« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »

2007年9月29日 (土)

夜行高速バスよりも

Suita 平成十九年二月十八日のこと大阪・吹田市の中央環状線で スキー・ツアー客を乗せた大型 バスが、道路脇の モノレールの支柱に激突し、アルバイトの添乗員の少年 ( 十六才 ) が死亡。運転手と乗客二名が重傷、二十三名の乗客が軽傷を負った事故のことをまだ覚えてる人が多いと思います。

旅行社との契約では交代運転手を含めて運転手を二名用意するはずでしたが、その手当ができずに一人で長野県の スキー場から ナンバ まで 五百 キロの距離を運転中に、疲労から居眠りをしたのが原因でした。

その昔、東京から大阪へ帰る際に、当時、東京駅二十一時発の大阪行き新幹線 「 ひかり 」 の最終列車に乗り遅れたため、東京駅の八重洲口から出る大阪行きの夜行 バス、 ドリーム号に乗って帰ったことがありました。東京=大阪間を 八時間かかりましたが、交代の運転手が乗務し、概ね二時間~三時間おきに サービス・エリアで運転を交代して、疲労を防ぐことにより安全運転を確保していました。

777_cockpit ところで長距離の国際線を飛ぶ、パイロットの場合はどうなのかご存じですか?。
ボーイング 777型機のように、パイロット二名で飛行する場合で、飛行時間が八時間を超える コースを飛ぶ場合には、機長資格を持つ パイロット二名と副操縦士一名の合計三人の パイロットが乗務しました。つまり飛行時間の約 三分の一 ずつを交代で仮眠をとりながら飛行するのです。どこで仮眠するのかといえば操縦室に隣接する クルー・バンク ( Crew Bunk、乗員のベッド ) で休みますが、もちろん ホット・ベッドです。( ホットベッドの意味が分からない人は、2006年9月22日のブログを参考にしてください。) 写真は ボーイング 777 型機の操縦席。

ところが平成四年 (1992年) 十二月に、現国土交通省の航空局技術部長が、「 定期航空運送事業者の行う国際運航に従事する航空機乗組員の、連続二十四時間以内の乗務時間制限及び編成に関する基準 」 という長い名前の通達を出して、「 国際線の場合 パイロットが交代要員無しの、二名編成で飛べる乗務時間 」 をそれまでの 八時間以内から、驚いたことに 十二時間以内までに延長しました

Ana_b777 分かり易くいえば前述のように飛行機は機長と副操縦士の二名で飛びますが、交代 パイロットが無いまま、換言すれば休憩させずに、徹夜の飛行を 十二時間させても良いことになりました。これを夜間の高速バスに例えれば、運転時間が 十二時間以内であれば、交代運転手は不要ということになりますが、過労防止、安全性確保の点からも、航空局は気が狂ったとしか思えない通達です。写真はボーイング 777型機。

航空会社側もさすがに十二時間無休の飛行は無理と考えたのでしょうか、成田 サンフランシスコ線 ( 5,131 マイル=9,500 キロメートル ) など 十一時間以内の コースについては交代要員無しとしましたが、その結果 徹夜の飛行で疲労したパイロットが、眠い眼をこすりながら操縦することになりました。

Jrbuss 国土交通省は交代運転手を乗せて八時間で走る、東京=大阪間の夜行高速バスの運転よりも、三百五十人の乗客を乗せて十一時間飛ぶ国際線の操縦の方が神経を使わず、肉体的にも楽な仕事だと思っているのでしょうか?。写真は JR バス。

2007年9月24日 (月)

ブラックリスト

Ttower 前回の ブログでは オリエント・タイ航空の チャーター便の ジャンボジェット機が、夜間に羽田空港の滑走路 16 へ目視による周回進入の際に、東京 タワーに 二百 メートルの距離まで接近した件を述べましたが、その際に もし ジャンボ・ジェットが東京 タワーに衝突して墜落したとすれば、あたり一面が火の海となり数百人の死傷者が出たことでしょう

世界には中古ならぬ大古の飛行機で運航したり、あるいは整備不良の機体や 訓練不足の乗員で運航し、いつ事故を起こすか分からないような、危険な航空会社が数多く存在するのが実情です。そのような危険な航空会社を閉め出す動きが採られました。

