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2008年10月11日 (土)

成田空港の現状 (2)

偏向 マスコミは日本の空の玄関、首都空港の滑走路上に反対派の民家や私有地が存在し、滑走路が何十年も使用できないという恥ずべき状態を報道せず、国交大臣の椅子から中山大臣を引きずり降ろして喝采していましたが、果たしてそれで良かったのでしょうか?。

[ 御神木、ごしんぼく ]

Goshinboku

私が現役の頃には誘導路の傍の反対派住民が持つ 「 飛び地 」 には、外人 パイロット達から皮肉を込めて Sacred tree ( セイクリッド ・ ツリー、御神木 ) と呼ばれていた 1本の立木が、野中の一本杉のように立っていました。

そのために滑走路と ターミナル 2 の間を飛行機が地上走行する際には、大型 ジェット機の長い主翼が 「 御神木 」 に当たらぬように大きく迂回して通行していました。

写真で黄色の点線が迂回 ルート、赤い マル 印 が 「 御神木 」 の位置でしたが、現在もあるかどうかは知りません。写真は クリックで拡大。

[ 一坪地主 ]

2006 年11 月21 日の朝日新聞千葉版の記事によると、成田空港内の土地を細分化して所有権登記をした、空港反対派のいわゆる 「 一坪地主 」 の所在を確認するために、成田空港公団から組織を変更した成田国際空港会社( NAA )が頭を痛めているそうです。

土地の収用手続きをしたくても、中には外国に移住した者もいるとか---。

「 一坪地主 」 とは土地登記簿上の名義人 ( 地権者 ) を増やして、土地収用手続きを煩雑化させる目的で作られたものですが、三里塚・芝山連合空港反対同盟が、空港内の地権者から土地を購入し昭和41 年 ( 1966 年 ) に始めました。一時は約 1,260 人におよびましたが、成田空港が開港すると約  400 人に減少しました。

昭和 58 年 ( 1983 年 ) に反対同盟は、2 期工事阻止をねらい再度 「 一坪地主 」 運動を始めた結果、平成7 年 ( 1985 年 )には 約 1,400 人に増えました。

社会党 ( 現社民党 ) も空港反対闘争の一環として、組織的に 「 一坪地主 」運動を推進しましたが、当時の土井たか子委員長も 一坪地主になりました。空港建設に反対し妨害行為をしながら、彼女と社会党 ( 現社民党 )員たちは、訪朝、訪中の度に成田空港から出入国していました。

ある時成田空港へ帰国した土井党首に対して、 カメラの前で テレビ記者からその矛盾点を追求されると、記者を無言でにらみ付けただけで何も答えませんでした。( 正しくは 答えられなかった のでした )

公の立場にある政党の党首が 成田空港を常に利用しながら 反対派の 「 一坪地主 」 に名前を連ね、空港建設工事を自ら妨害するという矛盾や、その愚行を テレビの視聴者の前に露呈した結果になりました。

そのせいもあったのでしょうか、2003 年の衆院選挙では兵庫 7 区 ( 西宮 ) から立候補しましたが、小選挙区で落選して、比例区でようやく復活しましたが、社民党は僅か 6 議席しか取れませんでした。

さらに 2005 年の比例区選挙でも彼女は落選しましたが、来春に予想される衆議院議員の選挙に今回立候補を断念しました。しかし彼女が 「 一坪地主 」 を止めたという話は聞こえてこないので、どうなったのか知りたいところです。

6 年前の小泉訪朝により拉致事件の真相が明らかになるまでは、拉致事件を否定し続け、北朝鮮を熱愛した政治家でしたが 、その時点で責任を取り引退すべきでした。--- あまりにも遅すぎた決断でした。

[ 私権公共の利益、の現状 ]

Heikou

この写真は 2007 年撮影の衛星写真で、黄色の線は平行滑走路 ( 磁方位 160度 / 340 度 ) の予定地ですが、赤囲いは反対派の所有地です。

そこへの誘導路は、あたかも障害物競走の コースのように曲がりくねっていて、写真のように出発機と到着機がすれ違うのも大変です。写真は クリックで拡大。

日本の表玄関である首都の空港において、中山 (元 )大臣が言った 「 ごね得 」 の発言は、この状態を指摘したものであり、当然のことを言ったまででした。

あなたはこの写真を見て、成田空港予定地における私権と、公共の利益のどちらを 優先すべきであると考えますか?。  ちなみに法律では、

[  憲法 ]

