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2008年9月20日 (土)

空に浮かんだ男

[ 柿木金助 ]

伊勢音頭では 「 伊勢は津で持つ 津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ 」 と歌われますが、名古屋城の シンボルといえば、金の 「 しゃちほこ 」 です。

昭和40年代の中頃、外人の機長見習を指導するために、ある外人パイロットと ペアーを組み 1ヶ月間 フライト をしましたが、あるとき名古屋の ホテルに運航宿泊した際に、彼と一緒に名古屋城を見物しました。

Shachihoko その際に金の 「 しゃちほこ 」 を初めて見た外人から、「 魚の名前 」 を聞かれましたが、シャチは英語で キラー・ホエール ( killer whale ) といいますが、「 しゃちほこ 」 を英語でどう説明すべきか迷ったので、城の守護神の役目をする想像上の魚であると答えました。

慶長17年 ( 1612年 )に、名古屋城の天守閣が竣工した当時の 「 しゃちほこ 」 は、木造の本体の周囲を銅板で覆い、さらに 「 慶長大判 」 ( 金貨 )で 970 枚に相当する、純金に換算して 107 キログラム の金の板を張りましたが、90枚以上ある ウロコ も純度の高い金製でした。

しかし、その後は徳川幕府の財政悪化により、金の含有量の多い 「 慶長大判 」 を改鋳して含有量の少ない、粗悪な 「 元禄大判 」 を大量に作らせましたが、「 しゃちほこ 」 の金も例外ではなく、金の含有量の少ない金の板に取り替えられました。

ちなみに慶長大判 ( 金貨 )とは重さが 43.91匁 ( もんめ)、= 164.66 グラム  あり、金の含有量は 67.1 パーセント ( つまり 110 グラム ) でした。現在の金相場で大判の地金を換算すれば、1枚が約 32万5千円に相当します。

Takoa ところで 18世紀に名古屋、美濃地方を荒らし回っていた、柿木金助 ( かきのき・きんすけ ) という盗賊がいましたが、「 しゃちほこ 」 から金の ウロコ を盗むことを計画し、大風が吹いた日に大凧 ( たこ ) に乗って、名古屋城の天守閣の屋根に舞い降り、金の ウロコを 3枚剥ぎ盗ったのだそうです。

体重 60 キロ程度の男を乗せて浮揚する大凧とは、一体何人で揚げたのでしょうか?。マユツバの気がします。のちに彼は捕まり、1763年 (  宝暦13年 ) に磔 ( はりつけ ) 獄門の刑に処せられました。

しかしそれ以後も名古屋城の 「 しゃちほこ 」 から金の ウロコ を盗む事件が明治時代に 2回、昭和になって 1回起きましたが、特に昭和 12年の事件では金の ウロコ が 58枚も盗まれました。しかしいずれも ウロコを現金化するのに失敗し、3件とも犯人は逮捕されました。

[ 平賀源内 ]

日本の レオナルド・ダ・ヴィンチ とも称された平賀源内 (1728~1779年 ) は、エレキテル( 摩擦起電機 ) の実験でも有名ですが、彼は本草 ( ほんぞう、薬用植物 )学者、蘭学者、からくり師、戯作者、発明家など、多方面に優れた才能がありました。

彼が発明した物の中には私たちが子供の頃に遊んだ竹 トンボ がありましたが、文政二年 ( 1819年 ) に、奈良の氷室 ( ひむろ ) 神社に奉献された石灯篭には、この竹 トンボの図が刻られている点からみて、当時も子どもの玩具として広く普及していたことが分かります。

[ 縄文航空の社員章 ]

Dabin ヘリコプターの考案者といえば、前述したイタリア・ルネサンス の代表的芸術家、科学者の レオナルド・ダ・ヴィンチ ( 1452~1519年 ) ですが、空気 ネジを回して浮上する方法を考案し、図面に残しました。

それは ギリシャ語の Helix  ( 螺旋、らせん ) から名前を取った ヘリックスと呼ばれる装置で、「 布で らせん形の帆のようなものつくり、円形の台の上に立てた帆柱に取りつけ、それを高速で回転させるならば空中高く昇っていくであろう 」 とありました。

Anashashou ところで私は縄文航空に入社すると社員章をもらいましたが、それは縄文航空の前身でした日本 ヘリコプター 会社に由来する、「 焼き鳥 マーク 」 と社員の間では呼ばれている デザインのものでした。

乗員は制服の胸には ウイング・マークと名札をつけますし、それに後年になると I.D. カード ( 身分証明書 ) も着けたので、社員章とはあまり縁がありませんでした。

管理職になると会社に忠誠心を示す 「 しるし 」 に、背広の襟に  「 焼き鳥 マーク 」 を付ける乗員もいましたが、金野氏によればそれも付けずにいて、結局入社から退職までに使用したのは、数えるほどの回数だったそうです。退職時に 「 焼き鳥 マーク 」 を返納した際には、新品同様だったとのことでした。