Il62_p881_of_air_koryo_at_beijing 数年前に フランス政府は自国に飛来する航空会社に対する安全性の検査をおこないましたが、その結果を基に安全性に欠陥がある航空会社に対して、早急な改善を求めました。しかし北朝鮮の国営企業である高麗 ( こうらい ) 航空 ( エア・コリョ 、Air Koryo )など五つの航空会社 は適切な対応を取らなかった為に、平成十七年八月に危険な航空会社の ブラックリスト に記載し、フランス国内にある空港への乗り入れを全面禁止すると共に、領空通過も禁止するという厳しい安全強化措置を取りました。

ちなみに高麗 ( こうらい ) 航空では使用機材すべてが旧ソ連製の古い機体で、最も古いものは 昭和四十一年 ( 1966年 ) に導入した、機体年齢 四十一年の アントノフ An-24B 型機があり、最新のものでも 平成二年  ( 1990年 ) に導入した機体年齢 十七年の貨物専用機、 イリューシン Il-76 M D でした。日本における飛行機の年齢を知りたい人は、下記をクリック。

http://homepage3.nifty.com/yoshihito/jumon.htm#toshi

危険な航空会社の ブラックリストについては、これまでは フランス、ベルギー、イタリアなど各国が独自の調査結果に基づき公表していましたが、平成十八年三月から欧州連合 ( EU ) の運輸委員会により、共通の基準に基づき危険な航空会社を 「 ブラックリスト 」  に記載し、欧州連合 ( EU ) 域内の飛行を全面禁止することにしました。

運輸委員会の副委員長によれば、「 EU の ブラックリスト は、安全性に問題のある航空会社が欧州域内に乗り入れるのを阻止し、世界中の旅行者に情報を提供するのみならず、航空会社や民間航空局が、安全性向上のために適切な対策を行うよう促す上でも、極めて重要な手段となるだろう 」 と述べました。

なおこのリストは 三ヶ月おきに更新されますが、最新のものは平成十九年九月十一日に更新されたものです。

An24b それによれば ブラックリストに記載された飛行禁止の航空会社は九十二社ありますが、当然のことながら欧州連合(EU)に関係があるものだけで、アフリカ、西 アジア の国の航空会社が多く、その中で日本人に関係があるものは、高麗航空 ( 北朝鮮 ) と パキスタン国際航空、ビーマン・バングラディシュ航空 (バングラディシュ ) です。写真は四十一才の老婆 、 アントノフ An-24B 型機。

更新された ブラックリストは、下記の URL にありますが、

http://ec.europa.eu/transport/air-ban/list_en.htm

そこにある  [  List of airlines banned within the EU   (  updated on 11.09.2007  ) ] を クリック してご覧下さい。

リスト は二種類あり最初は EU 域内飛行禁止の ブラックリスト、次は制限付き航空会社で、保有する機齢の若い特定の機種に限り運航を認めるとするものです。

運航禁止の ブラックリストの名前の一部を挙げますと、

アフガニスタン: アリアナ・アフガン航空 ( Ariana Afghan Airlines )
スーダン:エア・ウエスト
北朝鮮: 高麗( こうらい )航空 ( Air Koryo )
イラン:マハン航空 ( Mahan Air )
ウクライナ:ウクライナ・地中海航空 ( Ukrainian Mediterranean Airlines )
      
以下省略

制限付き航空会社

バングラデシュ航空 ( バングラデシュ )、パキスタン国際航空 ( パキスタン ) 以下省略

2007年9月19日 (水)

格安航空会社 ( L C C )

Phuketap タイ南部 プーケット島の国際空港で九月十六日午後四時 ( 日本時間同六時 )ごろ、タイの格安航空会社 ( L C C 、Low Cost Carrier  ) の ワン・ツー・ゴー [ One・Two・GO ]  航空が運航する バンコク発 プーケット (  Phuket )  行き旅客機 M D-82が着陸に失敗し、大破して炎上しました。乗客乗員合わせて百三十人のうち、最新の情報では 七割に当たる 九十一人が死亡しました。プーケット空港の滑走路は長さ三千メートルで M D-82ジェット機にとっても十分な長さであり、勾配は無く、標高5.7メートルでしたが、事故機は反対側 ( 滑走路09 ) から降りて来て、多分手前の林の中へ突っ込んだものと思われます。

