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2007年10月29日 (月)

NOVA と カンタロー

英会話学校最大手の NOVA が数百億円の負債を抱え経営に行き詰まり、十月二十六日に会社更生法を大阪地裁に申請して保全命令を受けたため、全国の英会話教室が休校となりました。

Novaa_2 ところで十数年前のこと、縄文航空の副操縦士でした 鋭悟 学 ( えいご・まなぶ ) 氏は、そろそろ国際線に乗務する順番が近づいたことだし、自分自身でも自己啓発の必要性を感じていたため、あるとき NOVA に駅前留学をする決心をしました。自分の都合がよい時間帯に受講の予約をして、英会話の レッスンをうけるのですが、受講 チケットの単価を安くするために、六十万円ほどを前払いしました。

JR 駅前にある ビルの三階が英会話教室でしたが、英会話の レベル・チェック を受けてから、 カラオケ・ボックスのような小部屋で若い女性、大学生たちと一緒に授業を受けました。しかし先生も生徒も毎回のように変わり、まじめに通ったのは二ヶ月ほどで、そのうちに同じ ビルの 四階にある マージャン・クラブに、興味を引かれたため、奥さんには NOVA に行くことにして、もっぱら マージャン・クラブに通うようになりました。

Ranchi_2 夏休みになると子供を連れて アメリカ旅行に行きましたが、レストランで食事した際に、近くの テーブルの人が食後の デザートに メロン を食べているのを見た子供が、メロン を食べたいと言い出しました。奥さんも食べたいというので 鋭悟 学 ( えいご・まなぶ ) 氏はやむなくそれを注文することになりました。日本人の苦手な メロン ( Melon ) の 「 エル 」 の発音に注意しながら、ウエイトレスに メロン を注文しました。

ところが彼女が持ってきたのは、なんと ミルク でした。子供や奥さんからは メロン をせがまれたので再度 メロン を注文したところ、ウエイトレスはまたも ミルク を持ってきたではありませんか。たまりかねた子供が エチケット に反して近くの テーブルの人の メロンを指差したので、ウエイトレスはようやく注文の意味を悟り、「 ペラペラペラ○×▲ カンタロー 」といいました。

Cantaloupe_2 子供が 「 カンタロー だってー 」  といったので、ウエイトレスは カンタローの オーダーを受けたと判断して、ようやく スライスした カンタロー の メロン を持ってきたので一件落着しました。

しかし  NOVA で半年以上も英語会話を学んだはずの 鋭悟 ( えいご ) 氏は、妻子の前で英会話力の不足を露呈しましたが、注文に失敗した報いで冷たい ミルク を 二杯も飲んだ結果、その晩にはお腹をこわしました。奥さんからは 六十万円もかけて NOVA で半年以上も英会話を習っていたはずなのに、メロンの オーダーもできなかったことを問いつめられた結果、マージャン・クラブ通いの件を白状する羽目になりました。

アメリカで メロン といえば マスクメロン ( Muskmelon ) の一種で、果肉が オレンジ色をした キャンタロープ ( Cantaloupe ) と、普通の色をした  ハニーデュー ( Honey Dew ) が一般的ですが、スイカは文字どおり ウオター・メロンといいます。

Matatabi ところで カンタローといえば 私と同世代の人ならば、戦時中に流行った  「 勘太郎月夜唄 」  の歌詞を思い出しますが、最近では  「 天童よしみ 」  が リバイバルでこのを歌っています。

http://8.health-life.net/~susa26/ikoi/kantarou.html

2007年10月23日 (火)

管制官にも責任

Kansairunway 10月20日午後6時10分ごろ、大阪の関西空港で、那覇発関空行き日航2576便が、A滑走路に着陸しようとした際、同滑走路からの離陸を予定していた関空発 バンクーバー行き、 エア・カナダ36便が誤って滑走路に進入し、日航機が着陸を中止する トラブルがありました。国土交通省航空・鉄道事故調査委員会は、事故に準じる航空重大 インシデントとして、調査官3人を現地に派遣しました。

