故( 死者3名、負傷170名 )の際には、会社が遺族に告げた補償限度額は 1,500万円でした。

[その、三]
Burmaf27 昔 ビルマ航空 ( Burma Airways ) という旧 ビルマ ( 現 ミャンマー )の国営航空がありましたが、現在の ミャンマー国際航空 ( M A I 、Myanmar Airways International ) の前身です。ビルマ 航空ではかつて フォッカー 27型機 ( フレンドシップ ) が墜落し

昭和62年(1987年)6月に、死者45名
昭和62年(1987年)10月に、死者49名

の事故を起こしましたが、ビルマ航空の運送約款、つまり航空事業者 ( ビルマ政府 ) と利用客との間の契約では、事故責任を 「 免責 」 とする、分かり易く言えば 事故が起きても一切の責任を負わない とする契約条項があったので、遺族に対する補償金は一銭も支払いませんでした

航空会社の運送責任に関する国際的取り決めとして最新のものは、カナダの モントリオールで決議され、平成15年に発効した モントリオール条約です。この条約には世界の主要国の殆どが加盟しています。

日本では自動車賠償責任保険 ( 強制保険 ) の死亡保険金でさえ、最高三千万円の額ですが、殆どの ドライバー は自己防衛の為に、任意の自動車保険にも加入していて、対人賠償の金額を無制限とするのが常識です。

自動車保険の対人賠償が無制限なのに、航空機の賠償責任限度を低く抑えるのはおかしいという乗客の意見から、日本の航空会社では平成 4年(1992年)から、航空機事故における責任限度額の上限を撤廃し、無制限としました。その結果 御巣鷹山の事故の際には、ウワサによると 一人平均 八千万円 (?) という、賠償金が支払われたとのことでした。

モントリオール 条約によれば国際航空の責任限度額( 支払上限金額 )を撤廃すると共に、無過失責任、つまりテロ攻撃などのように航空会社に過失が無くても 10万SDR( 約2,200万円、注参照 )までは補償に応じることになりました。

(注)
DSR とは国際通貨基金の定める特別引き出し権 ( Special Drawing Rights ) のことで、三ヶ月ごとに決める国際相場により変化します。

この モントリオール 条約に未加入の国や航空会社のうち、日本に乗り入れているものでは、

ロシア、中国の全航空会社、台湾の中華航空(事故の常連)、ガルーダ、フィリピン、エア・インディア、パキスタン、イラン航空などですから、安い海外ツアーや、安い航空券で上記の会社の飛行機に乗る場合には、事故の際の補償金が極めて少ないので、くれぐれもご用心を。

コード・シェアリングの便に搭乗中に、事故に遭ったならばどうなるのでしょうか?。

前回のブログで述べた全日空の航空券を持ち、中国、国際航空の飛行機で事故に遭った場合には、航空券を販売した航空会社の運送約款が原則 ( 注参照 ) として適用されますが、同じ機体に乗っていても、全日空の航空券を購入した乗客と、中国、国際航空の航空券を購入した乗客では適用される運送約款、つまり補償の支払限度額が大きく異なるという事態になります。コード・シェアリングには色々な問題がありますが、未だこれに該当する事故での裁判が起きていないので、判例がないのだそうです。

注:) エンドース の場合を除く。
エンドース ( Endorse 、裏書き ) とは、自分の都合で航空会社を変更する場合で、全日空の航空券の裏面にある エンドース欄に、航空会社の変更を認める旨の ハンコ を押してもらい、他社機  に乗る場合には、他社  の運送約款が適用されます。

2007年6月 6日 (水)

コード・シェアリング

Youtou コード・シェアリング( Code Sharing)とは航空会社同士が路線 ネットワークを活用し合い、座席や販売などを提携して運航することで、日本語では共同運航、路線提携ともいいます。しかし利用客の立場からすれば、航空会社間の名義貸しであり、時には古い中国の格言にある、 羊頭狗肉 ( ようとうくにく )と、同じ目に遭うことさえあります。