Md82 東南 アジアには格安料金で運航する危険な航空会社が数多くありますが、事故を起こした One・Two・GO 航空もそのうちのひとつでした。 バンコクに スワンナプーム ( Suvarnabhumi 、黄金の土地 ) 新空港が去年九月に完成するまで国際空港でした、 ドン・ムアン ( Don Muang ) から、 タイ国内の八箇所の空港へ、どこでも 1,750 THB ( タイ・バーツ )、( 約6,300円  ) の均一料金で客を運んでいました。写真は同型機の M D-82。

機内での飲み物や スナックの サービスは無料、購入した航空券の行き先、搭乗日時、便の変更も無料で、しかも座席は チェックイン時に指定するので、他の安売り会社の飛行機のように、搭乗の際に良い席を取る為に搭乗 ゲートから飛行機まで走る必要がないということでした。バンコック (  ドン・ムアン  ) と  プーケット国際空港 間は、一日五便を運航する会社で、就航便数もそれなりでした。

Orientthai One・Two・GO 航空は平成十二年 (  2000年 ) に設立された会社ですが、他の格安航空会社と同様に、整備を含む安全面での問題に疑問を指摘されています。国内線だけでなく ホンコン線も一日一往復運航していますが、運航母体 ( 親会社 ) は日本にも チャーター便でやって来る評判の悪い オリエント・タイ航空です。機体の塗装は子会社の [  One Two GO ]  仕様です。

平成十八年三月のこと、韓国の建設・運輸省が韓国に チャーター便として飛来する オリエント・タイ航空を含む 三つの L C C  ( 格安航空会社 ) に対して、十八の規則違反を指摘し、その頻繁な運航遅延や標準以下の安全対策に関して警告を発しました。

それによると韓国の インチョン ( 仁川、ソウル郊外 ) から バンコック、プーケット間を運航する オリエント・タイ航空は、運航、安全 マニュアルが最新のものに更新されてなく、機内の複数の消火器や複数の酸素 タンクが使用可能な状態では無かったと、コリア・タイムズが伝えました。

平成十六年十月のこと、日本に チャーター便としてやってきた 同社の ボーイング747-200 ( 旧型機 ) が、羽田空港の滑走路 16 へ目視による周回進入をする際に、大きく コースを逸れて、東京 タワーに 200 メートルの距離まで接近し、東京駅や日本橋地域の上空を高度 540 メートルで飛行する出来事があり、国土交通省から事情聴取されましたが、機長が羽田への周回進入方式に慣れていなかった ( 知らなかった ? )
のが原因でした。

http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha04/12/121027_3/05.pdf

Genba 今回の [  One ・Two・ GO ] 航空機による 事故の原因は、降雨の悪天候時に ウインドシア(風 向風速の急変 ) に遭遇し、パイロットは着陸を中止しようとしたが、高度が低すぎたとの説もあります。

以前の ブログで述べましたが、降雨、悪天候時の オーバーランと聞けば、パイロットであれば ウインド・シア ( wind sheer ) か、ハイドロ・プレイン (  Hydro-Plane  ) 現象をまず疑いますが、以下を参考にして下さい。

http://good-old-days.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/wet_runway_8b3b.html

格安航空会社については例外もありますが、その大部分は L C C  ( Low Cost Carrier ) の名前通りに低 コストを主目的にして、他社が使い古した機体を安く仕入れ、機体の整備費用も節約し、整備士や乗員の訓練には カネを掛けず、安い給料で パイロットを雇うので、飛行時間が少ない未熟な パイロットが転職に有利なように、パイロットの勲章である飛行時間稼ぎの為に応募し、乗務するともいわれています。

しかも事故に備える乗客保険  ( 搭乗者保険 ) についても保険料を節約するので、乗客の遺族に支払う補償金も、かなり少ないことが予想されます。

以上のことから チャーター便を含む格安航空会社の利用には、 安いものには、それなりの理由、つまり危険がある という 万国共通の法則 を思い出し、くれぐれもご用心を。

