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2007年12月 1日 (土)

六十才の デス ( その二 )

Setochuuou 前回は塩飽 ( しわく ) デス が六十才まで飛び続けたことを書きましたが、塩飽という名前を聞くと、海事関係者であれば、瀬戸内海に浮かぶ塩飽諸島 ( しわくしょとう ) や塩飽水軍を連想します。塩飽諸島とは岡山県と香川県に挟まれた西備讃瀬戸 ( にしびさんせと 、備前と讃岐 ) に浮かぶ、大小合わせて二十八の島々からなり、本島 ( ほんじま ) が中心です。赤の矢印は本州と四国を結ぶ三本の橋の一つである瀬戸中央自動車道で、黄色の矢印は江戸時代に塩飽勤番所があった本島です。塩飽 ( しわく ) の名前の由来については、

その一、「 塩焼く」 説
古くは万葉集に 「 藻塩 ( もしお ) 焼く 」 とあるように、古代の製塩法は海水に浸した 海草の ホンダワラ を乾燥させるという工程を繰り返して、塩分濃度を高めた鹹水 ( かんすい、塩辛い水 ) をつくり、最後に土器で煮詰めて塩を採るというものでした。塩田による製塩法は、奈良時代後期に始まったと考えられています。

その二、「 潮湧く」 説
二十八もある島々の間を流れる潮流が潮の干満により速くなり、あたかも潮が湧き立つようなので 「 潮湧く 」 と名付け、そこから塩飽 ( しわく ) になったとするものです。

Shirai ところで 「 デス 」 出身の関西の有名人には尼崎市長の白井・文  ( しらいあや、旧姓 久保田 )  さんがいますが、金野氏は彼女とも昭和五十四年 ( 1979年 ) から平成二年 ( 1990年 ) まで十年間、同じ大阪伊丹空港基地に所属していたために、何度も一緒に乗務したはずでした。しかし前述の如く女性に モテナイ 男の代表格でした金野氏は、女性の顔にはさっぱり関心がなかったので、会社の忘年会の席で同僚から 久保田 ( 現 白井 ) さんが最初に尼崎市の市会議員になった話題が出ても、 どんなこ ( 娘 ) だったのかさっぱり見当がつかなかったそうです。

Seremoni パイロットや  デス  が定年退職する最後の飛行を ラスト ・ フライトといいますが、金野氏の場合は めっぽう気が強い  山 いも 女房 どのを客席に乗せて、成田から ホンコン泊まりの フライトをしたそうです。

四大卒業後 三十八年間  デス  として飛び続けた塩飽  デス の ラスト ・ フライトの出迎え セレモニーには、百名以上の  デス  が集まり、後輩の  デス  たちから沢山の拍手と花束をもらっていました。

なお当日は 羽田 と上海の新しい 空港 ( 虹橋空港 ) とを結ぶ 初便の出発 セレモニー があったために、 深く切れ込んだ スリットのある チャイナ・ドレス を身にまとった 豊かな肢体の後輩  デス たちも出迎えました。

Oshitone 彼女が入社した当時の  デス  の定年は、江戸城大奥の おしとね 辞退 と同じ 三十才でしたが、その後 段階的に延長され、今では 六十才となりました。しかも昔は未婚が絶対の条件でしたが、現在では結婚している  デス  は当たり前で、子持ちや、なかには孫持ちの グランマ ( Grand -ma、お婆ちゃん ) デス もいる ご時世になりました。

Kotobuki ちなみに彼女の総飛行時間は 二万三千五百十二時間四十七分で、一日 二十四 時間飛び続けたとして 九百八十日の間 飛び続け、飛行距離にすると地球を 四百七十 周したことになるそうです。日本航空の永島さんと同様に 、塩飽 ( しわく ) さんも 十人並み以上の容姿でしたが、家庭に入る幸せよりも  デス  の仕事を続けることを選び 独身を通しました。退職後の人生が幸せであるように、陰ながら祈ります。

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コメント

ブログ開設当初から楽しく読ませていただいている一般利用客です。いつも利用している米系航空会社で、ある乗客と乗員(たぶんキャプテン)の関係を見て不思議に思っていました。その乗員が奥さん乗客としてを乗せているのでした。自分が勤務中に旅行でもないだろうし、奥さんが日本にひとりで仕事やレジャーがあるとも思えない年齢・風体でした。今回読んでいて、「なるほど!」と腑に落ちました。ご主人の引退飛行あるは、引退間近なので、記念として、奥様を招待してていたのですね。

もちろん ラスト・フライトの場合もあるでしょうが、それ以外でも自分が操縦する飛行機に奥さんを乗せて、海外に飛ぶ場合もあります。海外の一流 ホテルは シングル・ベッドルームが少なく殆どが ツイン・ベッドの部屋であり、しかも ホテルの部屋は何ヶ月もの間長期契約で会社が借り上げているのです。その部屋に一人で泊まろうが、家族と一緒に泊まろうが、ホテル側にはあまり関係ないからです。もしシングル・ルームの場合には追加料金を支払って、ツイン・ベッド・ルームに変えてもらいます。

帰りは亭主と同じ飛行機で帰国することも可能ですし、あるいはその後の部屋代を自費で負担して何日も滞在し、一人で観光して帰国する場合もあります。年間の回数に制限がありましたが当時の運賃は予約可能の割引か、予約不可の無料がありました。

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