手紙と睡眠薬
昭和五十年 ( 1975年 ) 代といえば海外旅行が盛んになり、東南アジアや韓国には買春 ツアーの団体が押しかけましたが、金野内蔵氏から聞いた話は、その頃のことでした。
あるとき金野氏は地方空港から フィリピンの首都 マニラへ チャーター便を飛ぶことになりましたが、搭乗してくる乗客を操縦席からみると、ほとんどが男性ばかりの団体でした。マニラまでは 四時間ほどの飛行でしたが、到着後に スチュワーデスから話をきくと、マニラで団体客が降りた後の座席前のポケットには、 「 滋養強精のドリンク剤 」 の空 ビンが多数残っていたとのことでした。
マニラの ホテルに着いてから副操縦士と航空機関士は マニラ市外の観光に行き、金野氏は前にも行ったことがあるので行かずに、一人で市内を散歩することにしました。まず最初に近くにある ホセ・リサール公園に行きました。
ホセ・リサール ( Jose Rizal )とは、 フィリピンでは誰もが知る独立運動の闘士でしたが、フィリピンを植民地支配していたスペイン当局により逮捕され、1896年に反逆罪で銃殺されましたが、その処刑跡に記念碑が建てられ周囲が公園になっていました。台座の左右に衛兵がいるのが見えます。
ここは丁度 ワシントン DC にある アーリントン墓地や、台湾で蒋介石を記念する中正記念堂のように、儀仗衛兵 ( オーナーガード、Honor Guards ) が二十四時間、交代で立哨警備していました。
公園内を散歩していると、一人の フィリピン人男性が話し掛けてきました。日本に旅行した際に知り合った友人から手紙が届いたが、日本語で書いてあるので読めないで困っている読んでくれないか?、とのことでした。手紙を見せろというと家に置いてきてしまった。ここから直ぐ近くだというので、親切な (?) 金野氏は一緒に男の家に行くことにしました。
ところがすぐ近くのはずの家に行くのに、タクシーに乗ったではありませんか。しかも走って行くと観光客が足を踏み入れない危険地帯の街中に入って行きました。金野氏は危険を感じて タクシーを停め、運転手に料金を支払い、男に 「 You son of a bitch , a Liar 、この ウソ つき 野郎め !」 とどなりつけて下車し、広い通りで別の車を拾い ホテルに戻りました。
「 お前は売春婦の息子だ 」 という表現は、言われた当人と彼の母親の両方を侮辱する最大級の悪口ですが、英語にはこの種の 性にからんだ下品な言葉 ( カスワード、Coarse Words ) や表現がたくさんあります。
顔見知りのホテルの接客係女性 マネジャーの話によれば、狙った カモ ( 観光客 ) を家や コフィーショップ、バーなどに誘い込んで、睡眠薬入りの ジュース、酒類を飲ませて眠らせ、身ぐるみ 剥いで外に放り出す犯罪が マニラ では増えていたそうで、金野氏も危うかったとのことでした。
外国で知らない人が話掛けて来たら、百 パーセント カモを狙う犯罪者だと思って用心することです。
« タックル | トップページ | 六十才のデス (その一) »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント