« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

2008年5月31日 (土)

飛行機恐怖症 ( その2 )

生まれて初めて飛行機に乗る人が、飛行機が落ちるのではないかと心配し、パニック状態になった話をしましたが、参考までに安全性の高い 「 まともな航空会社 」 の飛行機事故率は、百万回の飛行当たり 1  以下なので、安全な航空会社はどこか、以下の ページを参考にしてください。

http://homepage3.nifty.com/yoshihito/jumon.htm#anzen

Kimuj 飛行機嫌いで有名な政治家には北朝鮮の キム・ジョンイル ( 金正日 ) がいますが、彼の飛行機旅行が最後に確認されたのは、昭和 40年 ( 1965年 ) の インドネシア訪問の際であり、父親の 故  キム・イルソン (  金日成 ) に随行した時でした。

それ以来彼は飛行機で旅行したことはありませんが、欧米の専門家によると彼は飛行機恐怖症ではなく、実は 飛行機による暗殺恐怖症 なのだそうです。

アメリカの北朝鮮専門家である マーカス ・ ノーランドによれば、飛行機事故 ( ミサイル 攻撃による墜落を含む ) で死亡する独裁者、政治指導者の数が多いため、キム ・ ジョンイル ( 金正日 ) が列車による移動に固執するのも、十分理由があるのだそうです。

そういえば文化大革命末期の 1971年に、中国で一時は毛沢東の後継者と目されていた共産党副主席で、大元帥の称号を持つ 林彪 ( りんぴょう ) が、中国民航の英国製  トライデント機で ソ連に亡命 (?) 途中に、 モンゴルで原因不明の墜落死をしましたし、パナマの実力者 トリフォス 将軍も 1980年に飛行機事故で死に、パキスタンの大統領 ジアウル ・ ハク も 1988年に飛行機事故で死亡しました。

Kimuyonhi 昭和 62年 ( 1987年 ) に バグダッドから大韓航空の B-707 型機に乗り、経由地の  アブダビで降りる際に頭上の物入れに爆弾を仕掛けた、大韓航空機爆破事件の実行犯の一人である、 キム ・ ヨンヒ ( 金賢姫 ) 元死刑囚の自白によれば、キム ・ ジョンイル ( 金正日 ) からの 「 ソウルオリンピックの開催と参加申請妨害のため大韓航空機を爆破せよ 」 との 親筆指令 に従い 爆破 テロを実行したのだそうです。

これにより中東から帰国途中の出稼ぎ韓国人労働者を含む、 115人が死亡しました。上の写真は自殺防止用の口輪をはめられて ソウル・キンポ空港に降りる キムの姿ですが、彼女は死刑を宣告されたものの、すぐに恩赦となり、仮出所してからは韓国情報部員の男と結婚しました。

115人も殺した実行犯に対するその後の処分の甘さに、日本では考えられない、何か 不自然な政治的意図  や 「 おもわく 」 を感じました。

Panam747 爆破 テロによる飛行機の墜落事故で最大のものは、1988年に スコットランドの ロッカビー ( Lockerbie )  村上空で起きた パンナム ( Pan American World Airways ) 機爆破事件で、リビア人工作員が機内に仕掛けた爆弾により B-747の乗客乗員 259人と、地上の住民 11人が死亡しました。

Kadafi リビア の狂犬といわれた カダフィ  ( Kadhafi ) 大佐率いる政権は、 2003年になって アメリカによる経済封鎖解除を条件に、爆破 テロ実行犯 2名の引き渡しを拒否したものの、27億 ドルの補償金を支払い、補償問題は解決しましたが、1人当たり約 1000万 ドル  ( 10億円以上 ) という 超破格の補償額 となりました。

2008年5月24日 (土)

恐怖症 ( その1 )

Tanisetsuri 奈良県吉野郡十津川村 にある谷瀬 ( たにせ ) の吊り橋の上で、立ち往生した 高所恐怖症の パイロットがいたことを以前のブログで書きましたが、今回は閉所恐怖症の話です。

去年の 8月29日のこと鳥取発東京行きの最終便、全日空 298便が離陸のために滑走路に向かう途中、乗客の女性が突然、体調不良で 「 どうしても降機したい 」 と訴えました。同機には女性を含め乗客 158人が乗っており、そのまま ターミナルに引き返して女性を降ろした後、24分遅れで離陸しました。