2007年9月14日 (金)

エア ショウ、その二

Lebourget エアショウ ( Air Show ) といえば、 ピンから キリまでありますが、ピン は各国の航空会社の社長、役員 クラスや、発展途上国、中進国の空軍将官などの V I P を招待して、英国の 「 ファンボロウ ( Farnborough ) 」と 、パリの北にある 「 ル・ブールジェ( Le Bourget )」で毎年交互に エアショウ が開催されます。そこでは アクロバット飛行に加え百機以上の軍用機、民間機の地上展示や、新型ミサイルなども展示されて、売り込み商談の場にもなります。

その会場の V I P 専用室で豪華な接待料理に 「 舌つづみ 」 を打ちながら見る エア ショウもあれば、キリ の方では農道空港のようなところで芝生に腰を下ろし、 「 身 ゼニ 」 で買った ポップ コーンを食べながら見る エアショウもあります。私が アメリカで何度も見たものは、もちろん ポップ コーンの方でした。

Redarrows3 ちなみに今年の パリの エアショウは 六月18日~24日の間におこなわれ、四十万人の入場者を集めましたが、来年の英国 ファンボロウでの エアショウは六月14日から20日迄開催される予定で、英国空軍の有名な アクロバットチーム、レッド・アロウズ( Red Arrows )を含む各種の飛行展示 (  Flying Display  )  が、毎日四時間半おこなわれる予定です。

ところでアメリカでは ブルー・エンジェルスのように大規模で高性能の ジェット機を使用する軍関係のものは無料で見ることができますが、それ以外の オーソドックスな単発の プロペラ機、時には複葉機 ( 二枚翼 ) を使用した エアショウが、時々有料で催されます。

Kemuri 平成十六年(2004年)の統計によれば、アメリカでは農場などの私的空港や ヘリポートなども含めると、空港の数が 19,820箇所もありますが、その中で日本人の空港の概念に相当するもの、( 九名以上の人を乗せる飛行機が、有償で人や物を運ぶ商業航空に使用できる空港 ) は 六百箇所あります。ちなみに日本では自衛隊の飛行場を含めて神戸空港が、九十七番目の空港でした。

アメリカの エアショウは丁度 サーカスの興行でもするように、町にある空港を利用しておこなわれますが、殆どの人は車を利用して見に行くので、空港の入り口の道路などに臨時の チケット売り場を設けています。そこで人数分の入場券を購入しますが、昔は2~3ドルでしたが、今では 5~10ドル程度でしょう。

エアショウに付き物なのは個人で改造した飛行機や、クラッシック・カーならぬ、クラッシック飛行機の展示で、マニア達が機体の回りに集まって オーナーと整備、改造方法などについて話を交わします。

Biplane エアショウに使用する飛行機はいずれも派手な色彩に塗装したもので、滑走路や填圧 ( てんあつ ) した芝生の飛行場 ( Grass field 、生地、せいち ) を高速で走る オープンカーから、低空で飛行する飛行機に乗り移ったり、複葉機の上にある翼の上にはい上がって、綱につかまりながら翼の上に立つ ショウ などがありました。

会場には必ず説明係り ( ナレーター、Narrator  ) がいて、演技者の紹介や アクロバットの説明、みどころなどを紹介します。

Cartoaircraft 私も映画でしか見たことがなかった、走る車から飛行機に乗り移る演技などを初めてみました。 ( 続く )

2007年9月 9日 (日)

エアショウ 、その一

F9fcougar アメリカで アクロバット飛行の エアショウ ( Air Show ) といえば、海軍の ブルー・エンジェルスと空軍の サンダーバード が有名ですが、私が初めて ブルー・エンジェルス( Blue Angels ) の エアショウを見たのは、1957年 ( 昭和32年)のことでした。写真は過去に ブルー・エンジェルスで使用された機体の展示飛行。

その年の一月に渡米して パイロットの訓練を受けたのは、米国 フロリダ州 ペンサコラにある海軍飛行学校でした。そこは海軍 パイロットの クレイドル ( Cradle、揺りかご ) ともいわれ、パイロットを志す者は必ずそこで基礎飛行訓練を受け、そこからより高度な訓練を受ける為に、アラバマ州、テキサス州にある訓練基地へと巣立って行きました。