29 条 ( 財産権の保障 )

1 項 : 財産権は、これを侵してはならない。

2 項 : 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。

3 項 : 私有財産は、正当な補償の下に、これを 公共のために用いることができる

[ 土地収用法 ]

第 1 条 ( この法律の目的 )
この法律は、公共の利益となる事業に必要な土地等の収用又は使用に関し、その要件、手続き及び効果並びにこれに伴う損失の補償等について規定し、公共の利益の増進と私有財産との調整を図り、もって国土の適正且つ合理的な利用に寄与することを目的とする。

とあります。

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コメント

うーん、こんなに酷いとは・・・恥ずかしながら知りませんでした。

翻って現状の日本を見ると・・・こんな状態、思考が若い人を中心に蔓延しているような気がします。個人主義もいいですがそれは義務の上に成り立っていると言う事を教えないのは不思議でなりません。

最大の原因は、成田空港のありのままの姿を国民に正確に伝えない、マスコミの偏向した報道姿勢にあります。自らの主義主張にそぐわない情報は無視するか、矮小化して伝えるのが普通です。

マスコミの情報を無批判に信用せずに、疑いの目で見ることが必要です。戦時中は勿論のこと、敗戦後も多くの国民が マスコミから騙され続けてきましたが、私もそのうちの一人でした。

成田ではスポットに着くまでにゆっくりと迂回しなければならない事が多く、いつになれば日本の表玄関は真っ直ぐに進行できるのか?と不思議でなりません。

この事実はあまり一般的には知られていなかった?.........おおっぴらには話題にしない、知らせない、と言うことでしょうか。

あの「木」は、「何でこんな所に?」と、国際空港とはシンジラレナイ、実に摩訶不思議な光景です。

確か、開港後かなりたってから国と住民とで話し合いが持てる環境になったという大きなニュースがありましたが、それももう随分前の事。その後、話し合いにより、少しは改善されていくのでしょうか?

未だにほとんど改善されていなければ、かえって税金が無駄に使われ続けるのでは。
国の玄関としては永遠に不十分な空港のままでは......と案じます。

狭い関西圏に隣り合ってひしめき合う空港を3つも造るのなら、成田の存廃も視野に入れ後戻りも覚悟で取り組むべきでした。
(初めて訪問させていただきました)

日本には公の為に自分を犠牲にするという考え方が全くありません。日本は戦争中にお国のため、とたくさんの人が死んでいきました。それがいけないということになって、戦後は個人の権利が過剰に認められるようになりました。それこそ一人でも反対だという人がいれば、道路も空港も作れないという社会になってしまったのです。

もちろん人間には自分の幸せを追求する権利があります。しかし個人の権利を過剰に保護しようという考え方のために、どれだけ大勢の人が空港混雑や交通渋滞に苦しめられているか計り知れません。

空港問題解決のための話し合いは必要です。しかし最終的な手段としての強制収用は絶対に放棄してはならないのです。個人の権利と公共の福祉の関係を見直す時が来ていると思います。

お説はごもっともです。その昔東京都知事に美濃部という、 マルクス主義の バカ がいましたが、「 橋の理論 」 というのを主張しました。

川に橋を架けるのに 1 人でも反対者がいたら、橋を架けないと言ったのです。 橋を架けてもらいたい者がたとえ 99 人いたとしても、1 人が反対したら架けないのが正しいのだそうです。

成田空港反対派の抵抗を排除して土地を強制収用することに、心から賛成します。

成田空港から飛び立つ前に、目の前の私有地が気になってこのページに来ました。

成田の滑走路がずたずたにされている惨状を見るにつけ、「公共の福祉」とは何なのか考えさせられます。

反対派は最近、「成田は時代遅れになった」と主張していますが、時代遅れにしてしまった原因を作った張本人が何を言っているのかと思ってしまいます。

腰抜け政治屋を選んだ愚かな選挙民。給料だけもらい、何も仕事をせずにいる国土交通省の役人。成田空港の問題点を、国民に正しく伝えないマスコミ。

以上の産物が、現在の成田空港です。

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