Heisho 女性は客室乗務員らに 「 自分は閉所恐怖症ですが、飛行機に乗ってみたけど、やはり ダメだった 」 と説明し、女性はその後  J R  の列車で東京へ向かったそうです。全日空鳥取空港所では 「 唖然とするような理由であり、他のお客様のご迷惑を考えれば、航空機に搭乗すべきではなかった 」 との コメントを発表しました。

実はこういう閉所恐怖症の人は多いのです。私も現役時代に羽田で乗客の搭乗を終え、プッシュ・バック ( 牽引車に押されて機体を移動 ) 中に、気分が悪くなったから降ろしてくれという若い男の乗客が出たので、エンジンスタートを中止して ゲートに戻ったことがありました。

後で聞いた話によれば、営業係員が男に救急車を呼びましょうかと訊ねたところ、飛行機から降りたのでもう大丈夫と言って、ボーディング ・ ブリッジの中を スタスタ歩いて行ったとのことでした。

世間には閉所恐怖症以外にも飛行機恐怖症というのもありますが、以前私用で大阪から札幌行きの飛行機に乗るために ゲート に行くと、社員旅行の団体がいました。その中に顔色が悪い若者が 一人いて、周囲の同僚から 「 大丈夫だから心配するな 」 としきりに元気付けられていました。

聞くとはなしに話を聞くと、彼は生まれて初めて飛行機に乗るのですが、金属製の大きな飛行機が墜落するのではと恐れていたのでした。 「 飛行機は絶対に墜落しないから大丈夫 」 などと言うと [ ウソ ] になりますが、私など自分が操縦する飛行機は落ちないが、他人の操縦する飛行機は落ちるかもしれないと思っていました。

国内旅行では旅行保険を掛けたことはありませんが、海外旅行に行く際には必ず高額の保険に加入して、万一の場合に子供への プレゼント にするつもりでした。アメリカでは日本とは異なり 国民健康保険 ( 皆保険 ) 制度がないので、医療機関に行くとまず聞かれることは、医療 ( 旅行 ) 保険加入の有無であり、どのようにして医療費を支払うのかについてでした。

Ambulance1 たとえ救急車で運ばれても支払能力が無い者に対しては、医師は診察をしても ( 診て病名を告げるだけで )、 [ 治療を拒否する権利 ] が与えられています。

ちなみに救急車には自治体が運営するものと私企業が運営するものの 二種類があり、地方自治体により異なりますが、自治体の救急車でも有料 ( 2万円 ~ 3万円 ) が大部分です。

2008年5月17日 (土)

スライド と ラフトの違い

[1:スライドが無い機体]
昭和 36年末 ~ 昭和 40年代に日本の空を飛んでいた F-27 ( フレンドシップ )型の プロペラ機は、客室の床面が地上から約 1.5メートルと低いので、緊急脱出用の スライド ( 滑り台 )などはありませんでした。

F27f 乗客用の ライフ・ベスト ( 救命胴衣 ) は座席の下に用意されていたものの、ラフト ( 救命 いかだ、ゴムボート ) などは装備されていなかったので、例えば羽田から鹿児島行きの場合、伊豆大島から紀伊半島南端の潮岬、足摺岬、宮崎などの海上を飛ぶ場合に、緊急事態になり不時着水が必要な場合には最も近い陸地に向けて飛び、波打ち際の砂浜にでも車輪を降ろさずに胴体着陸するつもりでした。

というのは F-27 は翼が胴体の上にある高翼機のために、不時着水した場合には客室が最初に浸水・水没する危険が高い機体だったからでした。

[  2:スライドに使えるが、「 いかだ 」 にはならない ]
陸上で飛行機から緊急脱出をする場合には、ドアの内側に収納されている スライドを膨張させて  [ 滑り台 ] にして脱出する方法は、前回までの説明でお分かり頂けたと思います。では飛行機が海上に不時着水した場合に、 [ 救命 いかだ  ( ゴム・ボート )]  は飛行機に搭載してあるのでしょうか?。