Sharmanfield 衛星写真は NAS ( Naval Air Station )Pensacola ( ペンサコラ海軍航空基地 ) のものですが、そこにある シャーマン飛行場に ブルー・エンジェルスの本拠地がありましたが、現在もあるはずです。飛行場の右側には飛行学校の教育施設、宿舎などがあり、右上に見えるのは基地の専用 ゴルフ コースです。

ブルー・エンジェルスが当時使用していた機体は、F9Fー8 クーガー( Cougar )でしたが、その翌年、二度目に エアショウを見た時には、F-11F ( タイガー ) に変わっていました。

Pensacola_175 ブルー・エンジェルスの飛行隊に所属する パイロットの数については、2003年 (平成15年)の データによれば、アクロバット飛行の パイロットが 219人、フライト・リーダー( 編隊指揮官 )が 29人いましたが、女性の パイロットは 7人でした。

つまり ブルー・エンジェルスには数多くの アクロバットチーム ( 恐らく15組程度? ) があり、毎年三月から十一月までの エアショウの シーズンになると、全米各地へ出向いて行き、年間 七十回以上もの エアショウをおこない、 千五百万人の見物客を楽しませる仕組みでした。写真は2005年 ( 平成17年 ) に、ペンサコラ基地で催された際のもの。

ブルー・エンジェルスの パイロットになる要件としては、CQ ( Carrier Qualification 、空母の着艦資格 )を持ち、ジェット戦闘機の現役 パイロットであり、飛行時間 1,350時間 以上が必要です。パイロットの任期は二年で、その後は通常の軍務に復帰しますが、パイロットの平均年齢は三十二才です。

ブルー・エンジェルスの パイロットたちが、戦闘機の パイロットにとって必需品である Anti-G suits ( 耐 G 服 )を着用せずに 、アクロバット飛行をすることを今回初めて知りましたが、航空自衛隊の ブルー・インパルスではどうしているのでしょうか?。

加速度である G につて簡単にいいますと、バケツに水を入れて円を描くように速く振り回すと、中の水はこぼれませんが、加速度 ( 遠心力 ) が作用するからで、その大きさを Gravity  ( 重力 ) の頭文字から G で表します。

Gforces_2 人間の心臓と脳は約 40 センチ離れており、通常の生活環境では水銀柱 29 ミリの圧力差になります。しかし急旋回や宙返りなどの際に 仮に重力の五倍の加速度  ( 5 G ) が掛かるとすれば、その間隔は 200 センチと同等の影響を与え、圧力差では水銀柱 145 ミリに相当します。つまり、パイロットの通常の血圧を120 ( 水銀柱 120 ミリの意味 ) とすれば、脳の 位置では水銀柱 120-145=-25 ミリの マイナスの値になり、体内の血液は加速度 ( 遠心力 ) により下半身に滞留し 脳に血液が流れ難くなります。絵図は クリックで拡大。

私も アクロバットの飛行訓練の際に宙返りをしましたが、宙返りの基本とは 同一垂直面上で円を描くことです。自機の航跡による気流の乱れが後にしばらく残り、その中では機体が揺れるため、宙返り終了時に機体が揺れれば同じ垂直面での軌跡をたどった証拠であり、「上出来 」 で、揺れなければ 「 失敗 」 です。

2 G~3 G の重力が掛かると脳の貧血により視野が狭くなり周囲が灰色に見える 「 グレイ・アウト 」 や、さらに加速度が加わると目の前が真っ暗になる ブラック・アウト になります。

今まで述べたのは体が操縦席の座席に押し付けられる 「 プラスの加速度、( +G ) 」 についてですが、最も不快な感じがするのは、体が座席から浮き上がる 「  マイナスの加速度、( -G ) 」 を受けた場合です。その際には目の前が夕焼け空の様に真っ赤に見える レッド・アウト になりますが、前述した絵図にある体内の血液が下半身にではなく、今度は 「 頭に のぼる 」 からです。

2007年9月 4日 (火)

