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2008年12月27日 (土)

[ 初飛行で、初酔い ]

昭和 32年 ( 1957年 ) 5月に アメリカ の フロリダ 州 ペンサコラ にある 海軍飛行学校で 初級練習機 T-34 に乗り、飛行訓練が始まりましたが、前席に私、後席に飛行教官が座りま した。

最初の日の操縦訓練が終了間近になると、教官が インターコム ( I ntercom 、機内の通話装置 )で、 「 ユーワンナ、プージー ?。」 と言いま した。 「 プージー 」 の意味が分かりませんで したが、 何かをするのだと思ったので、 「 イエス ・ サー ( Yes, sir. ハイ )」  と返事を しま した。

すると 「 ヒア ・ ウイゴー ( Here we go. サア やるぞ ) 」  と言ったかと思うと、急激に体が座席に押 し付けられ、次には目の前が真っ暗になり、何も見えなくなりま した。  ブラックアウト ( Black-out ) と呼ばれる現象で、重力加速度が増大 したため、体内の血液が下半身に滞留 し、脳が貧血状態になったからで した。

T34 やがて視力が回復 し頭上に地面が見え始めま したが、これが生まれて初めて重力加速度 を経験 した時のことで した。

後で分かりましたが、教官が最初に言ったのは 「 You want to Pu l l   G ?.」  つまり 「 お前は重力加速度を体験 したいか ?。 」 であり、学校英語で習った  「 Do you --- ?. 」 の文形は、日常会話ではあまり使わずに、肯定文の語尾を上げる発音で代用 していま した。

G ( ジー ) とは Gravity Force  ( 重力 ) の頭文字のことで、重力の単位は通常 G で表 します。

我々は日頃から万有引力 ( ばんゆういんりょく ) と地球の自転による遠心力との合力により、「 1 G 」 つまり毎秒秒 ( 秒の二乗 ) 当たり、約 9.8 メートル の重力を受けて暮らしていますが、 人が耐えられる加速度には個人差があり、一般には 「 約 4 G 」 といわれています。

それを超えると 一時的に意識を失うために、G が加えられると自動的に 下半身への血流を阻止する、 耐 G 服 ( Anti-G Suits ) の着用が必要になります。

Cubangight1 一度で終わるのかと思ったら何度も アクロバット ( Acrobatics 、曲技飛行 ) を繰り返 したので、私は気持ちが悪くなり、教官に 「 アイガット エアシック ・ サー ( I got airsick, sir 、私は空酔い しま した ) 」 と言い、事前に用意 していた空酔い袋に なま温かい液体をたっぷり放出 して、飛行場に持ち帰る羽目になりま した。

上の飛行 パターンは キューバの 8 文字 ( Cuban eight ) と呼ばれるもので、「1」 と 「4」 では前述した 「 G 、重力加速度 」 が かかるために目が見えなくなり、「2」 と 「5」 で 頭上の地面が空と入れ替わる、 180 度の横回転を します。

自分で操縦する分には酔いませんが、教官が操縦すると、その後も アクロバット などで酔いま したが、空酔いの本番は 二年後に海軍飛行学校を無事に卒業 し、日本に帰国 してからで した。

青森県八戸市にある海上自衛隊の航空基地に配属されましたが、対潜水艦哨戒機 ( P 2 V -7 ) の第 3 操縦士 ( ナビゲーター ) として、冬の季節風が吹き荒れる低高度での訓練飛行はかなり揺れま した。 しかも 1 回の 訓練飛行が  6 時間なので、揺れる機内で位置を求める推測航法の作図や航法計算は、空酔いとの苦闘で した。

外が見えない ナビゲーター ( 航法士 ) 席では頻繁に空酔いを しま したが、1 年半で ナビゲーターから副操縦士に昇格 し、外が見える操縦席に座ると気分壮快で、ナビゲーター を務める後輩や部下が低高度の悪気流の中で空酔いするのを見ると、自分が以前酔ったことなど棚にあげて、最近の ナビゲーターは揺れに弱い などと思ったもので した。

Owari2 さらに機長になると、かつて自分が船酔いや空酔いに悩まされたことなど、すっかり忘れて しまいま した。

32 歳で海上自衛隊から民間航空会社に転職 しま したが、そこでは定年退職するまで 空酔いとは何十年間も無縁になりま した。

乗り物の揺れに弱かった私でも、揺れに体が慣れたのかも知れません。

[ ブログ終了のお知らせ ]

