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2008年11月15日 (土)

気球から飛行船へ

フランス人の モンゴルフィエが作った気球に乗り、人類が初めて空に浮揚したのは 1783年でしたが、気球は風に吹かれて移動するだけで、自分の好む方向へ進むことなどできませんでした。それ以後も気球は原理的に進歩せずに、空の散歩や観測をするための道具に留まりました。

Giffardas それから 69年後の 1852年には、同じ フランス人の アンリ ・ ジファール が、自分で動くことができて、しかも操縦できる気球を考えましたが、その形とはそれまでの気球のような球形ではなく、葉巻 タバコ を太くしたような形をした、長さ 145 フィート ( 44 メートル )、直径 40 フィート ( 12 メートル )の ガス袋でした。

それに石炭 ガスを使用した 3馬力の、重さ 150 キロの蒸気 エンジンを搭載し、直径 3.5メートルの 3枚羽根の プロペラ、回転数毎分 110回 を装備しました。ガス袋の浮力と プロペラの推力で高度 1,800 メートルまで上昇し、 パリから トラップ ( Trappes ) までの 27 キロを 3時間半ほどで飛行しましたが、これが軟式飛行船の始まりでした。

[ 日本における気球 ]

ところで日本で初めて気球を作って揚げたのは、明治10年 ( 1877年 ) 年のことでした。西南戦争の際に薩摩軍により熊本城が 50日間にわたり包囲されましたが、その際に政府軍を救援するために、気球を利用する計画が立てられました。

そこで東京の築地にあった海軍省練兵所 ( 場 )で行われた気球の実験では、奉書紙に ゴム を塗装して高さ 16.2 メートル、幅 9 メートルの 1人用の気球を 2 個作り、石炭 ガスを使用して浮力を得ましたが、高度 198 メートルまで上昇し実験は成功しました。しかし熊本城の攻防戦に決着がついたため、実用化は見送られました。

Yamadakitebal 民間でも気球を研究する人がいましたが、和歌山県生まれの山田猪三郎 ( いさぶろう、1863~1913年 )でした。彼は同じ和歌山県出身の先輩で工兵大佐の古川宣誉 ( のぶよし )に勧められて、1897年 ( 明治 30年 ) から気球の研究に着手しましたが、従来の気球に改良を加えて日本式気球を開発しました。

日露戦争 ( 1904年~5年 ) の際には 山田式気球が軍用に採用されて、気球 2 個を持つ臨時気球隊が設立されましたが、乃木将軍の指揮する第 3軍に編入され、旅順要塞の包囲戦では 14 回の浮揚をおこない、敵状の偵察や砲兵隊による射撃の際には、弾着観測などをおこないました。

[ 山田式飛行船 ]

Yamadahikou 明治41年 ( 1908年 ) に アメリカ人の ハミルトンや、イギリス人の スペンサーが飛行船を見せ物 興行のために日本に持ち込み、東京上野で飛行船を公開しましたが、それに刺激されて、その翌年には山田猪三郎も飛行船の製作を始めました。

明治43年 ( 1910年 ) には国産初の山田式第1号飛行船を完成しましたが、全長 33メートルの軟式飛行船で、これで同年9月8日に東京の大崎から目黒まで試験飛行に成功しました。さらに翌年には設計を変更して、75馬力と 50馬力の二つの ガソリン・エンジンを備えた飛行船を作り、東京上空を 20 キロメートル飛行しました。

しかし ツエッペリンなどの旅客を運ぶ飛行船がもてはやされたのは短い期間であり、明治36年 ( 1903年 )に 自転車屋を営む ライト兄弟が手作り飛行機の初飛行を成功させたことにより、大空への挑戦は飛行船から飛行機へと、大きく変わることになりました。

下記の動画は飛行船の発達に トドメ を刺した ドイツの巨大な硬式飛行船 、ヒンデンブルク の爆発炎上の様子と ラジオの実況放送ですが、大西洋を横断しアメリカのニュージャージー州、レイクハースト空港に着陸する際に事故が起きました。原因は浮力の基本となる水素 ガス への引火でしたが、以後は危険な水素に代わり、安全な不活性 ガスの  ヘリウム を使用するようになりました。

http://jp.youtube.com/watch?v=YDU2MWJwJDc

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コメント

北海道の十勝にJAXAの飛行船試験場のようなものがあるらしいですね。

第2次世界大戦での飛行船による潜水艦撃沈はなかったそうですが、発見して駆逐艦を誘導するようなこともなかったか興味があります。

成層圏飛行船も技術的には可能なようですから、領海侵犯監視とかミサイル防衛システムとかに日本独自技術で活用してもらいたいものです。

NEC が従来の人工衛星を約 10 分の 1 の 500 キロに軽量化し、打ち上げ コストを抑えた衛星を開発する計画だそうなので、それと飛行船との競合になります。

技術的問題を除き、人工衛星は領空侵犯問題が起きないので有利であり、あとは費用の問題だろうと思います。

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