なお 24日から旅行に出るので、次回 27日の ブログ更新は留守のために休みます

2008年9月13日 (土)

飛行初め

今回は がらりと趣きを変えて、まずは古典から。

[ 天孫降臨 ]

西暦 712年に成立した古事記の天孫降臨神話によれば、後に伊勢神宮の祭神となった天照大神 ( アマテラスオオカミ ) が自ら所有する三種神器 ( さんしゅの じんぎ 、注参照 ) を孫の瓊瓊杵尊 ( ニニギノミコト ) に授け、葦の生い茂る豊かな稲作の国に赴くように命じました。

http://homepage3.nifty.com/yoshihito/mikotonori.htm

Takachihomine ニニギは 天界の高天原 ( タカマガハラ ) から 日向  ( ヒムカ、 宮崎県 ) の高千穂の峰 (写真 ) に降臨しましたが、別の資料である 先代旧事本紀 ( せんだい くじほんぎ ) によれ ば、天磐船 ( アメノイワフネ ) に乗って、やまとにある河内の国の河上の哮峰 ( いかるがのみね / たけるがみね ) に天下ったのだそうです。

これが日本最古の飛行 (?) ですが、ちなみにその際に使用した飛行物体の磐船 ( イワフネ ) とは、「 磐のように巨大で頑丈な船 」という意味ですが、この名前にちなんだ神社が、日本各地にあります。

Jingi3 注:)三種の神器とは
天叢雲剣 アメノムラクモノツルギ、八坂瓊勾玉 ヤサカニノマガタマ、八咫鏡 ヤタノカガミ で、これらは後に皇位のしるしとされ、今に至るまで天皇家に伝えられています。

[ 滋賀県余呉湖の、羽衣伝説 ]

次に古い記録とされるものには 、第43代 元明天皇 ( 661~721年 )が 713年に出した詔 ( みことのり )により、諸国で作られた風土記 ( 地誌 )があります。

現存する近江国の風土記は 一部分のみが残る 逸文 (  原本が失われ、世に一部しか伝わってない文章 )ですが、それには、琵琶湖の北にある余呉湖 ( よごこ ) にまつわる白鳥伝説がありました。

Yogokohi その昔、天 ( あめ ) の八乙女 ( ヤオトメ、 8人いる天女である舞姫 ) のうちの 1人が 、白鳥となって此の所に舞い降り、柳の木に羽衣をかけて水浴中に、伊香刀美 ( いか とみ ) という男が白犬を使って天女の羽衣を隠しました。天女は羽衣が無くては天に帰れず、仕方なく彼の妻となって 二男二女を生みました。その子孫が琵琶湖北部の伊香 ( いか )郡を開発した先祖と伝えられています。

別の資料 ( 桐畠太夫縁起 ) によると、天女は余呉 ( よご ) の豪士 桐畠太夫の妻となり 一男を生みましたが、その後 天女は羽衣の隠し場所を見つけて天に帰りました。残された桐畠太夫も天女恋しさから、子供を捨てて天に昇りましたが、その当時 三才になった男の子は大声で泣きました。

近くの菅山寺 ( かんざんじ ) の尊元和尚が、その泣声には経文の響があったので、抱き上げて寺に連れて帰りました。ところで子供が 五才の春に京都から寺を訪れた学者の菅原是善( これよし、812~880年 )が、賢そうな子供なので養子にして京都に連れて帰りましたが、この子が後の菅原道真になったという説でした。なお菅山寺は現在も、滋賀県伊香郡余呉町にあるそうです。

[ 三保の松原 ]

羽衣伝説といえば最も有名なのが静岡市 ( 旧清水市、現静岡市 清水 ) に伝わるものですが、ある日、三保の松原に住む白龍 ( 別名、伯梁 説もあり ) という魚師が、浜辺の松の木に美しい衣が掛かっているのを見つけました。

Hagoromo 白龍は持ち帰り家宝にしようとしますが、そこへ1人の美しい女性が現れ、自分のものだから返してほしいと頼みました。その女性が天女であり、その衣が天の羽衣であることを聞かされた白龍は、天女の舞を舞ってくれたら返そうと返事をしました。

白龍が衣を返すと、天女は羽衣をまとって舞を披露し、やがて空高く天に昇っていきました。ところで天女は羽衣の下に、どんな衣装を着ていたのでしょうか?。

2008年9月 6日 (土)

再浮上

前回述べた緊急降下の方法について ブログの複数の読者から質問が寄せられたので、お答えします。

Masktaba 酸素の薄い高空を飛行中に機体の破壊や、機体最後部にあり機内の与圧を調節する アウトフロウ・バルブ ( Out Flow Valve 、2組ある排気弁 ) の装置が故障し、与圧が急速に失われた場合には、酸素欠乏による乗客の意識喪失などを防ぐために、直ちに客室上部から酸素 マスクを落下させて使用可能な状態にすると共に、酸素濃度の濃い安全な低高度まで緊急降下をおこないます。その操作手順とは