平成 18年 ( 2006年 ) 5月15日から初めたこの ブログも、2 年 7 ヶ月が過ぎましたが、来年中には私も 76 才になり平均寿命に近づきます。 脳 ミソの老化も一段と進むことと思いますので、仕事量軽減のために、今月で ブログを終了することに致 しま した。

大不況の中で解雇された非正規労働者が多い中で、まことに恐縮ですが、今後は好きな歴史物、時代小説、捕物帖などの本を読み、余生を のんびりと過ごすつもりです。長い間 ブログ 「 斜陽 」 に ご愛顧を頂きま して、まことにありがとうございました。 サヨウナラ。

P.S.
なお ブログをこのまま放置すると プロバイダー  により消去されますので、数ヶ月に 一度は ブログ を書くことにより保存に努めます。 また ホームページの随筆集につきましては、従来通り更新を続けるつもりです。

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2008年12月20日 (土)

乗り物酔い体験記 (2)

[ 船酔いにかからない方法 ]

船酔いにかからない特別な方法があるのかと聞かれたら、その答えは「 無い 」 が正解です。民間療法では空腹で乗るな、満腹も避けろ、船酔い以前に酒を飲むな から、オヘソに  「 ウメボシ 」 を貼る方法まで数限りなくありますが、はっきり言うといずれも気休めにしか過ぎず、結論からいえば 「 揺れに慣れる 」 以外には、根本的に治す方法がないということです。

荒れた海で船に乗ったことが無い人は、下記の動画を御覧下さい。

 

http://jp.youtube.com/watch?v=h12-msb8LZw

船酔いが原因で、最悪死亡した例もありました。戦時中に陸軍の兵士が輸送船に乗り南方に派遣される途中に、潜水艦の攻撃を避けるために 船団が ジグザグ・コースを航行したために時間が掛かり、二週間の航海中に強度の船酔いによる脱水で、死亡した例が報告されていました。

Enkou

私の母校でもある、海上自衛隊の幹部候補生学校を卒業して初めて船に乗り、遠洋航海に行った実習生 ( 後方に並ぶ連中 ) の中でも、航海中に強度の船酔いで脱水状態になり、ベッドに寝たまま点滴で水分と栄養補給を受けて航海を続け、ハワイの ホノルル港で下船して、飛行機で日本に帰国した例がありました。

平成 11年 ( 1999年 ) には兵庫県立香住 ( かすみ )高校、海洋科学科の漁業実習中に、船酔いが原因で実習生が死亡したケースがありましたが、近くの港に緊急入港もせずに、そこまで脱水状態の実習生を放置した ケース は極めて稀で、監督者の責任が問われるべきでした。

前回述べた三半規管の感度が生まれつき非常に敏感で、大人になっても バス や電車に酔う人は 500 人 ~ 1,000 人に 1 人 はいるそうですが、そういう人が船に長期間乗るのは危険です。乗り物酔いは病気ではないといわれますが、精神主義で克服できる程度と、できないものがあることを知らなければなりません。

「 体が揺れに慣れるまで耐える 」 余裕がない乗客は、乗り物酔いの薬に頼ることになりますが、 乗り物酔いにかかると脳から放出される ヒスタミン という刺激物質が、脳の嘔吐中枢を刺激するために、嘔吐が起きます。

そのため、脳内で ヒスタミンが生成されて放出されるのを抑え、嘔吐回路を ブロック( 遮断 )する効果がある 「 抗 ヒスタミン剤 」 を、早めに使用することが必要です。気持ちが悪くなってから慌てて飲んだのでは、嘔吐物の中に溶けかかった錠剤の塊を発見し、天を仰いで落胆することになります。

しかし最近では乗り物酔いにかかってからでも効く薬が売られていますし、外国には飲み薬以外に、乗り物酔いに効く パッチ ( Patch 、貼り薬 ) があります。

Patchwoman

耳の後の皮膚に貼るだけで スコポラミン( Scopolamine 、副交感神経遮断剤 ) が皮膚から徐々に吸収され、神経中枢の特定の部分に効果を及ぼし、 72 時間も効き、しかも 83 パーセントの人は他の酔い止め薬にありがちな眠気、倦怠感を感じないという優れものです。

しかし 副作用としてはやや口が渇くのと瞳孔の拡大があり、一時的に記憶に支障が起きる可能性(?)があることから、18才未満の人には使用禁止となっていますが、日本では厚労省から未だ認可されていません。