Escapes B-727、B-737-100、DC-8 などの旧型 ジェット機に装備されていたのは、脱出用 スライド ( 滑り台 ) であり、海上に不時着水した場合には日除け、シブキ除けの天幕も張れず、 [ 浮き具 ] として滑り台の上に乗るだけでした。そのために洋上飛行を長時間する場合には、1個で 70 キロもある ゴム製の円形 ラフト ( いかだ、ゴムボート ) を機内に何個も搭載していました。

ところで前年には4件の航空事故が同業他社などで起きたために、昭和44年 ( 1969年 ) の夏に海上保安庁の神戸海上保安部と全日空大阪空港支店との合同で、海難救助訓練をすることになりました。海上保安大学出身で、海上自衛隊の対潜水艦哨戒機 ( P2V ) 機長経験者の私に対して会社から、君は海上保安庁に友人がいるであろうし、漂流訓練には慣れているはずだとの理由から、訓練の計画立案、実施を同僚と二人で担当させられました。

Life_raftp 運良く同期生と 二年後輩の男が、神戸海上保安部と所属する巡視船の航海士として勤務していたこともあり、保安部との打ち合わせは スムースにいきました。

パイロット、スチュワーデス合わせて 50名を巡視船に乗せて淡路島の沖に行き、そこで 3個の ラフト ( ゴムボート ) に移乗させて漂流訓練をおこないました。上の写真は外国の訓練風景。

Rafutotr 海上保安庁の航空機が捜索に来たので、フレアー(  Flare 、発火筒、発煙筒 ) を焚いて ラフトの位置を知らせました。ところが瀬戸内 ( せとうち ) の大阪湾とはいうものの、  ラフト自体が波で揺れるし、床がふわふわして座り心地が悪く、更に日除け、( 寒さ除け )、シブキ除けの キャノピー ( Canopy、天幕 ) などを ラフトに張ると、外の景色が見えないので、女性の中には船酔いになる者がかなり出たので張るのを止めにしました。

洋上に不時着水した場合に最も重要なことは飲料水の確保ですが、食糧が無くても水さえあれば何日も生きて行けます。雨が降れば前述の キャノピーで雨水を受けて飲料にすることができるのですが、降らなければお手上げです。

Epirb 海上自衛隊の対潜水艦哨戒機の ラフト ( ゴムボート ) には太陽熱を利用した造水装置や、レーダーに発見される為の電波反射 アンテナ、手回しの発電機で モ-ルス 信号の S O S を遭難周波数で自動送信する非常用送信機もありましたが、今では漁船、 外洋 ヨットなどの遭難事件でおなじみの遭難信号器、 イーパブ (  E P I R B、Emergency Position     I ndicating Radio Beacon  ) に代わったことでしょう。

それ以外に ラフトの緊急装備品の中には驚くことに  [ 英語の聖書の抜粋 ] までありましたが、米国から ラフトを直輸入したせいでした。遭難した人は 「 飢えや渇きで死ぬよりも、死の恐怖や生きる意欲を失って、絶望から死期を早める」 と ラフトの説明書に書いてあったのを記憶しています。

Kozou 尾籠な話で恐縮ですが、漁船が遭難し海上に脱出した ゴムボートの中で、自分の小便まで飲んで生き抜き救助された漁船員がいましたが、生き抜く意欲とはそういうものでした。

小便といえば、写真は昭和 27年 (1952年 )以来、東京JR浜松町駅の山手線 ホームにある 56才になったおなじみの [ 小便小僧 ] ですが、羽田空港から モノレールに乗り、終点の浜松町駅でJRの山手線に乗り換える際によく見ていましたが、季節毎に ボランティアが衣替えをさせています。

2008年5月10日 (土)

緊急脱出用、スライド ( 滑り台 )

Dc10slide 写真のような事故はいつでも、どこでも起こり得るものですが、そのために飛行機の出発に際して全ての客室 ドアーが閉じられると、航空会社により多少文言が異なりますが、チーフパーサーは緊急事態に対処し乗客の安全を守るために、毎回次のような業務連絡を マイクで放送します。

キャビン・アテンダントは、ドア・セレクター・レバーを   [ アームド、( 作動可能 ) ] の位置にしてください。
( Cabine attendannts move the door Mode Selector  to ARMED )