たとえば一般社会において、相手から電話で 「 二時 」 に待ち合わせするように言われたのに対して、 「 三時 」 と聞き違えて 「 承知しました三時に行きます 」 と返事をしたと仮定します。この場合相手がなにも言わなかったら、復唱した方は 「 三時 」 が正しいものと理解するはずです。

航空法によれば航空管制官の出す指示は、 「 国土交通 ( 旧運輸 ) 大臣の指示 」 であり、航空管制に従い飛行機を運航する際には、管制官の指示に対して、パイロットはその内容を正しく復唱 ( Read back  ) することにより、聞き違いの ミスを防ぐ方法をとっています。

今回の関空における インシデント ( Incident 、出来事 ) の場合は、管制官の指示を聞き違えた パイロットに 責任がありますが 、自分の出した管制指示が正確に パイロットに伝わったかどうか、パイロットの復唱が正しいかどうかを確認する義務が管制官にあり、それを怠った管制官の側にも 責任がある と私は考えます。

Laxatc 航空管制について管制官がどのように 指示を与え、パイロットがそれをどのように復唱しているのか、交信のやりとりの実際をお聞き下さい。場所はロサンゼルス国際空港で、ターミナルを真ん中に挟んで東西の向きに 二組ずつの平行滑走路がありますが、管制塔も塔内にノース・タワーと サウス・タワー に分かれています。

Insidectwer この空港は平成16年度の離着陸回数が、 65万4千回で世界第 4位 でした。ちなみに同じ年の大阪伊丹空港は、僅か 6万3千回、関空は11万2千回 (  平成17年度 )  でした。

http://homepage3.nifty.com/yoshihito/a-lax_tower.au

関空における今回の件では、エア・カナダの パイロットに誤解を与えるような言葉の遣り取りが事前にありました。

管制塔:JAL 2576 continue approach to runway 24 left . ( 日航2576便は滑走路24 レフトへ、進入を継続せよ。 )

管制塔:Air Canada 36 ,Are you ready ?.( エア・カナダ36便、離陸準備はできたか?)
エア・カナダ機の パイロット:We are ready for take-off. ( 離陸準備完了 )

日航機が着陸のために進入して来ましたが、離陸の滑走路に向かう飛行機に離陸準備が完了したかどうか管制塔が尋ねたので、日航機が着陸する以前に我々を離陸させるつもりであろう、とエア・カナダ機の パイロットが思ったに違いありません。

管制塔:Air Canada 36  hold short of runway 24 left.  ( エア・カナダ36、滑走路24 レフト の手前で待機せよ )
パイロット:Air Canada 36 into position runway 24 left . ( 滑走路 24 レフト の離陸位置につく)

管制塔:--------

その後で日航機が着陸する予定の滑走路上に他機がいるのを見て、

日航機:Confirm , We are  cleared to land  ( 我々は着陸を許可されたことを確認する。)
管制塔:JAL 2576, Clear to land. (JAL 2576便は着陸支障なし。)

2007年10月18日 (木)

これには参った

Tire 車にたとえれば、車検が済んで整備工場から出て来たばかりの車に乗り、道路を直進したものの、次の角で左折しようと ハンドルを左に切ったら、車は左に曲がらずに右に曲がり始めました。そんな馬鹿なことが起きる ワケが無いと思うでしょうが、実際に飛行機で起きたのです。しかも空中で!!。

前回は オーバ-ホールを終えたばかりの飛行機で離陸したら、速度計が狂っていた話でしたが、これも同じく昭和四十年代の半ば頃のことでした。新明和工業で機体の オーバーホール ( 整備 ) を完了した F-27 ( フレンドシップ ) を、ある日 テスト飛行することになりました。

F27p 例によって機長、副操縦士の他に、立ち会いの整備士、新明和の整備関係者が乗り、大阪伊丹空港の滑走路 32から離陸しました。大阪空港の出発方式では騒音防止の為に、離陸後は、伊丹 VOR/DME  ( 方位と距離を示す航法援助施設 ) から 2.2 マイル (  4 キロメートル)の距離まで直進し、そこから左旋回をして出発経路に乗ることになっていました。

