乗り物酔い体験記 (1)
なにを隠そう この私は、船酔い ( Sea S i ck ) と飛行機酔い ( A i r S i ck ) にかけては、人並み以上の豊富な経験を持つ、乗り物酔いの ベテラン ですが、そんな男が パイロット になり、定年まで 3 6 年間も無事に空を飛びましたが、今回はその話です。
乗り物酔いのことを医学的には 動揺病 ( Motion Sickness ) 、あるいは 加速度病 ( Acceleration S i ckness )ともいいますが、船、飛行機、バス、列車から、果ては宇宙船に到るまで、乗り物に揺られたり無重力状態になると、気分が悪くなる症状のことです。
[ 酔う メカニズムとは ]
1 : 耳の奥の内耳には平衡感覚を司る三半規管 ( 三つの半規管、つまり、X 軸 ・ Y 軸 ・ Z 軸のように 三次元的なあらゆる方向の回転や運動を感知することができる器官 ) がありますが、ここは体の バランスを保つために働く器官です。
2 : その他に耳石器というのもありますが、その内部には感覚細胞 ( 毛 )があり、その上にある耳石 ( Ear Rock ) が加速度などにより動くと、それを感知して 「 加速度や 重力の変化 」 を脳に伝える センサーの役目をします。さらに揺れに関して脳は、以下の部分からも情報を収集します。
3 : 眼 ( 視覚 ) からの情報。
4 : 立っている場合は足の裏、座っている場合はお尻などの皮膚からの圧力感覚。
5 : 手足の筋肉や関節から受ける刺激。
以上のような情報を脳が処理することにより、体の平衡感覚を保とうとしますが、「1」 と 「2」 にその人の限度を超えた刺激を受けると、脳の情報処理が困難になり自律神経が混乱します。つまり乗り物酔いとは、体の動きや バランスを司る脳の神経回路が混乱して起こる、一時的な自律神経失調症なのです。
[ 遺伝的体質 ]
皆さんはご存じのように、生まれつき乗り物 ( たとえば船 ) に強い人もいれば、私のように弱い者もいますが、これは遺伝的体質であり、前述した内耳にある平衡感覚器官の 「 感度 」 の強弱によるといわれています。
昔聞いた話では、先天性聾者 ( ろうしゃ、耳が聞こえない人 ) はほとんど乗り物酔いをしないそうですが、内耳の 「 伝音系統 」 の障害と三半規管とは、何か関係があるのかも知れません。
船に強い ( つまり揺れに鈍感な )人の割合は、全体の約 10 パーセント 程度であり、弱い ( 揺れに敏感過ぎる ) 人の割合も 10 パーセント 程度ですが、残りの 80 パーセント は普通 ( 中程度の感度を持つ )の人で、最初は船に酔うものの、直ぐに慣れる部類の人です。
昭和 30 年 ( 1955 年 ) に海上保安大学の練習船 「 こ じま 」 に乗り、ハワイへ遠洋航海に行きましたが、当時の太平洋の旅の主役は未だ客船でした。
昭和 2 8 年 (1953 年) に エリザベス 女王 二世が即位する戴冠式がおこなわれ、昭和天皇の名代で皇太子 ( 現天皇 ) が出席されましたが、横浜から ホノルル 経由、サンフランシスコ まで 14 日間の船旅でした。その後は飛行機に乗られたと聞いております。
ところで練習船 「 こ じま、1,000 トン 」 は サンマ のように細長い船体で 、( 従って横揺れをする ) 旧海軍の海防艦 「 志賀 」 を改造した船でした。東京湾を出た途端に低気圧による シケ に遭い、船が揺れ出したので、90 名の学生の大部分は、とたんに船酔いになりま した。
私は船に乗るまでは、バスや電車などで乗り物酔いなどしたことはありませんで したが、船の揺れだけは別でした。何ともいえない嫌な気分になり、出港から 3 日間は食事が喉を通らずに絶食状態で、水だけ飲んで過ご しま した。しかしお客さんではないので、その間も実習生として船の航行に関する当直の仕事を務めました。
船酔いで何が辛いといっても胃の中に吐く物がなくなっても、吐き気だけは繰り返し襲ってきますが、吐く発作が起きても胃の中は空なので、何も出ないことです。これを野球に例えて 「 空振 り 」 といいましたが、そうなると胃が 雑巾 ( ぞうきん ) でも絞るように絞られて痛み、血が出ることさえありました。
それを避けるためには、吐いたら 一時的に気分が回復するので、すぐに水を飲むことにしました。そうすれば次の吐き気が襲ってきても、空振りをせずに水だけを吐くので胃は痛まず、やがて水吐きにも慣れて、あたかも胃を水で洗浄するようなものでした。
実習生の仲間うちには、船酔いの薬を使用した人もいましたが、ハワイ までは当時の米国の船会社 A P L ( American President Lines ) プレジデント ・ ラインズ ( 船名には プレジデント ・ ウイルソン 、 モンロー などの大統領の名前が必ず付きました ) の快速定期旅客船で 7 日間、我々の練習船では のんびり 12 日間の長丁場でしたので、私は船酔いの薬を使いませんでした。
聞くところによると宇宙飛行士の中にも無重力状態で、宇宙酔いにかかる人がいるそうですが、その際には酔い止めの薬を使用するといわれています。 ( 続く )
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コメント
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たしか、兄たち(実習航海は「うらなみ」に乗艦)が海上自衛隊として初のアメリカ親善航海だったように聞いていたのですが、それまでも海上保安大学のフネで実施されていたのでしょうか?
「うらなみ」はもと米・フリゲート艦なので、あの時代にアイスクリームが食べ放題だったことと、便器の位置が高いこと、など妙な感想を聞いた覚えがあります。
投稿: Y.S | 2008年12月14日 (日) 11時30分
海上保安大学の練習船で北米西海岸に行くようになったのは、二代目の練習船 「 こじま 」 ができた、昭和 39年 ( 1964年 ) からだったと思います。
それまでは ホノルルや南にある ビッグ ・ アイランド の ハワイ島まででしたが、今では三代目の 「 こじま 、3,000 トン 」 で、毎年 三ヶ月かけて世界一周の航海をして、実習生を鍛えています。
投稿: カネノ | 2008年12月14日 (日) 13時29分
この2015年4月28日から、娘が3代目こじまで世界一周の航海実習に出航しました。船酔いに弱い体質なので、苦労して101日の試練の航海をするのでしょう。ここを乗り越えられれば、幹部候補生として現場に出て行くのだと思います。8月の帰港を親としては待つしかありません。
投稿: S.N | 2015年4月29日 (水) 18時38分
娘さんが三代目 「 こじま 」 で世界 一周に行かれたとは結構なことです。9 年前の大学卒業 50 周年の時に同期生が呉に集まりましたが、その時に 三代目 「こじま」 を見学しました。
ところで船に弱かった私も、遠洋航海の際にはしばらく乗船しているうちに船の揺れに慣れ、食事の際にお椀の中で味噌汁の表面が傾くのを見て、あるいは入浴中に浴槽の中で湯の表面が傾くのをみて、初めて船が揺れていることに気付くようになりました。
投稿: 管理人 | 2015年4月29日 (水) 21時02分