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2007年12月 8日 (土)

なお子 デス

昭和四十年代のこと、会社に なお子という スチュワー「デス」がいましたが、今回は彼女のことです。当時の パイロットの勤務形態は 四・一・四・二 といって、四日勤務すると一日休み、四日勤務で二日休み で休日は月に 十日でしたが、現在の国内線では 三・一・三・二 に変わっています。

デス の勤務形態は知りませんでしたが、なお子 デスとは偶然にも一緒に乗務する機会が多かったので、 デス の顔や名前に無関心だった金野内蔵氏も、なお子 デスのことだけは記憶していたのだそうです。それに当時は私鉄の駅近くに スチュワーデス寮があり、金野氏もその近くに住んでいたので、駅前の商店街で顔を見たことがありました。そのうちに彼女は退職しましたが、うわさによれば タイ人と結婚して タイに渡ったとのことでした。

Orientaru ある年に女房の実家から母親を呼び小学生だった 二人の子供の世話を頼んで、夫婦で タイと マレーシアに海外旅行に行きましたが、団体旅行ではなくいつものように個人で飛行機、ホテルの手配をする個人旅行でした。タイでは サービスが良いので国際的にも有名な オリエンタル・バンコック・ホテルに泊まることにしましたが、 チェックインのためにフロント・デスクに行くと、そこには なお子  デスがいたので、金野氏も彼女も驚きました。

彼女は タイ人の夫の世話で オリエンタル・ホテルに勤務し、接客係 アシスタント・マネージャーをしているとのことでした。このホテルでの チェックインの手続きは高級 ホテルらしく各自の客室でおこなう仕組みで、部屋に行くと南国特有の良い香りのする蘭が飾られ、テーブル上の フルーツ・バスケットには果物が山盛りにされていました。すると バトラー ( Butler、執事 )が マネージャーからの メッセージと、ボーイが ウエルカム・ドリンクを持って部屋に来ましたが、バトラーはこの部屋の担当だと自己紹介をしました。

Tai3dan なお子  デスの メッセージには エアライン・ディスカウント ( 航空会社の従業員割引 ) よりも更に割引して、部屋代を半額にしますと書いてありました。当時の部屋代がいくらだったか忘れましたが、その頃は  「 バンコクの帝国 ホテル 」 といわれていたので、現在の貨幣価値に換算すれば 一泊四万円程度はしたはずです。三泊したので なお子 デスのお陰で、ホテル代をかなり節約することができました。( 感謝 )

Chaopra この ホテルは チャオ・プラヤ川に面して建てられた ホテルですが、もともとは川を上り下りする旅人の船宿として建てられたものだそうで、ホテルのすぐ前には船着き場があり、対岸への渡船は宿泊客には無料でした。あれから四十年近く経っているので なお子 デスも仕事を辞めた年齢と思いますが、バンコクの地にしっかりと根を下ろして生き続けることでしょう。彼女に限らず外国人と結婚して世界各地に行き、そこで生活の根を下ろした 「 大和なでしこ 」 の姿を各地で見ましたが、その精神力の強さ、行動力には脱帽しました。

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コメント

こんにちは
いま、偶然ほかのブログでバンコクの「象さんビル」を見たところでしたが、いいお話ですね。

バンコク市内の観光 スポットである エメラルド寺院に入る際に、短い ズボンを履いていた女房は女性監視員にみつかり長い巻 スカートを有料で借りて見物しましたが、貸し スカート屋と監視員は グル になって カネ 儲けをしていました。

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