年末年始、雑感
おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
皆さんは年末年始をどのように過ごされましたか?。年末年始を海外で過ごしたり、飛行機で帰省された方もおられたと思いますが、航空会社にとっては年末年始は かき入れ時ですが、夏休みほどではありません。
その理由は高速道路の渋滞状況と同じで、年末は下り便が混雑し、年明けから上り便が混むという 主に片道しか混まないので、売り上げ額は思ったよりも増えないのです。
パイロットを含めて航空会社の従業員とは、入社した時から土曜、日曜、春休み、夏休み、年末年始など、他人が遊ぶ時ほど忙しくなる因果な商売なのですが、私が現役の頃には 元日に休むことができたのは、三年に一度の割合でした。
そのかわりに年末年始 ( 29日 ~ 3 日 ) に出勤した人には、一日当たり 一万円の特別出勤手当が付きました。
新聞広告などで正月を ホテルで過ごす プランをよく見ますが、年間に 120日から 135日を国内、海外の ホテルで過ごす パイロットからすれば、正月や クリスマス を都心の ホテルで過ごすと、 どこが良くて何が面白いのか理解に苦しみます。
ところで昭和47年 ( 1972年 ) に沖縄が日本に復帰した後も、 沖縄では日本本土の テレビ映像を リアル・タイムで見ることができなかったため、大晦日の NHK の紅白歌合戦の テレビ映像を録画した テープを、元日の朝の沖縄行きの飛行機に積んで運びました。
その結果沖縄では 24時間遅れの元日の夜に 紅白の テレビ放映があり、沖縄泊まりの乗員は紅白歌合戦を二度見ることになりました。
本土の テレビ映像がリアルタイムで見られるようになったのは昭和51年 ( 1976年 ) からで、中継用の マイクロ ・ウエーブ回線が鹿児島から視達距離 ( Line of Sight ) の島伝いに沖縄本島まで完成したからでした。
ホンコンも日本の放送衛星が打ち上げられるまでは同じ状態でしたし、成田を朝 10時発の ホンコン行きの飛行機に、新聞の朝刊を毎日 貨物として大量に搭載して、ホンコンの日系企業や、邦人宅に 午後から夕方にかけて配る サービス会社がホンコンにありました。
ところでNHK の紅白を、私は 二十年以上見ていませんが、年を取ると 「 子供 」 が飛んだり跳ねたりする 「 学芸会 」 や、老いが目立つ ナツメロ 歌手の歌に対する興味が無くなったからでした。最近の テレビは お笑い芸人と称する大人が 「 悪ふざけ 」 をする、下品な白痴番組が多すぎます。
そこで年末年始は テレビを見るよりも、市の図書館から借りてきた藤沢周平の時代小説を読むことに決め、除夜の鐘を聞きながらも読みました。彼はすこし暗い陰のある作品を書きましたが、十年まえに亡くなりました。
元日には ウイーン ・フィル ( Vienna Philharmonic Orchestra )の ニューイヤー ・ コンサートがありましたが、今年はあることを発見しました。それは女性の演奏家が、オーケストラの中にいたことです。
ウイーン・フィルは長年受け継がれて来た 自分達の 「 音 」 の伝統を守るため、 ウィーン音楽院出身の演奏家しか採用しない、 女性演奏家は採用しない、 使用する楽器は、オーストリア製のものに限る、現在の メンバーによる直接の指導を受けた演奏家に限る、 などとしてきました。
しかし 150年にわたる 女性差別、有色人種差別の伝統 が国際的に非難されたので、1997年に初めて女性演奏家を受け入れ、2002年には小沢征爾が ウイーン・フィルとは近い関係にある ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任しました。
毎年の ニューイヤー・コンサートを注意して見た限り、これまで女性演奏家の姿は見当たりませんでしたが、今年初めて ハープ の前で バイオリンを弾く女性がいたことを確認したので、デジカメで証拠写真を撮りました。 女性不在の宮廷音楽士の流れを汲む伝統も、少しずつ変化してきました。
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コメント
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藤沢周平さんの小説は『腕に覚えあり』以来あまり読んでいませんが、最も好きな監督、山田洋次とその一門?による映画4本や、TV版の「蝉しぐれ」などはとても良かったと思います。映画はすべてDVDを買いました。
投稿: Y.S | 2008年1月13日 (日) 14時50分