鎮魂録
[ 大阪・伊丹空港 ]
その昔、寒さが原因で離陸直後に墜落した事故が大阪伊丹空港でありました。昭和 39 年 ( 1964 年 ) 2 月のこと、大阪 ( 伊丹 ) 空港発徳島行きの日東航空の グラマン ・ マラード が、離陸直後に エンジン ・ トラブルのため、滑走路端から 約 1,000 メートルのところにある畑に不時着して、後に爆発炎上しました。
飛行機の レシプロ ・ エンジン ( Reciprocating Engine 、往復機関 ) には、GD I ( Gasoline Direct Injection 、直噴 エンジン ) が開発される以前の自動車 エンジンや現在の バイクと同様に、空気を吸入する際に ガソリンを気化して エンジンに送り込む、気化器 ( キャブレター、Carburetor ) がありました。
事故当時は雪が降る天候であり、気化器に送る空気を予熱 ( Pre Heat ) しなかった為に、気化器に着氷した ( キャブ ・ アイス を生じた ) のが原因でした。
飛行機には パイロット 2 名、スチュワーデス 1 名、乗客 7 名の合計 10名が乗っていましたが、そのうち 乗客 1 名、スチュワーデス 1 名の計 2 名が死亡しました。事故機に乗務していた スチュワーデスの麻畠美代子さん ( 京都市出身 ) は、墜落直後乗客の救出と避難誘導に尽力し、一旦は機外に脱出しましたが、乗客の 1 人が機内に取り残されたために救出しようと機内に戻ったところ、漏れた ガソリンに引火して機体が爆発して 殉職しました。
彼女の勇敢な行為を称えるために、六甲山の高山植物園の南側を通る六甲山の縦走路の傍に、美代子から名前を取った みよし観音像 が建てられています。
金野 氏も若かりし頃は登山が趣味でしたので、六甲全山縦走大会 (兵庫県 ・ 明石に近い 須磨の浦 から 宝塚まで 九つ の山越えをして尾根道、 56 キロ を制限時間内に歩く ) に参加して、13 時間で走破しましたが、 事前の トレーニングでそこを通る際には、同業者 ( ? ) として何度もお参りしました。
[ モスクワ ・ シェレメチエヴォ空港 ]
今から 30 年以上前の昭和 47年 ( 1972 年 )11月のこと、日本航空 446 便の DC-8 型機 が モスクワの シェレメチエヴォ 国際空港を離陸した直後に、高度 100 メートル から失速し、滑走路の端から 150 メートルの地点に墜落した事故がありましたが、離陸してからわずか 30 秒後のことでした。
この事故により乗客乗員 76 名中 62 名が死亡しましたが、運航乗務員は 6 名全員が死亡しました。しかし スチュワーデスは 7 名中死亡したのは僅か 2 名であり、死亡率は 36 パーセントでした。
スチュワーデスを除く乗員乗客の死亡率は 82 パーセントであり、そこには大きな差がありましたが、その理由とは前方からの衝撃に対して安全な、後ろ向きに座る スチュワーデス / スチュワード 用の座席のせいでした。
写真は毎回の離着陸に際して緊急事態への対応を、頭の中で再確認 ( Mental Review ) しているところ。
本で読みましたが、アメリカ大統領専用機の エアーフォース ・ ワン では、大統領の座る座席は離着陸時に後ろ向きに固定するそうですが、私が海上自衛隊で乗務した対潜水艦哨戒機でも、航法士 ( ナビゲーター )、レーダー ・ マン など クルーの座席は、離着陸時には後向きに固定しました。
事故原因は副操縦士が離陸後に車輪を上げる際に、誤って スポイラー ( Spoiler 、着陸後 ブレーキ の効果を高めるために、翼に立てて揚力を急速に失わせる抵抗板 ) を立てた為でしたが、ここでも エンジンの防氷装置が OFF ( 使用しない ) になっていたことを、ソ連 ( 当時 ) の事故調査報告書で指摘されました。
操縦席の頭上 パネルに装備された、 エリア ・ マイク ( Area Microphone ) が拾った C V R ( Cockpit Voice Recorder ) の記録によれば、
離陸直後の機長の声 : 「 ヤッコラ さ 」、
機長の声 : 「 オイ、それは何だ 」、
副操縦士の声 : 「 すみません 」、
金野 氏から聞いた話によれば、大学で 2 年後輩の M 君が交代 ( OFF Duty ) パイロットとして、離陸時に操縦室後部に乗っていたそうですが、気の毒にも事故で亡くなりました。彼は スチュワーデスと社内結婚し、たしか子供が 2 人いたはずでしたが、その子も今では 40 才前後になっているはずです。
飛行機事故は絶対に起こしてはならないと、退職後も思う次第です。
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コメント
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自らの命のかけがえに
人につくすことほど
崇高な行為はない
この行いの内にこそ
人間の眞の勇気と
美しさと尊さがある
紅蓮の炎に消えた
一人の若い娘が身を
もって明かしたものは
それだった
詞 石原慎太郎作
なぜ石原慎太郎さんなのですか?
投稿: Y.S | 2008年4月 6日 (日) 23時19分