私は前回述べたように酔い止め薬を飲んだことはありませんが、聞くところによると、乗り物酔いの薬を飲んだ後で、車の運転をするなと注意書きがあるそうです。

Hentai ある時 空酔いする友人が、飛行訓練生の時に薬を飲んで練習機を操縦したところ、飛行機が フラフラ して不安定になり、操縦に支障があったとのことでしたが、車の運転と飛行機の操縦は、共通する部分があったからでした。

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2008年12月13日 (土)

乗り物酔い体験記 (1)

なにを隠そう この私は、船酔い ( Sea Sick ) と飛行機酔い ( Air Sick ) にかけては、人並み以上の豊富な経験を持つ、乗り物酔いの ベテラン ですが、そんな男が パイロット になり、定年まで 3 6 年間も無事に空を飛びましたが、今回はその話です。

乗り物酔いのことを医学的には 動揺病 ( Motion Sickness ) 、あるいは 加速度病 ( Acceleration Sickness )ともいいますが、船、飛行機、バス、列車から、果ては宇宙船に到るまで、乗り物に揺られたり無重力状態になると、気分が悪くなる症状のことです。

[ 酔う メカニズムとは ]

Mimi1

1 : 耳の奥の内耳には平衡感覚を司る三半規管 ( 三つの半規管、つまり、X 軸 ・ Y 軸 ・ Z 軸のように 三次元的なあらゆる方向の回転や運動を感知することができる器官 ) がありますが、ここは体の バランスを保つために働く器官です。

2 : その他に耳石器というのもありますが、その内部には感覚細胞 ( 毛 )があり、その上にある耳石 ( Ear Rock ) が加速度などにより動くと、それを感知して 「 加速度や 重力の変化 」 を脳に伝える センサーの役目をします。さらに揺れに関して脳は、以下の部分からも情報を収集します。
3 : 眼 ( 視覚 ) からの情報。
4 : 立っている場合は足の裏、座っている場合はお尻などの皮膚からの圧力感覚。
5 : 手足の筋肉や関節から受ける刺激。

以上のような情報を脳が処理することにより、体の平衡感覚を保とうとしますが、「1」 と 「2」 にその人の限度を超えた刺激を受けると、脳の情報処理が困難になり自律神経が混乱します。つまり乗り物酔いとは、体の動きや バランスを司る脳の神経回路が混乱して起こる、一時的な自律神経失調症なのです。

[ 遺伝的体質 ]

皆さんはご存じのように、生まれつき乗り物 ( たとえば船 ) に強い人もいれば、私のように弱い者もいますが、これは遺伝的体質であり、前述した内耳にある平衡感覚器官の 「 感度 」 の強弱によるといわれています。

昔聞いた話では、先天性聾者 ( ろうしゃ、耳が聞こえない人 ) はほとんど乗り物酔いをしないそうですが、内耳の 「 伝音系統 」 の障害と三半規管とは、何か関係があるのかも知れません。

船に強い ( つまり揺れに鈍感な )人の割合は、全体の約 10 パーセント 程度であり、弱い ( 揺れに敏感過ぎる ) 人の割合も 10 パーセント 程度ですが、残りの 80 パーセント は普通 ( 中程度の感度を持つ )の人で、最初は船に酔うものの、直ぐに慣れる部類の人です。

Kojima

昭和 30 年 ( 1955 年 ) に海上保安大学の練習船 「 こ じま 」 に乗り、ハワイへ遠洋航海に行きましたが、当時の太平洋の旅の主役は未だ客船でした。

昭和 2 8 年 (1953 年) に エリザベス 女王 二世が即位する戴冠式がおこなわれ、昭和天皇の名代で皇太子 ( 現天皇 ) が出席されましたが、横浜から ホノルル 経由、サンフランシスコ  まで 14 日間の船旅でした。その後は飛行機に乗られたと聞いております。

ところで練習船  「 こ じま、1,000  トン 」  は サンマ のように細長い船体で 、( 従って横揺れをする ) 旧海軍の海防艦 「 志賀 」 を改造した船でした。東京湾を出た途端に低気圧による シケ に遭い、船が揺れ出したので、90 名の学生の大部分は、とたんに船酔いになりま した。

私は船に乗るまでは、バスや電車などで乗り物酔いなどしたことはありませんで したが、船の揺れだけは別でした。何ともいえない嫌な気分になり、出港から 3 日間は食事が喉を通らずに絶食状態で、水だけ飲んで過ご しま した。しかしお客さんではないので、その間も実習生として船の航行に関する当直の仕事を務めました。

