お召し列車
平成 13年 ( 2001年 ) に キム ・ ジョンイルが モスクワを訪れた際には、ロシア政府が事前に飛行機の提供を申し出たにもかかわらず、それを拒否して平壌から モスクワまでの 1万 キロの列車の旅を往復 27日間掛けておこないましたが、飛行機に比べて列車の方が暗殺の危険が少なく、遙かに安全だと思っていたからでした。
彼が乗る車輌は線路に仕掛けられるかもしれない、 対戦車地雷の爆発にも耐えられる、装甲を施した特別製のもので、幾重もの警備員に護られ、特殊な テロ防止装置や、どこにでも常時連絡可能な通信装置を備えているのだそうです。
さらに先発列車、本列車、後発列車が順番に出発する仕組みでしたが、スピードは時速 40 キロとゆっくりで、これは、線路とその周辺に地雷や危険物がないかを点検する為に、2両の先導列車が走るためでした。
日本でも敗戦までは天皇が乗る [ お召し列車 ] を運行する際には、15分前に先導列車を走らせていましたが、その通過から [ お召し列車 ] の通過までを 一つの列車とみなし、踏切の信号機はもちろんのこと、駅周辺の ポイントの信号も切り替えずにいたという話を聞きました。
さらに 「 お召し列車 」 の運転士に指名されると、 斎戒沐浴 ( さいかいもくよく、神聖な仕事に従事するのに先立ち、飲食、行動を慎み水を浴びて心身を清める ) をして運転に臨んだのだそうです。
通常は機関士と機関助手 ( 釜 焚き ) の二名で運行する蒸気機関車を、お召し列車では帽子の アゴヒモ を掛けた 四名で運行していました。
お召し列車の運転士には、 時刻表に定められた到着時刻に対して、誤差 30秒以内の運転をするように周囲から過大な ストレスが掛かるので、「 腹で運転するもの 」 といわれていたのだそうです。
では飛行機の場合はどうでしょうか?。昭和 50年代の半ば過ぎのこと、当時の皇太子ご夫妻 ( 現天皇と美智子皇后 ) が羽田から大阪伊丹空港まで全日空の定期便 ( 午前 10時発の ANA 20便 ) に乗られたことがありました。
会社は運航の安全性を高める為に 副操縦士に替えて、機長 二人と航空機関士で編成する ダブル ・ キャプテン 方式の管理職による運航をすることにしましたが、その際に私は機長の片方を務めました。
国内線の場合には ショウ ・ アップ ( Show Up 、会社の運航管理室への出頭 ) は、通常出発時刻の 1時間前ですが、当日は 1時間 半前に出頭するように言われました。
いつもと変わったことといえば、航空交通管制機関に提出する飛行実施計画 ( Flight Plan ) の備考欄に、 [ V I P, Crown Prince and Princess on board ]、つまり V I P 、 皇太子ご夫妻搭乗 と記入したことだけでした。
スチュワー 「 デス 」 と一緒の クルー バスで、通常よりも早く V I P 専用駐機場にある搭乗機に行くと、二名の警官が立ち番をしていましたが、前日の夜から飛行機を警備していたのだそうで、ご苦労さまでした。
こんなことを言うと不敬、失礼に当たるかも知れませんが、乗客として たとえ皇族が乗ろうが、内閣総理大臣が乗ろうが、はたまた半額割引の学生が 一桁だけしか乗っていなくても、飛行機事故を起こしたならば多数の乗客はもちろんのこと、乗組員の人生もそれで一巻の終りなので、 安全運航に対する注意力には決して差がありません。
つまりどんなに 「 お偉い V I P 」 が乗客として乗っていても、あるいは乗っていなくても、一旦操縦桿を握れば 乗客の 「 偉さ 」 のことなど全く関係なく 、普段と同じ心構えで安全運航に努力し、操縦するのが、ほとんどの パイロットのやり方だと思います。
スチュワー「 デス 」 の話によれば、茶碗、茶葉、お茶菓子などは、全て宮内庁が用意したものを使用し、機内で用意したのはお湯を湧かすことだけだったそうですが、彼女達によれば、美智子妃殿下の 「 立ち居 ( い ) 振る舞い 」 はさすがに お上品だったそうです。
ご婚約当時 N e w s w e e k 誌 が 旧 姓、正田美智子さんのことを、 M i l l e r`s - D a u g h t e r つまり 粉 屋 ( こなや、製粉業者 ) の娘と紹介したのを思い出しましたが、当時の株屋 ( 証券会社のことで、社会的評価は低かった ) の 売買 の 符丁 で、 「 チ ャ ン コ ナ 、中国人の 蔑称 でした チ ャ ン コ ロ の コ ナ 」 と呼ばれていた、 日清製粉 の 社長の 娘でした。写真は民間人の頃の美智子さん。
正田美智子さんに限らず皇室に嫁入りした女性の 「 上品さ 」 は、その後の 生活環境や、 それなりの 行儀作法 の訓練 によって身に着いたものと思います。
これを読む貴女も、貴女の娘もそれなりの訓練と自覚により、電車の中で人目もはばからずに化粧する、最近の若い女性に欠落した 上品さ 以前の、 品位、品格を 身に着けることができますよ。
ちなみに外国では公衆の面前で化粧するのは、売春婦だけです。
皇太子 フライトの数日後に、宮内庁から 桐箱入りで 菊の紋が印刷 してある 「 恩 賜 の タ バ コ 」 をもらいましたが、私は 喫煙しないので東京に住む義父に渡したところ、時代に合わない 辛 くて不味い タ バ コ だといっていました。その後の禁煙 ブームで、現在では恩賜の タバコ は無くなったと聞いています。
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コメント
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こんにちは
たまたま今日春の叙勲のお祝いをした人から菊のご紋入り「電波時計が」届きました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=832309837&owner_id=8349130
同じ人の東京土産は菊のご紋入り「きんつば」でした。
何年か前、その年の秋(新嘗祭でしたか?)に夫婦で皇居を訪れ献上する米を作る農家に指定された知り合いの農家から「恩賜のたばこ」をはじめ、印肉・お盆など皇室グッズ一式を頂きおばあさん(義母)が感激していました。
その農家は早乙女衣装による田植えに始まり、その年は儀式ごとに多数の人を招待して相当な散財をするそうです。
そういえば、子供が独身時代、目黒に新築の独身寮にいましたが、小和田邸の警備エリア内のすぐそばだったそうです。
投稿: Y.S | 2008年6月 8日 (日) 21時35分
小生は甘党なので、菊のご紋入りの 「 きんつば 」 とはうらやましくて、ヨダレが垂れそうです。恐らく甘さも 「上品 」 なのでしょうね。
ところで新嘗祭 ( にいなめさい )や神嘗祭 ( かんなめさい ) などは、敗戦までは祝日でしたが、戦後の日本では死語になったと思っていて、ワープロ にその言葉を入力するのも、生まれて初めてでした。よくご記憶でしたね。
投稿: Y.O. | 2008年6月 9日 (月) 14時24分