開隊五十周年

Seimon 若かりし日の昭和33年(1958年)に、当時 25才でした私は アメリカ海軍飛行学校を卒業し、帰国直後に パイロットとして最初に赴任したのが、青森県八戸市にある海上自衛隊八戸航空基地でしたが、開隊の翌年でした。

Ooidou その基地では九月一日に開隊五十周年の催しがあるというので、平泉の中尊寺の金色堂など、東北の観光旅行を兼ねて八戸市を訪れることにしました。写真の建物は金色堂をすっぽり覆う   [ 覆い屋 ] ( おおいや ) で、中に金色堂がありました。

開隊五十周年の行事については、下記を御覧下さい。自衛隊 ホームページ の画面上を クリックすれば、拡大、縮小します。

http://www.mod.go.jp/msdf/hatinohe/info/kichisai/memorial50.gif

私が老妻と結婚して初めて所帯を持ったのは八戸市でしたが、昭和35年 (1960年) のことでした。俗に十年 ひと昔といいますが、四十年以上も経つと市内の様子も大きく様変わりしてしまい、昔あった商店も ビルも道路も姿を変えていて、私達が最初に住んだ 二軒長屋があった所は広い道路になっていました。

南こうせつ作曲の 「 神田川 」 http://www.momo-mid.com/mu_title/i_kandagawa.htm

の歌詞ではありませんが、当時 安月給の二等海尉 ( 中尉 ) が住んだ家は二間しかなく、風呂も無かったので、北国の冬の寒い中を女房と二人で近くの銭湯にかよいましたが、今ではその辺りは マンションや ビルが建っていて、銭湯があった場所もさっぱり分かりませんでした。銭湯だけでなく、音楽喫茶、バー、飲み屋、デパートなど、過去の記憶をたどりつつ市内を探し歩きましたが、四十七年も経つと商店をはじめ、昔を偲ぶ手掛かりはすっかり消え失せました。独身時代、新婚時代を過ごした思い出の多いこの町を訪れることは、もう二度とないでしょう。

F16 お目当ての航空自衛隊の アクロバット・チーム 「 ブルー・インパルス ( Blue Impulse、青い衝撃 )」 の演技飛行に先立ち、隣の米軍三沢基地からやってきた F-16 による アクロバット 飛行がありました。バーティカル ( Vertical 、垂直 ) 系の マニューバー( Maneuver 、運動 ) が多く、アフター・バーナー ( After Burner、ジェットエンジンの再燃焼装置 ) を使用して、地響きするような轟音を出しての垂直上昇は迫力満点でした。(写真はF-16)

F-16 は エアー・ショウ ( Air Show ) 用の機体ではなく実戦用の機体のために スモーク発生装置がなく、小型 デジカメの液晶画面を見ながら  シャッターを押す方法では、動きの速い機体の写真撮影は無理で、ファインダーで目標を捕らえる カメラが適していました。

Wa 宮城県の松島基地に所属する ブルー・インパルスの使用機は T-4 という中間練習機のため、アフターバーナーが無いためか (?) バーティカル系の  マニューバーが少なく、もっぱら編隊による旋回で見せ場を作っていました。

昭和39年 ( 1964年 ) の十月十日、東京 オリンピック開会式の際には、スタジアム上空で オリンピックにちなんだ、五輪の輪を スモークで描いて喝采を浴びましたが、今回も スモークで大空に六つの輪を描き、基地を訪れた 二万人の観衆から一斉に拍手が湧きました。

Flight6 翌九月二日は八戸市の 18 キロ 北にある米軍三沢基地の航空祭も見る予定でしたが、朝から雲が低く雨降りのため、アクロバット飛行は無理と判断した結果、三沢へ行く予定を変更して仙台に行きました。ここでは雨は降らず、民謡、斉太郎節 ( さいたろうぶし ) にもある、

http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/saitarabushi.html

松島のサーヨー瑞巌寺 ( ずいがんじ ) ほどの寺もないと エー

の瑞巌寺を久し振りに訪れ、松島湾内を観光船から見物しながら 塩竃 ( しおがま ) まで行き、仙台に泊まって翌日 四日ぶりに兵庫県に帰りました。

シルバー回顧録へ戻るにはここをクリック

« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »