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2008年4月12日 (土)

前車の轍 ( てつ )

Wadachi 古 いことわざに 「 前車の轍  ( てつ ) を踏む 」  というのがありま したが、轍 ( てつ ) とは  「 車のわだち 」 のことであり、現代風にいえば 「 タイヤの跡 」  のことです。直訳すれば 「 前を行く車の、タイヤ の跡をたどること 」 ですが、ことわざの意味とは 前の人の失敗を、あとの人が同じように繰り返すこと への 戒 めです。

写真を  クリック すると拡大 します。

Whiteout 昭和 47年 ( 1972年 ) のある冬のこと、朝一番の便で羽田を離陸 し 札幌千歳空港の雪に覆われた滑走路に着陸 しま したが、降雪 の中で白一色の滑走路 への着陸操作は、ホワイト ・ アウト ( 視界が白一色で陰影がな く、高さや方向などが一時的に、識別不能となる現象 ) という言葉があるように、滑走路の末端を通過 してからの最終段階で 肉眼による高度の判断が 、通常よりも難 し いことです。

そういう場合には I LS ( I nstrument Landing System  、計器着陸 システム ) の電波に、飛行機の オート パイロット ( 自動操縦装置、機種により 2 ~ 3 組 装備 )  を カップル ( Couple 、並列に 接続 ) させて、 コンピュータ  を互いに クロス ・ チェック ( Cross Check )  させながら、安全に自動着陸することが可能ですが、その当時の オート パイロット には 自動着陸性能  がありませんで した。

滑走路上には金野 氏の飛行機よりも 10 分前に着陸 した鶴丸航空の D C-8 の 「 車輪の跡 」 が 、雪の上に クッキリ とついて いま したが、降雪 のために ターミナル ビル や管制塔が見えないほど視界が悪 かったので、その 「 車輪の跡 」 を忠実 に たどって滑走路から雪で白い誘導路 へと走行 しま した。

Josetsu ターミナル へ の走行途中で ふと見ると、左側 に 黒 い物 が点々と誘導路上 に 並んで見えま したが、誘導路 の中心線のように見えま した。中心線が 二本あるのか (?)、瞬間 そう思 いま したが そんな馬鹿 なことがあるはずがありません。

D C-8 の機長が、雪 に覆われた誘導路の右端を中心線と間違えて走行 していたので、右側車輪は当然 誘導路から脱輪 して走行 したことになります。その車輪の跡を何も考えずにたどっていた金野 氏は、あわてて正規の誘導路の中心に戻りま した。

Jaidc8 鶴丸航空の飛行機が D C-8-5 0 型と小型で軽 かったこと、金野 氏の飛行機も 178 人乗りの B-7 2 7 型で同 じ程度の小型機だったことと、誘導路を造成する際に舗装 した部分の外側 の地面も 硬 く展圧されていて、しかも冬の北海道のために地面が固 く 凍っていたことなど幸運が重なり、雪の上を脱輪走行 しても車輪が土に 埋まらずに 済 みま した。

それからの数日間は フライ ト ・ バイオ レーション  ( F l i g h t - V i o l a t i o n 、 航空法違反 ) で、航空局から呼び出 しが来るかも しれないと 思 い、金野内蔵 氏は ヒヤ ヒヤ  したそうですが、何も言われずに済み ホット  しま した。着陸後も激 し く 降 り 続 いた雪 で、 「 脱輪の跡 」 が多分消えて しまったのかも しれません。前車の轍 ( てつ ) を踏む失敗を、身をもって体験 したのは最初で 最後で した。

Datsurin ところで脱輪といえば 金野内蔵  の 老妻 である 金野 内子 ( な い こ ) も  5 0 年 近く前 に車の運転免許を取ったそうですが、運動神経が 鈍 い彼女は、自動車教習所で運転講習を受ける際 に、所内 の コースで何度 も 脱輪を繰り返 しては、その度に補習を受けて いま した----8 回 も ? 。

しかも自動車教習所に通うまでは長年 便秘症 に 悩 んで いま したが、教習所 に 通うようになると便秘が治ったどころか、今度は 「 神経性の下痢 」 になったそうです。便秘 にお悩 みの方は、車を 一度 脱輪 させると 治 るかも しれません ( ? )。

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