ポトマック川
アメリカの首都ワシントンD.C. ( District of Columbia 、コロンビア特別区、コロンビアとは アメリカ大陸発見者の コロンブスの名前 ) には 主に国際線用で、市街から西へ 4 3 キロ離れた バージニア州にある ダレス 国際空港と、北に 50 キロ離れた メリーランド州の ボルティモアにある ボルティモア/ワシントン国際空港がありますが、日本から便利なのは、全日空が 唯一 ノン ・ ストップ便を運航する ダレス 国際空港です。
後期高齢者 ( 7 5才以上 ) であれば昭和 26 年 ( 調印式をおこなった立役者で、後の アメリカの国務長官、ジョン ・ F ・ ダレス の名前をご存じと思いますが、ダレス 空港の名は彼に由来します。写真は日本側代表の吉田首相の署名の様子です。 ( クリック で写真が拡大 )
ワシントンD.C. の 市街地の近くには 主に国内線用 の ナショナル 空港がありますが、ここも ワシントン D. C. にあるのではなく、ポトマック 川の対岸にあるので バージニア 州になります。
かつては ワシントン ・ ナショナル空港 ( Washington National Airport ) という名前でしたが、政界を引退後に認知症を患い死亡した レーガン大統領にちなんで、平成10年に ロナルド ・ レーガン ・ ワシントン ・ ナショナル空港 ( Ronald Reagan Washington Nationl Airpor ) と改名されました。
しかし長い名前なので一般には レーガン ・ ナショナル空港、もしくは ナショナル空港と呼んでいます。
ところで昭和 57 年 ( 1982年 ) 1 月13日午後 4時頃のこと、ワシントン ・ ナショナル空港から フロリダ州 タンパに向かう エア ・ フロリダの 90便、ボーイング 737 型機が、ナショナル 空港を離陸直後に、滑走路端から僅か 1.2 キロメートル のところにある ポトマック 川に墜落しま した。
写真の空港の周囲は ポトマック川ですが、写真の長い滑走路を上 ( 北 ) に向けて離陸しました。
乗員、乗客、計 74 名と地上の 4 名の合計 78 名が死亡し、6 名が重傷、4 名が軽傷を負いましたが、墜落現場は ホワイトハウスから僅か 2 マイル ( 3.2 キロメートル ) 以内の所で、ジェファソン 記念堂や ペンタゴン ( 国防省 ) を望める場所でした。
[ プッシュ・バック、牽引車による後進 ]
空港の ゲートから飛行機が出発する場合には、まず トウ ・ トラクター ( または タグ、Tow Tractor 、Tug )で、飛行機を駐機場内の自力走行ができる位置まで押し出し、バックさせますが、この動作を航空業界では プッシュ ・バック ( Push Back ) といいます。
写真は出発準備のため、 プッシュ ・バック用の トウ ・ トラクター( Tow Tractor ) および、機首の車輪部分と トラクターを連結する トウ ・バー( Tow Bar ) を用意するところです。
事故機は吹雪のために滑走路が閉鎖されたこともあり、 ナショナル空港からの出発が二時間近く遅れました。ゲートで機体に除氷液を散布し、出発のために ゲートから トラクターで、機体を プッシュ ・バック ( Push back ) しようとしましたが、チェイン を巻いてない タイア が雪で滑って飛行機を押し出すことができませんでした。
そこで機長は パワー ・ バック ( Power Back ) を管制塔に要求しました。写真は ゲートから出発前の事故機ですが、この写真撮影から 50 分後に墜落 しました。
パワー ・ バック とは トラクター を使わずに、着陸の際に使う エンジン の逆噴射を使用 して、ゲートから自力で機体を バック させる方法ですが、危険なために日本の空港では許可されていません。
金野内蔵氏によれば 3 6 年の パイロット 生活で たった 一度だけ、 グアム の空港で コンチネンタル 航空の飛行機が パワー ・ バック したのを見たそうですが、逆噴射で生じた排気 ガス の強風が 搭乗に使う ボーディング ・ ブリッジを大きく揺らせ、整備事務所前にあった連絡用自転車を吹き飛ば したとのことで した。
エンジン の位置が低い B-737 の機体で パワー ・ バック の為に エンジン の逆噴射をすれば、地上の雪や氷を巻き上げてしまい、折角 除雪や防氷液を散布 した機体や主翼にそれが付着 したのは当然のことでした。
機長は エンジンの逆噴射 ( スラスト ・ リバーサー、Thrust Reverser ) を 1 分半ほど使用 しましたが、それでも機体は バック しませんで した。そのために パワー ・ バックを諦めて、タイアに チェイン を巻いた別の トラクター を呼び、ようやく誘導路に出ることができました。( 続く )
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