Highsea

船酔いで何が辛いといっても胃の中に吐く物がなくなっても、吐き気だけは繰り返し襲ってきますが、吐く発作が起きても胃の中は空なので、何も出ないことです。これを野球に例えて 「 空振 り 」 といいましたが、そうなると胃が 雑巾 (  ぞうきん ) でも絞るように絞られて痛み、血が出ることさえありました。

それを避けるためには、吐いたら 一時的に気分が回復するので、すぐに水を飲むことにしました。そうすれば次の吐き気が襲ってきても、空振りをせずに水だけを吐くので胃は痛まず、やがて水吐きにも慣れて、あたかも胃を水で洗浄するようなものでした。

Vomit 実習生の仲間うちには、船酔いの薬を使用した人もいましたが、ハワイ までは当時の米国の船会社 A P L ( American President Lines ) プレジデント ・ ラインズ ( 船名には プレジデント ・ ウイルソン 、 モンロー などの大統領の名前が必ず付きました ) の快速定期旅客船で 7 日間、我々の練習船では のんびり 12 日間の長丁場でしたので、私は船酔いの薬を使いませんでした。

聞くところによると宇宙飛行士の中にも無重力状態で、宇宙酔いにかかる人がいるそうですが、その際には酔い止めの薬を使用するといわれています。 ( 続く )

2008年12月 6日 (土)

タイ空港の混乱

Suvan 金権、腐敗が原因の政治的混乱から、タイの首相府が反政府市民団体 「 民主主義市民連合 」 により 3ヶ月も占拠されていましたが、11月25日になると バンコクに 2 箇所ある国際空港の ロビーが市民団体により占拠されたために、現地には最大で 1 万人の日本人旅行者が足止めにされました。

Yorusuvan 首都 バンコクの北 20 キロにある ドン ・ ムアン ( Don Muang ) 空港は、長年国際空港として日本人にも親しまれてきましたが、手狭になったので バンコクの東 30 キロの所に新空港を建設し、2006年に オープンしましたが、スワンナプーム ( Suvarnabhumi )国際空港と呼んでいます。

写真は スワンナプーム空港 ターミナルを誘導路側から見たものですが、シドニーの オペラ ・ ハウスの屋根 ( 帆船の帆、貝殻 ? ) に少し似た形です。

戒厳令が空港周辺に布告され空港閉鎖となると、その間 バンコクに宿泊中の飛行機乗組員はどうしていたのでしょうか?。おそらく 1 週間以上も、ホテルに缶詰になっていたのかもしれません。 

バンコクから急いで脱出を希望する旅行者は、豪華寝台列車で マレー半島を南下して、マレーシアの ペナン島にある ペナン ( Penang )国際空港に行くか、さらに南下して首都 クアラ・ルンプール( Kuala Lumpur )に出れば、日本に帰れますが、余分な費用が必要です。

バンコクの二つの空港が使用不能になったので、全日空と日本航空では日本人旅行者を日本に帰国させるために、 バンコクの南 150 キロにある リゾート地の パタヤ近郊にある軍民共用の ウタパオ ( U Tapao ) 飛行場を使用することに決めて、臨時便を運航しました。

バンコク市内から乗客を チャーター ・ バスで、ウタパオ基地まで運びましたが、 ホテルに連泊を強いられた旅行者たちは、宿泊費、食事代などでとんだ 「 出費 」 で、中には旅費が欠乏した人もいました。

タイ政府も特定の高級 ホテルの宿泊者に限り、1日当たり 2,000 バーツ ( 約5,400円 ) の宿泊費の補助を発表しましたが、並み以下の ホテルは対象外でした。
参考までに 20年前の平成元年 ( 1989年 ) 6月4日に起きた、天安門事件の 2 日まえに、私は成田から北京に飛びましたが、その際の体験記をお読み下さい。

http://homepage3.nifty.com/yoshihito/tenanmon.htm

ところで 2 空港を占拠していた反政府団体・民主主義市民連合は、内閣が総辞職したために、12月3日朝から空港 ロビーから撤退し、約 35万人の外国人旅行客を足止めにした異常事態は、ようやく正常化に向かい、スワンナプーム国際空港は12月5日から、10日ぶりに運航を全面再開しました。

Busyap 海外旅行に行く際にはこうした事態、天災、事故などに備えて、所持金には余裕を持つことが必要ですが、天安門事件の際には銀行が閉鎖され、電話も不通になったので クレジット ・ カードの認証ができず、そのため使用できませんでした。

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