飛行初め
今回は がらりと趣きを変えて、まずは古典から。
[ 天孫降臨 ]
西暦 712年に成立した古事記の天孫降臨神話によれば、後に伊勢神宮の祭神となった天照大神 ( アマテラスオオカミ ) が自ら所有する三種神器 ( さんしゅの じんぎ 、注参照 ) を孫の瓊瓊杵尊 ( ニニギノミコト ) に授け、葦の生い茂る豊かな稲作の国に赴くように命じました。
http://homepage3.nifty.com/yoshihito/mikotonori.htm
ニニギは 天界の高天原 ( タカマガハラ ) から 日向 ( ヒムカ、 宮崎県 ) の高千穂の峰 (写真 ) に降臨しましたが、別の資料である 先代旧事本紀 ( せんだい くじほんぎ ) によれ ば、天磐船 ( アメノイワフネ ) に乗って、やまとにある河内の国の河上の哮峰 ( いかるがのみね / たけるがみね ) に天下ったのだそうです。
これが日本最古の飛行 (?) ですが、ちなみにその際に使用した飛行物体の磐船 ( イワフネ ) とは、「 磐のように巨大で頑丈な船 」という意味ですが、この名前にちなんだ神社が、日本各地にあります。
注:)三種の神器とは
天叢雲剣 アメノムラクモノツルギ、八坂瓊勾玉 ヤサカニノマガタマ、八咫鏡 ヤタノカガミ で、これらは後に皇位のしるしとされ、今に至るまで天皇家に伝えられています。
[ 滋賀県余呉湖の、羽衣伝説 ]
次に古い記録とされるものには 、第43代 元明天皇 ( 661~721年 )が 713年に出した詔 ( みことのり )により、諸国で作られた風土記 ( 地誌 )があります。
現存する近江国の風土記は 一部分のみが残る 逸文 ( 原本が失われ、世に一部しか伝わってない文章 )ですが、それには、琵琶湖の北にある余呉湖 ( よごこ ) にまつわる白鳥伝説がありました。
その昔、天 ( あめ ) の八乙女 ( ヤオトメ、 8人いる天女である舞姫 ) のうちの 1人が 、白鳥となって此の所に舞い降り、柳の木に羽衣をかけて水浴中に、伊香刀美 ( いか とみ ) という男が白犬を使って天女の羽衣を隠しました。天女は羽衣が無くては天に帰れず、仕方なく彼の妻となって 二男二女を生みました。その子孫が琵琶湖北部の伊香 ( いか )郡を開発した先祖と伝えられています。
別の資料 ( 桐畠太夫縁起 ) によると、天女は余呉 ( よご ) の豪士 桐畠太夫の妻となり 一男を生みましたが、その後 天女は羽衣の隠し場所を見つけて天に帰りました。残された桐畠太夫も天女恋しさから、子供を捨てて天に昇りましたが、その当時 三才になった男の子は大声で泣きました。
近くの菅山寺 ( かんざんじ ) の尊元和尚が、その泣声には経文の響があったので、抱き上げて寺に連れて帰りました。ところで子供が 五才の春に京都から寺を訪れた学者の菅原是善( これよし、812~880年 )が、賢そうな子供なので養子にして京都に連れて帰りましたが、この子が後の菅原道真になったという説でした。なお菅山寺は現在も、滋賀県伊香郡余呉町にあるそうです。
[ 三保の松原 ]
羽衣伝説といえば最も有名なのが静岡市 ( 旧清水市、現静岡市 清水 ) に伝わるものですが、ある日、三保の松原に住む白龍 ( 別名、伯梁 説もあり ) という魚師が、浜辺の松の木に美しい衣が掛かっているのを見つけました。
白龍は持ち帰り家宝にしようとしますが、そこへ1人の美しい女性が現れ、自分のものだから返してほしいと頼みました。その女性が天女であり、その衣が天の羽衣であることを聞かされた白龍は、天女の舞を舞ってくれたら返そうと返事をしました。
白龍が衣を返すと、天女は羽衣をまとって舞を披露し、やがて空高く天に昇っていきました。ところで天女は羽衣の下に、どんな衣装を着ていたのでしょうか?。
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