機械が空を飛ぶことは、不可能
ライト兄弟は最初 グライダーの飛行実験に取り組みましたが、その際に気象台と連絡を取り強い風が恒常的に吹く地域を教えてもらい、大西洋に面したその当時辺鄙な キル ・ デビル ・ ヒルズの地域を実験場所に選びました。
ここに キャンプ用の小屋と作業場兼、機体の格納小屋を建てて実験に着手しましたが、飛行機に搭載する小型 ガソリン ・ エンジンも自動車会社に作成を依頼したものの、断られたので自分で設計し、12 馬力の エンジンを製作しました。
グライダーの機体に エンジンを搭載し、機首の上げ/下げを司る昇降舵を機体の前方 ( 現代の飛行機は全て後方、水平尾翼 ) に取り付け、方向舵 2 枚を後部に装備して操縦可能にしました。飛行機の名前には 「 フライヤー 」 と名づけました。
[ 腹ばいの姿勢での、操縦 ]
エンジンは 1 台でしたが、自転車に使用する チエーンを利用して 2 基の プロペラを回す 「 双発 」 にしたので、後に自転車が空を飛んだといわれました。機体は翼長 約 12 メートル の複葉機で車輪は無く、滑走路は木のレール、機体は 2 本の長い 「 そり 」 の上に乗っていました。操縦者は腹ばいになって飛行機を コントロールしました。
最初の操縦を兄弟のどちらがするのかを、日本ならば普通 ジャンケンで決めますが、アメリカには ジャンケンの習慣がなかったので、代わりに トス ・ アップ ( Toss Up ) で決めました。コインを上に投げ上げてそれを掴み、相手に 表 ( Head ) か 裏 ( Tail ) かを当てさせて決めますが、勝ったのは兄の ウィルバーでした。
兄の飛行は 12月14日におこなわれましたが、昇降舵の オーバー ・ コントロール ( Over Control 、操縦操作の過大 ) で 3 秒間空中に浮かんだだけで墜落し、失敗に終わりました。
破損した部分を修理して 3日後の 12月17日に、今度は弟の オービルが操縦することになりました。
写真は フライヤーが離陸した歴史的瞬間で、後方から撮ったもの、右端は兄の ウイルバーです。*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
ロープを解き放すと マシーンは滑走を始め、時速 11 キロメートル ~13 キロメートルくらいまで スピードを上げた。マシーンは 4 番目の レールにさしかかったところで空中に浮いた。前方の昇降舵が重心に近いために過敏な反応を示し、上下運動を制御するのが非常に困難だった。
結果として マシーンは 10 フィート ( 3 メートル )上がったかと思うと、今度は地面に向かって急降下した。レールの終端から100 フィート ( 30 メートル ) くらいのところで突然地面にたたきつけられた。飛行時間は 12秒だった。(1903年12月17日、弟の オービル ・ ライト の手記より)
初飛行の丘 ( キル ・ デビル ・ ヒルズ ) には国の記念碑が建てられていますが、飛行機はこの丘の下り斜面と向かい風を利用して離陸に成功しました。道路は離陸用の レール があった場所。ライト兄弟が空を飛んだことを最初は誰も信じませんでしたが、目撃証人が地元の住民 5 人だけであり、マスコミ関係者が誰もいなかったことが災いしました。ニューヨークの マスコミ、アメリカの陸軍、各大学の教授、科学者は新聞等で ライト兄弟の飛行に対して、 機械が空を飛ぶことは、科学的に不可能 という主旨の記事や コメントを発表していました。
この記事へのコメントは終了しました。
コメント