飛行機恐怖症 ( その2 )
生まれて初めて飛行機に乗る人が、飛行機が落ちるのではないかと心配し、パニック状態になった話をしましたが、参考までに安全性の高い 「 まともな航空会社 」 の飛行機事故率は、百万回の飛行当たり 1 以下なので、安全な航空会社はどこか、以下の ページを参考にしてください。
http://homepage3.nifty.com/yoshihito/jumon.htm#anzen
飛行機嫌いで有名な政治家には北朝鮮の キム・ジョンイル ( 金正日 ) がいますが、彼の飛行機旅行が最後に確認されたのは、昭和 40年 ( 1965年 ) の インドネシア訪問の際であり、父親の 故 キム・イルソン ( 金日成 ) に随行した時でした。
それ以来彼は飛行機で旅行したことはありませんが、欧米の専門家によると彼は飛行機恐怖症ではなく、実は 飛行機による暗殺恐怖症 なのだそうです。
アメリカの北朝鮮専門家である マーカス ・ ノーランドによれば、飛行機事故 ( ミサイル 攻撃による墜落を含む ) で死亡する独裁者、政治指導者の数が多いため、キム ・ ジョンイル ( 金正日 ) が列車による移動に固執するのも、十分理由があるのだそうです。
そういえば文化大革命末期の 1971年に、中国で一時は毛沢東の後継者と目されていた共産党副主席で、大元帥の称号を持つ 林彪 ( りんぴょう ) が、中国民航の英国製 トライデント機で ソ連に亡命 (?) 途中に、 モンゴルで原因不明の墜落死をしましたし、パナマの実力者 トリフォス 将軍も 1980年に飛行機事故で死に、パキスタンの大統領 ジアウル ・ ハク も 1988年に飛行機事故で死亡しました。
昭和 62年 ( 1987年 ) に バグダッドから大韓航空の B-707 型機に乗り、経由地の アブダビで降りる際に頭上の物入れに爆弾を仕掛けた、大韓航空機爆破事件の実行犯の一人である、 キム ・ ヨンヒ ( 金賢姫 ) 元死刑囚の自白によれば、キム ・ ジョンイル ( 金正日 ) からの 「 ソウルオリンピックの開催と参加申請妨害のため大韓航空機を爆破せよ 」 との 親筆指令 に従い 爆破 テロを実行したのだそうです。
これにより中東から帰国途中の出稼ぎ韓国人労働者を含む、 115人が死亡しました。上の写真は自殺防止用の口輪をはめられて ソウル・キンポ空港に降りる キムの姿ですが、彼女は死刑を宣告されたものの、すぐに恩赦となり、仮出所してからは韓国情報部員の男と結婚しました。
115人も殺した実行犯に対するその後の処分の甘さに、日本では考えられない、何か 不自然な政治的意図 や 「 おもわく 」 を感じました。
爆破 テロによる飛行機の墜落事故で最大のものは、1988年に スコットランドの ロッカビー ( Lockerbie ) 村上空で起きた パンナム ( Pan American World Airways ) 機爆破事件で、リビア人工作員が機内に仕掛けた爆弾により B-747の乗客乗員 259人と、地上の住民 11人が死亡しました。
リビア の狂犬といわれた カダフィ ( Kadhafi ) 大佐率いる政権は、 2003年になって アメリカによる経済封鎖解除を条件に、爆破 テロ実行犯 2名の引き渡しを拒否したものの、27億 ドルの補償金を支払い、補償問題は解決しましたが、1人当たり約 1000万 ドル ( 10億円以上 ) という 超破格の補償額 となりました。
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コメント
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こんにちは
鶴丸航空の鶴丸印が消えてしまうそうですが、金野氏のよく使われる縄文航空の由来を教えていただけませんか?
投稿: Y.S | 2008年6月 1日 (日) 10時24分
早速 金野内蔵氏に聞いてみました。
それによると パイロット訓練生として八尾の訓練所に入社した 昭和 40年当時、全日空には訓練機の操縦教科書が無かったそうです。つまり教官が 口頭で操縦操作を説明し、訓練生は言われた通りのことをするやり方でした。
しかも教官により指導方法が異なるため、A 教官と飛ぶ際にはこの方法、B 教官の時はこの方法というように、操縦技術の習得方法が非効率的で 「 徒弟制度そのもの 」 でした。
それまで米海軍、自衛隊で パイロット訓練を受け、訓練効率の向上には明快な操縦教科書 ( 訓練資料 ) の提供、教え方の個人差を無くすための、指導法の標準化 ( Standardization ) が不可欠であり、それが訓練のあるべき姿と思っていました。
ところが全日空ではそれらが全て欠落していたので、原始時代の航空会社に相応しいという意味を込めて、 「 縄文航空 」 としたのだそうです。
これは何も パイロット関係だけにとどまらず、社内組織や仕事の進め方についても前近代的でしたので、社員の間では企業体質について株式会社ではなく、 「 全日空商店 」 だと、日頃悪口をいっていました。
聞くところによれば給料の低さから、 昭和 36年までは大卒の入社希望者がほとんど無く、従って入社試験もなく、応募者はだれでも入社できたといわれていました。 以上は 40年前の会社の姿ですので、念のため。
投稿: Y.O. | 2008年6月 1日 (日) 12時50分
早速Thanksです!!
ことしのリクルート調査の大学生就職希望先ランキングでは縄文航空が首位になっていますね。
http://www.gamenews.ne.jp/archives/2008/04/post_3358.html
鶴丸航空は見当たらないみたいなので、圏外でしょうか・・・
投稿: Y.S | 2008年6月 1日 (日) 16時47分
鶴丸は去年の 14位から今年は 24位に下がっていますが、経営再建中で賃金 カットなどのせいかも知れません。
投稿: Y.O. | 2008年6月 1日 (日) 17時33分