「羊頭狗肉」とは、後漢(25~225年)の光武帝(こうぶてい)が下した詔書の中に出てくる、「羊の頭を懸 ( かか ) げて、馬膊 ( ばはく ) を売る----」 という言葉に由来するものですが、本来は狗肉( 犬の肉 )を売るのではなく、もっと悪い馬膊( ばはく ) つまり馬の乾肉を売ることでした。

肉屋の店頭に羊の頭を吊るして、あたかも美味い羊の肉( 航空会社の高い安全性や、良質のサービス )を売るようにみせておきながら、実は下等な犬の肉 ( 安全性に問題があったり、 サービス の面で劣る航空会社の座席 )を売る、詐欺的商法ともいえます。お客様からの苦情が多かったので、全日空では平成19年4月から コード・シェアリング ( 共同運航 )の航空券を発売する際には、説明書を添付することにしました。

Ca 一例を挙げますと成田発 北京行きの 全日空 NH 5703便や 5709便、の航空券を購入すれば、全日空の飛行機に乗ると考えるのが普通です。しかし成田空港へ行き国際線の搭乗手続きをする段になると、全日空の チェックイン・カウンター ではなく、予想もしなかった中国の、国際航空 ( チャイナ・エア ) の カウンターで チェックインをしなければならず、便名も CA 926 や 422であり、機体も乗組員もすべて中国人なのです。

つまり航空会社が一つの便にそれぞれの会社の便名を付けて、あたかも自社便であるかの如く座席を販売しているのです。そういう目に遭わないためには、時刻表を注意して見ることが必要ですが、簡単な方法は前述した如く 四桁 の大きい数字の便名には要注意です

全日空の時刻表の例でいえば、NH 5702~5757便は中国の国際航空と、
NH 5851~5864便は マレーシア航空と、
NH 7006~7081便は ユナイテッド航空と、(以下省略)。
コード・シェアリングをしているので、他社便ではなく全日空本来の便に乗るつもりであれば、便名が三桁である NH 905、か 955 の成田発 北京行きを利用すべきなのです。

Anastarall 平成 9年頃から世界中の航空会社が生き残りを賭けて戦略的見地から、互いに航空連合を組むようになりました。全日空が加盟しているのは 17 の航空会社から成る 「スター・アライアンス、Star Alliance、星の連合 」ですが、それ以外にも世界には 「ワン・ワールド」、「スカイ・チーム」 があります。以前は 「ウイング・アライアンス」という連合がありましたが、平成16年に スカイ・チームに吸収されました。尾翼のマークはスター・アライアンスのロゴ・マーク。

現在の市場占有率を比べると、一位が スター・アライアンスの 23.6%、二位が スカイチームの 20.9%、三位は JAL が最近加盟した、ワン・ワールドの 13.5%です。

Logomark1 航空連合への加盟や コード・シェアリングは乗客にとって不便なことだけでなく、利点もあります。例えば全日空の格安 チケットは、従来全日空便だけにしか利用できませんでしたが、コード・シェアリング の結果、他社便でも使えるようになりましたし、また全日空での V I P 待遇、ラウンジ (特別待合室) の使用は、同じ航空連合内の他社でも受けられるようになりました。関心の高い マイレージ・サービス の相互乗り入れなどの業務提携が行われ、航空業界における国際的な規制緩和の流れと競争の激化の中で、各社とも生き残りを賭けて努力しています。全日空の機体には全て スター・アライアンスの ロゴ・マーク が、機首附近にあります。

2007年6月 1日 (金)

キャットに、ご用心

777a KLM オランダ航空のアムステルダム発関西空港行きの ボーイング 777型機が、ロシア第二の都市、サンクト・ペテルブルク上空の高度一万メートルで晴天乱気流の遭遇し、乗客、乗員十二名が軽傷を負い、八時間半後に関空に到着しました。

「シートベルトを締めて下さい」とのアナウンスがあった後だったそうですが、乗客の負傷者が少なくてなによりでした。乱気流の原因が ジェット気流の乱れ(晴天乱気流)によるものか、雷雲などによるものかは、現時点では不明です。写真は KLM の同型機。