この操作をすることにより 各 ドアの内側に収納されている 緊急脱出用 スライド ( 滑り台 ) を、機体出入り口の床面に [ 固定する ] ことになります。

緊急脱出をする際には 「 飛行機にある出入り口、非常口の半数を使用して、90 秒以内に全員が脱出可能でなければならない 」 と決められていますが、詳しくは下記をクリック。

http://homepage3.nifty.com/yoshihito/jumon.htm#hijou-guchi

そのために スチュワーデスは脱出用の スライドの操作方法に習熟していなければなりませんし、パイロットも スチュワーデスも毎年一回 の緊急訓練を受講して、緊急時に必要な知識を再確認すると共に、脱出用 スライドで脱出の訓練をします。下記の ビデオの連中も多分パイロットで、スライドによる脱出には慣れたものでした。

http://www.youtube.com/watch?v=1FrWM6RZw7k&feature=related

最後に滑り降りた者に対して、「 God bless You 、神の祝福あれ !」 と誰かが怒鳴っていました。

Doordia 航空機 メーカーや機体の型式により ドアの操作方法に違いがありますが、アームド ( ARMED、作動可能 ) の状態で緊急時に ドア・レバーを  [ 開く位置 ]  に回すと、圧縮空気の圧力で ドアが開くと共に、脱出に使う スライド ( 滑り台 ) が自動的に 10秒以内に膨張し、機内からの脱出を容易にします。ドアに のぞき窓があるのは、不時着した場合に、機外に火災が無いことを確認してから開けるためです。

ところで もし キャビンアテンダントが  「 アームド ( ARMED ) 」  の位置にするのを忘れた場合には、緊急時に脱出する為に  ドアを開けても スライドは膨らみません。高さ 3 メートルの 1階の床、6 メートルの 2階の床から、地上に飛び降りなければなりませんが、しかも下には先に飛び降りた人たちが、大勢骨折や ケガなどして 動けないでいる上にです。

それゆえ機内の全てのドアを閉じた後で、チーフパーサーが ドアの モードセレクターを  「 アームド、ARMED 」 位置にする指示は、 乗客の安全にかかわる極めて重要な事柄 なのです。ある時鶴丸航空の飛行機で、「 アームド、ARMED 」 にするのを忘れて飛行した実例がありましたが、緊急脱出の事態にならずに幸運でした。

同様にゲートに到着後には出発時とは逆に、ドアの モード・セレクターを 「  ARMED、作動可能 」 の位置から、今度は 「 ディスアームド ( DISARMED )、あるいはディタッチ(DETACH、切り離す) 」 に戻さなければなりませんが、もしこの操作を忘れた場合にはどうなるのでしょうか?。

緊急脱出の事態でも無いのに、ドアを開けると脱出用の スライドが膨らんでしまいます。以前外国の飛行機がこの失敗をして、ボーディング・ブリッジの内部に スライドが膨らんだ写真を見たことがありました。

私が知る限り縄文航空でもその昔、デスが長崎空港で操作を間違えて客室 ドア を開ける際に、脱出用の スライドを膨張させた例がありましたが、鶴丸航空でも今年になって関空で同じ ミス が起きました。その ドアはもはや緊急時に使用できませんので、満席であれば 40人程度の乗客を降ろすことになります。

http://hideshima-issei.air-nifty.com/blog/2008/03/jal_5fd1.html

スチュワーデスによる客室 ドアの誤操作により、北米だけでもこれまでに 2億 ドル ( 200億円 ) の損失を生じたために、音声 ( 警告音 )付きの装置が開発装備されました。下記の場合はドア操作を間違えると、
Door ARM Slide will Deploy ( ドアは アームされている。開くと スライドが膨張する ) の音声警告が出されます。

http://www.youtube.com/watch?v=kxe6JB7KsFg&NR=1

ところで以下は エアバス社が開発した、世界最大の旅客機 A-380 型機の型式証明を得るための緊急脱出実地試験の様子で、説明は フランス語ですが、90秒 ルールに適合するかどうかの重要な テストでした。規定どおり夜間におこなわれた 実地試験の ビデオを、私も初めて見ました。

結果は 873人の乗客・乗員の全員が33名の負傷者が出たものの、77.4秒で見事脱出に成功し 実地試験に合格しました。

http://www.youtube.com/watch?v=XIaovi1JWyY&NR=1

2008年5月 3日 (土)

不時着水、(その2)