F50 離陸後いつものように、左旋回をするために操縦輪 ( Control Wheel )を左に回したところ、なんと機体が右に傾くではありませんか。慌てて更に左に回そうとしたら、機体は益々右に傾き飛行機は右に旋回を始めました。そこで機体を傾ける エルロン ( Aileron、 補助翼 ) の 動きが逆になっていることに、ようやく気が付きました。

Kubiki 上の写真は F-50 の操縦席ですが、左右にある操縦輪 ( Control Wheel ) が見えます。この操縦輪のことを英語では ヨーク  ( Yoke ) ともいいますが、荷車を引く牛の首に付ける  「 くびき 」 に形が似ているからだそうです。

再度車に例をとれば、ハンドルを切る方向と逆の方向に タイヤが向きを変える車で、高速道路を走るようなもので、ターボ・プロップ機 ( ジェット・エンジンで プロペラを回す方式 ) の時速 四百 キロメートルの スピードで走るとしたら、この上もなく危険を感じるのが普通です。私もこのまま飛行を続けることに危険を感じて、すぐに伊丹空港に戻ることに決めました。

Aileron1 着陸後新明和工場で操縦系統を調べたところ、主翼の後縁にある エルロン ( 補助翼 ) を動かす システムの部品を、逆方向に取り付けていたのが原因でした。飛行機が旋回する時の状態を図で説明しますと、左旋回する場合、操縦輪を左に回せば左補助翼(赤色)が上にあがるために気流の力で左翼が下方に押し下げられ、右側では補助翼が下がる為に揚力が増大し、右翼は上に働く力を受けます。その結果、飛行機は左に傾き旋回に入ります。

以前読んだ外国での飛行機事故例では機体を左右に傾ける補助翼ではなく、機首を上げ下げする昇降舵 ( Elevator ) の動きを コントロールする部品が逆に取り付けられていたために、離陸中に機体が一度浮き上がってから墜落した ケースがありました。

それ以後も何度か社内の テスト飛行や F-27 を売却する際には、購入する外国航空会社の パイロットがおこなう テスト飛行に、機長として右席 ( 副操縦士席 ) に座り立ち会いましたが、重整備を終えた機体の テスト飛行の前には、地上で補助翼、方向舵、昇降舵が  正常な方向に動くのを確かめることにしました。

2007年10月13日 (土)

蜂が原因

九月二十日に台北から佐賀空港に到着した中華航空の ボーイング737-800型機が、直後の飛行間点検の際に、胴体に長い亀裂があるのが発見されて運航中止となり、佐賀空港で修理することになりました。

Overrun 機体の応急修理を終えて、十月五日午後に台北へ向けて離陸滑走したところ、飛行機がなかなか浮上せずに、滑走路末端から六十  メートル先にある過走帯 ( オーバーラン ) 灯を壊してようやく離陸しました。十月九日になって故障原因は速度情報を得る ピトー管の孔に虫が詰まっていたために、速度計が狂ったとのことで、修理のうえ十一日にようやく台湾に向けて飛び立ちました。

Kawanishi 金野氏はそれを聞いて同様な故障を経験したことを思い出しましたが、昭和四十年代中頃のこと、伊丹空港の南側に隣接して新明和工業という飛行機整備会社がありました。この会社の前身は航空機 メーカーの老舗 ( しにせ ) の川西航空機で、戦時中には世界的にも  トップ・クラスの性能を持つ、二式大艇 ( にしきたいてい ) という四発大型の飛行艇を製作したことでも知られていました。

縄文航空では双発の ターボプロップ機、F-27  ( フレンドシップ ) の オーバーホールを新明和工業に外注していましたが、ある時金野氏は整備が完了した飛行機の、テスト飛行をすることになりました。機長、副操縦士、それに縄文航空、新明和の整備関係者五~六人が乗り伊丹空港を離陸しました。