Policez 元 パイロットの立場から言えば、時速 100 キロ前後で走行する自動車に座席 ベルトの常時着用を道交法で義務付けておきながら、その八倍以上のスピード、ジェット気流の追い風に乗って飛行する時には、十倍(時速 1,000 キロ)以上もの スピードで飛行する旅客機の乗客に、トイレに行く時以外は座席 ベルトの常時着用を航空法で義務付けない理由が理解できません。ちなみに操縦席の パイロットは安全上の理由から、長距離飛行の場合でも常時座席 ベルトをしたままです。

Seat_belts 離陸後に ベルト着用 (英語では fasten seat belts ) の サインが消えると、乗客の殆どは 「座席 ベルトを外せ」 とでも命じられた如くに一斉に ベルトを外しますが、これは間違いです。英語の辞書を引いてみて下さい。古期英語の 「 Fast 」 には 「 固い 」 とか 「 しっかりした 」の意味があり、「 Fasten 」 には 「 しっかり締めろ 」 の意味があります。

座席 ベルト着用の ライトが消灯したことは、座席 ベルトを外せではなく、「緩めても良い 」という意味に理解すべきなので、そのように スチュワーデスも アナウンスします。国内線の飛行機で最後部近くの座席に乗ると、時々 便乗 ( Dead Head 、死んだ頭数、乗組員の編成外 )で、次の乗務のため、または乗務終了後に客席で移動する パイロットや スチュワーデス を目にしますが、彼ら / 彼女らは客席で眠る時でも決して座席 ベルトを外さずに緩めるだけです。肉眼では見えない 晴天乱気流や、予想されない突然の乱気流などの空の危険性を、十分に知っているからです。

一般に言えることは、旅慣れた乗客ほど 座席 ベルトを常時外さず、空の旅の初心者ほど ベルト着用 サインが消灯すると、すぐに ベルトを外します。着陸後も座席 ベルトサインの点灯中にもかかわらず、直ぐに座席 ベルトを外す人がいますが、地上滑走中に管制塔からの指示を聞き違えた他機との衝突回避のため、急 ブレーキを踏むなどの危険があることを知れば、座席 ベルトは ゲートに入って停止してから外すべきことが分かります。

平成2年から平成16年までの間に、国内で発生した大型旅客機の死傷事故 31件中、22件が乱気流によるものでした。乱気流には雷雲、台風などのように、肉眼や気象 レーダーで存在を遠くから確認できるものと、晴天乱気流 ( キャット、CAT Clear Air Turbulence ) のように目には見えないものがあります。CAT は避けることができないのでしょうか?。

Jetcore その答は 「現段階では、できません」。パイロットとしては刻々と変化する ジェット気流の風向風速の示度や外気温度を計器から読み取り、川の流れのようなジェット気流の変化を知るだけで、晴天乱気流を発見する計器や レーダーなどは無いからです。絵図はジェット気流の垂直断面図で、左側の数字はフィート単位の高度、右側の数字はマイナス温度で単位は摂氏、楕円はジェット気流の等速線、中心に近くなるほど速度が大。

Jetstream 飛行計画を立てる際に パイロットは ジェット気流の位置がよく分かる 300 Hpa (ヘクトパスカル=ミリバール、 高度一万メートル ) の高層天気図を参考にします。CAT は前掲した ジェット気流の 垂直断面図で中心 ( Core、最速部) の下部附近で発生しやすいものの、CAT 自身の存在や影響が数分からせいぜい 10分程度と短く、前を飛ぶ ジェット機が CAT に遭遇しても、同じ コースを同じ高度で 十分後に飛行した ジェット機には、何事もなかった例がしばしばありました。

冬になると気象庁は CAT (晴天乱気流)の危険空域を毎日のように発表しますが、日本列島がすっぽり入る範囲になります。パイロットの立場からすれば CAT (晴天乱気流)の危険空域を発表してもそれが当たることがなく、 おおかみ少年 に過ぎず、気象庁の責任逃れ以外の何ものでもありません。CAT の予報が出た為に民間航空機がそれを理由に欠航したり、その空域の飛行を中止した例など、私が知る限り、三十年以上もの間にただの一度もありませんでした。

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