1:エンジンの出力を全閉する。
2:翼面上に、空気抵抗板の スピード・ブレーキを一杯に立てる。
3:機体を 45度以内の角度に傾けて旋回に入れ、乗客に プラスの遠心力 ( 座席に押し付けられる方向の力 ) を加え、次項の 30度 ダイブ ( 機首下げ ) の際に、座席から抛り出されるのを防ぐ。
4:そのまま機首を 水平線の位置から 15度 ~ 30度ほど下にさげて、急降下姿勢に入れて降下する。降下姿勢を確立したら旋回から翼を水平に戻して降下を続ける。
5:Vne ( 超過禁止速度 )近くの速度に加速して、一秒でも早く酸素濃度が濃い安全な高度 ( 1万 フィート、3千 メートル前後、富士山の 8合目の標高 ) まで降下する。

なおこの操作は、年に二回行われる機長に対する シミュレーター ( 模擬飛行装置 ) による実技審査の際には、必ず実施されます。

飛行機では機内の気圧高度が12,000フィート ( 高度 3、600メートル、富士山の 9合目程度 )を超えると、前述した酸素 マスクが自動的に落ちてきますし、それ以前でも手動で マスクを落下させることができます。

では実際に旅客機では、この種類の故障が発生するのでしょうか?。その答、世界の航空界では年に何度も起きています。今年の7月25日に、乗員乗客 365人 を乗せた オーストラリアの カンタス航空の ボーイング 747-400型旅客機 が、香港から メルボルンに向かう途中で、大きな音とともに機内の気圧が急激に低下したために 機長は緊急降下をおこないました。

Quantas747400 最も近い フィリピン の マニラ国際空港に緊急着陸しましたが、乗客・乗員は全員無事でした。着陸後、機体を調べてみると、胴体右側に長さ約 3 メートルの大穴が開いていましたが原因は現在のところ不明で、緊急時に機内の乗客の酸素 マスクに酸素を供給する、酸素 ボンベの爆発の可能性が考えられました。

ところで 30年以上昔、縄文航空では B-727という 3発の ジェット機を運航していましたが、この機体は着陸の ショックが大きいと、乗客の頭上にある格納場所から酸素マスクが落ちる クセ がありました。

Tairyoumask あるとき ( 当時は若かった )老妻 と一緒に、旅行の帰りに 羽田空港から伊丹空港まで自社便に乗りましたが、顔見知りの 某 機長が操縦席にいました。伊丹に着陸した際に接地の軽い ショックがありましたが、二度目にはひどい接地の ショックがあり、客室の酸素 マスクが大量に落下しました。

すると近くの席にいた外人の団体客が先を争って酸素 マスクを着けるのを見た女房は、自分も慌てて、頭上に垂れ下がった 酸素 マスクを着けたではありませんか 。私は彼女に言いました、「 着陸すれば機内の気圧は自動的に地上と同じになるから、マスクなんか要らないよ。」

Gspo1 某機長の失敗の原因は最初に接地した際に、飛行機が バウンドして空中に再浮上 ( バルーニング、 Ballooning ) したにもかかわらず、それに気付かずに着陸したものと思いこみ、グラウンド・スポイラー( Ground Spoiler、注:参照 ) を手動で立てたのが原因でした。

最近の飛行機では、自動着陸、自動スロットル( エンジン出力レバーの自動化)、着陸後の グラウンド・スポイラー も自動で立ち、着陸後の ブレーキ操作も自動と、何でも自動化されて便利な世の中になりました。

注:)グラウンド・スポイラー ( Ground Spoiler )
着陸後に翼の上面に立てる抵抗板のことで、揚力を急激に減らし、機体の重量を車輪にかけることにより、ブレーキの効果を高めるための装置です。この抵抗板の一部を飛行中に、 スピード・ブレーキ としても使用します。

たとえばある飛行機では片翼の グラウンド・スポイラー ( 抵抗板 ) 6枚のうち、4枚は スピード・ブレーキ として飛行中の減速や、緊急降下時を含む降下率の増大にも使用します。

727p なお悪口を言った B-727 にも短距離選手としての長所がありましたが、それは水平尾翼が高い位置にある 「 T 」 字翼 ( T -Tail ) のために、高い降下率を得る為に主翼の スピード・ブレーキ ( 抵抗板 )を一杯に使用しても、それにより発生した空気の渦流が 水平尾翼には当たらず、他の飛行機のように ガタガタと、バフェッティング ( 叩くような揺れ、Buffeting  ) がしないことでした。

9月2日に ニフティーの プログラムが変更され、画像をクリックしても、 これまでのように拡大されなくなりました 。この件については、9月9日に説明があるそうです。

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