離陸滑走中に V1, V2 の速度  ( 注参照 ) を通過する時から、速度計の異常に気が付きましたが、1,200 メートルの短い滑走路での離着陸が可能な F-27 ( フレンドシップ ) にとって、伊丹空港の A 滑走路 ( 1,800 メートル ) は十分過ぎる長さでしたので、離陸を続行しました。
注:) V1、 V2、について知りたい人は下記をクリック

http://homepage3.nifty.com/yoshihito/jumon.htm#buriifu

異常とは機長席と副操縦士席の速度計の指示が、三十 ノット ( 秒速十五 メートル )も差があることでした。この場合どちらの速度計が正しいのか、空中で確かめる方法が一つだけありましたが、それは機体を失速状態にさせて、その時の速度計の読みを、予め飛行機の性能表から機体の重量、飛行高度から求めた失速速度の値と比較することでした。

安全の為に一万 フィート ( 三千三百 メートル ) まで上昇し、失速速度まで徐々に減速しながら、主翼の表面を流れる気流が剥離して、機体が ガタガタと バフェット ( Buffet 、揺れる ) するのを待ちました。 その結果から機長席の速度計に不具合があることが判明しましたが、それ以後は副操縦士側のピトー管に切り替えてテスト飛行を続けました。

着陸後調べたところ機長側の ピトー管に静圧 ( Static Pressure ) を供給する直径 六 ミリ程度の小さい孔 ( 静圧口、Static Port ) に、蜂が タマゴを産みつけていたのを発見しそれが故障の原因でした。  現代科学の粋を尽くした飛行機も蜂などの虫により、思わぬ故障を引き起こしたのでした。

Pitotkan 絵図の ピトー管では、ピトー圧を検知する先端部と静圧口が一体化されていますが、F-27の機体ではこの構造ではなく、静圧口は機首の両側側面にありました。  小型機などでは長時間の駐機中は、ピトー管に カバーを被せてあるのを見ますが、大型機では位置が高いので見たことはありませんでした。

Pitotkitai 赤の矢印が ピトー管ですが、両側に 二本ずつあります。機体はゲートに到着した際の、 ボーイング 767型機です。

2007年10月 9日 (火)

金野氏の場合

大阪空港で十月五日に松山発大阪行き全日空 448便 ( A 320型、乗客・乗員 165人 )が、B滑走路 ( 3,000メートル )に着陸する指示が飛行場管制から出たにもかかわらず、並行するA滑走路 ( 1,828メートル ) に着陸する ミスがありました。国土交通省によると、操縦士が指示を誤認したうえ、管制官も操縦士から復唱された誤った内容の応答を聞き逃したという。

九月にも、日本航空機が管制官の許可を受けずに滑走路を横断する ミスがありました。一カ月の間に起きた二つの事例では、いずれも操縦士側が管制の指示を聞き違え、管制官も操縦士側の応答をきちんと確認していなかったことが原因でした。このため国交省は、管制の指示に、運用上の落ち度や構造的な問題がないか調査するとのことでした。

Matsuyama 三十年以上昔、金野内蔵氏が松山から羽田に向かう便でのこと、出発前の管制塔との交信では、高度二万七千 フィートの管制承認 ( ATC Clearance ) を貰いました。写真は松山空港。

727cockpit 離陸後に松山空港の出発と進入管制を受け持つ、米軍岩国基地の 岩国 アプローチ ( Approach、進入管制所 ) と無線交信し、二万七千 フィートに上昇する旨連絡すると、お前の指定された高度は二万七千 フィート ( 8,200 メートル ) ではなく、二万五千フィート ( 7,600 メートル ) であるといわれました。

Dodcontrol 松山管制塔からは二万七千 フィートの管制承認を貰い、その通りに復唱し、管制塔も了解したので間違えたはずがありません。そこで米軍の管制官に、指定された高度を航空交通管制センターに ベリファイ ( Verify、確認 )するように求めました。その結果は松山の管制官が、高度を誤って金野氏の飛行機に伝えていたことが判明しました。写真は米軍の航空管制用 レーダー装置。