太平洋上に 「 不時着水 」 した大型民間航空機は 50年以上無いと前回書きましたが、実はその間に太平洋に墜落したり、行方不明になった飛行機がありました。

[ パンアメリカン航空機の場合 ]

Paasto 前回述べた パンアメリカン航空の デッチング ( 不時着水 ) 事故の翌年、昭和 32年 (1957年 )11月8日に、同じ パンアメリカン航空の同型機 ( B-377 ) のストラト ( Strato 、成層圏 ) ・クルーザー が 36名の乗客と 8名の乗組員を乗せて、 サンフランシスコから ハワイの ホノルルに向けて飛び立ちました。

飛行機は ノー・リターン・ポイント ( No Return Point 、長距離の洋上飛行をする際に、この地点を過ぎたらたとえ緊急事態が起きても、燃料消費上から 出発点には戻れないという地点を、予め計算しておく ) を通過した後に、遭難信号も出さずに行方不明になりました。

巡航高度の18,000 フィート ( 5,500 m ) で仮に 四つの エンジン全てが故障したとしても、洋上に不時着するまでに 10~15分は滑空できるので、その間に遭難信号は出せたはずでした。アメリカ海軍の航空母艦 「 Philippine Sea 」 を含む部隊が捜索した結果、19の遺体が回収されましたが、墜落原因は不明でした。

[ バリグ・ブラジル航空機の場合 ]

日本から遠く離れた ハワイと サンフッランシスコ の中間地点付近のことではなく、日本の近くでも起きました。倒産した為に今では存在しませんが、その昔 バリグ・ブラジル ( Varig Brazilian ) 航空という会社がありましたが、成田から  ロサンゼルス経由で、ブラジルの リオ・デ・ジャネイロ ( Rio de Janeiro 、一月の川の意味 ) 行きの便を運航していました。

Nigeria707f 昭和 54年 ( 1979年 )のこと、貨物専用機の ボーイング 707-F 型機が成田空港から ロサンゼルスに向けて離陸しましたが、位置通報を 一度した以後は遭難信号も出さずに、日本付近の太平洋上で行方不明になりました。写真は他社のB-707型機です。

6名の乗組員も全員死亡したものと推定されましたが、落ちた場所も原因も不明で、洋上からは浮流物も発見されませんでした。

太平洋横断をする大型 ジェット機が、 無線電話で 「 メイデイ 」  (  英語のMayday と同じ発音で、緊急事態における交信の際に前置する言葉、注:1参照 ) を出す余裕もなく、墜落する事態になりました。

考えられる原因とは機体の爆発や、 英国が開発した史上初の ジェット旅客機である  コメット 機の連続墜落事故  ( 1953 ~ 1954年の間に 3件 )  のように、機体が空中分解でも起きた以外には考えられませんでした。

注 : 1 )

Croydon メイデイ ( Mayday ) の緊急符号は1923年に、イギリス人の モックフォードにより考案されました。当時彼は ロンドンの空の玄関 クロイドン ( Croydon 、注 : 2 参照 ) 空港で無線係りをしていましたが、緊急事態になった飛行機がその旨を、管制塔や他機の パイロットに容易に理解される言葉を 考えるように求められました。

当時の空の交通は クロイドンと パリの ル ・ ブールジェ 空港の間を飛ぶ便がほとんどでしたので、フランス語で 「 Come to help me  」 の意味を持つ メイデル 「 M'aider 」  を変形した 「メイデイ ( Mayday )」 をそれに当てることにしました。写真は当時の クロイドン空港。

実際に緊急状態になった飛行機が 「 メイデイ 」 を使用した交信例を見たい人は、下記を クリックしてください。 トムスン・フライの B-757 型機が離陸滑走中に右 エンジンに鳥を吸い込み ( Bird Strike )、 エンジン不調 ( Rough running ) になりながら上昇する際の様子です。

Thomsonfly_b757 離陸後の管制塔との最初の交信では、規則どおりに 「 メイデイ 」 を 三回 いい、飛行機が緊急事態にあることを宣言し、その後滑走路 6R に着陸しました。

http://jp.youtube.com/watch?v=Jo7678gME0Y

注 : 2 )

ロンドンに新しい空の玄関の ヒースロー空港が、昭和34年 ( 1959年 ) に オープンしたのに伴い、クロイドン空港は閉鎖されました。

« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »