これには参った
車にたとえれば、車検が済んで整備工場から出て来たばかりの車に乗り、道路を直進したものの、次の角で左折しようと ハンドルを左に切ったら、車は左に曲がらずに右に曲がり始めました。そんな馬鹿なことが起きる ワケが無いと思うでしょうが、実際に飛行機で起きたのです。しかも空中で!!。
前回は オーバ-ホールを終えたばかりの飛行機で離陸したら、速度計が狂っていた話でしたが、これも同じく昭和四十年代の半ば頃のことでした。新明和工業で機体の オーバーホール ( 整備 ) を完了した F-27 ( フレンドシップ ) を、ある日 テスト飛行することになりました。
例によって機長、副操縦士の他に、立ち会いの整備士、新明和の整備関係者が乗り、大阪伊丹空港の滑走路 32から離陸しました。大阪空港の出発方式では騒音防止の為に、離陸後は、伊丹 VOR/DME ( 方位と距離を示す航法援助施設 ) から 2.2 マイル ( 4 キロメートル)の距離まで直進し、そこから左旋回をして出発経路に乗ることになっていました。
離陸後いつものように、左旋回をするために操縦輪 ( Control Wheel )を左に回したところ、なんと機体が右に傾くではありませんか。慌てて更に左に回そうとしたら、機体は益々右に傾き飛行機は右に旋回を始めました。そこで機体を傾ける エルロン ( Aileron、 補助翼 ) の 動きが逆になっていることに、ようやく気が付きました。
上の写真は F-50 の操縦席ですが、左右にある操縦輪 ( Control Wheel ) が見えます。この操縦輪のことを英語では ヨーク ( Yoke ) ともいいますが、荷車を引く牛の首に付ける 「 くびき 」 に形が似ているからだそうです。
再度車に例をとれば、ハンドルを切る方向と逆の方向に タイヤが向きを変える車で、高速道路を走るようなもので、ターボ・プロップ機 ( ジェット・エンジンで プロペラを回す方式 ) の時速 四百 キロメートルの スピードで走るとしたら、この上もなく危険を感じるのが普通です。私もこのまま飛行を続けることに危険を感じて、すぐに伊丹空港に戻ることに決めました。
着陸後新明和工場で操縦系統を調べたところ、主翼の後縁にある エルロン ( 補助翼 ) を動かす システムの部品を、逆方向に取り付けていたのが原因でした。飛行機が旋回する時の状態を図で説明しますと、左旋回する場合、操縦輪を左に回せば左補助翼(赤色)が上にあがるために気流の力で左翼が下方に押し下げられ、右側では補助翼が下がる為に揚力が増大し、右翼は上に働く力を受けます。その結果、飛行機は左に傾き旋回に入ります。
以前読んだ外国での飛行機事故例では機体を左右に傾ける補助翼ではなく、機首を上げ下げする昇降舵 ( Elevator ) の動きを コントロールする部品が逆に取り付けられていたために、離陸中に機体が一度浮き上がってから墜落した ケースがありました。
それ以後も何度か社内の テスト飛行や F-27 を売却する際には、購入する外国航空会社の パイロットがおこなう テスト飛行に、機長として右席 ( 副操縦士席 ) に座り立ち会いましたが、重整備を終えた機体の テスト飛行の前には、地上で補助翼、方向舵、昇降舵が 正常な方向に動くのを確かめることにしました。
コメント
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こんにちは
伊丹からフレンドシップに乗ったのは昭和43年だったと思います。もっとも好きなカタチの航空機のひとつです。
たぶん20日発売だと思うのですが、予約してあったDVDが来たので、映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」
http://www.chiran1945.jp/
を見ました。
岸恵子が鳥濱トメさん役で、敗戦が分かっていて特攻を行った意義や靖国神社について、石原氏慎太郎流の脚本のようです。
メイキングも見ていますが、若い隊員役30名ほどはクランクイン前から自衛隊に体験入隊してしごかれていました。
彼らにとって、特攻の映画に出演するということは、時代劇に出演したのと同じことだそうです。
投稿: Y.S | 2007年10月23日 (火) 19時30分
四十年近くまえの 「 古き良き時代 」 の話ですが、岸慶子は フランス人映画監督の イブ・シャンピ と結婚し後に離婚しましたが、英語、フランス語を一言も話せなかった彼女を、シャンピがどのようにして 「 ものにした 」 のか、当時話題になりました。
投稿: Y.O. | 2007年10月24日 (水) 09時56分