その当時金野内蔵氏は大阪空港の管制官と民間航空側からなる 「 大阪空港管制懇談会 」 のメンバーでしたが、そこで顔見知りの某管制官から、 直後に 「 なるべく穏便にお願いします 」 との 「 泣きの電話 」 が入りました。

管制官が管制承認の高度を間違えて飛行機に伝達することは、重大な ミスであり、 あってはならないことですが、岩国 アプローチ ( 進入管制所 ) の米軍管制官により高度の伝達 ミスが発見されたために、飛行機が危険な目に遭わずに済みました。

そこで金野内蔵氏は松山空港の当該管制官が、二度とこの種の ミスを犯さないように上司が指導することを条件に、旧運輸省航空局がおこなう 安全性検確認査時に検査の対象となる、 「 機長報告書 」 を出さないことに決めました。 この判断が良かったのか悪かった、分かりません。

2007年10月 4日 (木)

2009年問題

航空界には2009年問題というのがあります。羽田の新滑走路新設と成田の短い滑走路の延長工事が完成し、両空港を中心に離発着回数が一気に増えることから、これに向けた内航・外航機の増便や、航空会社の新規乗り入れに伴う空の競争に、大きな変化が起こると言われているからです。

現在羽田空港には A ラン ( A  Runway、滑走路 )、B ラン、C ラン の三本の滑走路がありますが、このうち B ラン ( 滑走路22 ) は着陸のみに使用し、離陸は川崎の石油 コンビナート上空を通るため、通常は使用できませんでした。ところがある時、総理大臣が訪中 ( 訪韓? ) した際に台風接近の為、南西風が強く吹いたため、他の飛行機は横風制限を超えた為に A ラン、C ラン ( 両方とも滑走路16 ) からの離陸を中止しましたが、VIP 機に限り B ラン ( 滑走路 22 ) からの離陸が許可されて、無事に飛んで行きました。

Hanedarunway 新しい滑走路は図のようにかなり南側にあるので、離陸後の飛行経路が石油 コンビナート上空にかからず、南西方向に安全に離陸できるようになりました。長さが二千五百メートルと中型以上の ジェット機にとって、やや短い感じがするのを否定できませんが、滑走路が 三本から 四本になることによって、空港の発着能力は1.4 倍に増加し、現行の年間 28.5 万回から 40.7 万回まで引き上げられ、国内線については発着枠の増加により現在より飛行機の小型化、便数増加が可能となります。

ところで航空会社の抱える大きな問題は、パイロット、特に経験を積んだ ベテラン機長の不足です。サラリーマンの間では団塊世代の定年退職が問題になっていますが、パイロットの社会でも同じ現象が起きていて、今後 JAL,ANA などの定期航空会社では毎年、合計二百~三百人の機長が定年退職します。

パイロット不足を補う為に、従来は定年退職した パイロットを 六十三才まで、アイベックス、中日本、日本 エアーコミューター、北海道 エアシステム、琉球 エアーコミューターなどの資本提携した子会社で、アルバイトの契約 パイロットとして、毎月十五日間だけ働かせていました。

Jalways しかしそれだけでは機長不足を解消できないので、近いうちに航空会社を六十才で退職させずに、しかも安い給料で雇用継続する計画があるそうです。ところで日本人よりも低い給料で外人 パイロットを雇い、JAL では本体だけでも 百人ちかくの 外人パイロットを雇用しています。海外路線専門の子会社である JAL ウエイズでは、殆どが外人 パイロットで、客室乗務員の半数以上は タイ人 が占めています。日本航空 グループ全体では 三百人もの外人 パイロットが在籍しているといわれています。なおこの会社の飛行機は機体年齢が、他社の二倍以上も古い二十才近いので、乗る際にはご用心を。

全日空では平成十八年に総合商社の双日との共同出資で、パイロット派遣会社 「 クルー・リソーシズ・ワールドワイド、Crew Resources World Wide 」 をハワイに設立しましたが、主に米国人 パイロットを活用し、自社 グループだけでなく、パイロット不足が予想される中国をはじめ、アジア各地の航空会社にも パイロットを派遣するのだそうです。

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