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2008年12月 6日 (土)

タイ空港の混乱

Suvan 金権、腐敗が原因の政治的混乱から、タイの首相府が反政府市民団体 「 民主主義市民連合 」 により 3ヶ月も占拠されていましたが、11月25日になると バンコクに 2 箇所ある国際空港の ロビーが市民団体により占拠されたために、現地には最大で 1 万人の日本人旅行者が足止めにされました。

Yorusuvan 首都 バンコクの北 20 キロにある ドン ・ ムアン ( Don Muang ) 空港は、長年国際空港として日本人にも親しまれてきましたが、手狭になったので バンコクの東 30 キロの所に新空港を建設し、2006年に オープンしましたが、スワンナプーム ( Suvarnabhumi )国際空港と呼んでいます。

写真は スワンナプーム空港 ターミナルを誘導路側から見たものですが、シドニーの オペラ ・ ハウスの屋根 ( 帆船の帆、貝殻 ? ) に少し似た形です。

戒厳令が空港周辺に布告され空港閉鎖となると、その間 バンコクに宿泊中の飛行機乗組員はどうしていたのでしょうか?。おそらく 1 週間以上も、ホテルに缶詰になっていたのかもしれません。 

バンコクから急いで脱出を希望する旅行者は、豪華寝台列車で マレー半島を南下して、マレーシアの ペナン島にある ペナン ( Penang )国際空港に行くか、さらに南下して首都 クアラ・ルンプール( Kuala Lumpur )に出れば、日本に帰れますが、余分な費用が必要です。

バンコクの二つの空港が使用不能になったので、全日空と日本航空では日本人旅行者を日本に帰国させるために、 バンコクの南 150 キロにある リゾート地の パタヤ近郊にある軍民共用の ウタパオ ( U Tapao ) 飛行場を使用することに決めて、臨時便を運航しました。

バンコク市内から乗客を チャーター ・ バスで、ウタパオ基地まで運びましたが、 ホテルに連泊を強いられた旅行者たちは、宿泊費、食事代などでとんだ 「 出費 」 で、中には旅費が欠乏した人もいました。

タイ政府も特定の高級 ホテルの宿泊者に限り、1日当たり 2,000 バーツ ( 約5,400円 ) の宿泊費の補助を発表しましたが、並み以下の ホテルは対象外でした。
参考までに 20年前の平成元年 ( 1989年 ) 6月4日に起きた、天安門事件の 2 日まえに、私は成田から北京に飛びましたが、その際の体験記をお読み下さい。

http://homepage3.nifty.com/yoshihito/tenanmon.htm

ところで 2 空港を占拠していた反政府団体・民主主義市民連合は、内閣が総辞職したために、12月3日朝から空港 ロビーから撤退し、約 35万人の外国人旅行客を足止めにした異常事態は、ようやく正常化に向かい、スワンナプーム国際空港は12月5日から、10日ぶりに運航を全面再開しました。

Busyap 海外旅行に行く際にはこうした事態、天災、事故などに備えて、所持金には余裕を持つことが必要ですが、天安門事件の際には銀行が閉鎖され、電話も不通になったので クレジット ・ カードの認証ができず、そのため使用できませんでした。

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コメント

航空会社の責任でもないので、今回はタイ航空はじめトンダ事件でした。

北京のお話も読みました。21人が出かけたのもすごいです。脱出用に回送便が北京へ飛んだように、今回もウタパオ基地に回送便が飛んだのでしょうか?

電話かけたら、バンコックで足止めされていて仕事にならないという人の話をヨソで聞きました。国内と同じように電話が通じたのが少しは、よかったのかもしれません。

タイ航空機だけは成田、ウタパオ間を往復とも乗客を運びましたが、その理由は帰国できずに、成田空港の ロビーで夜明かしをする タイ人たちを輸送するためでした。

全日空、日本航空機はいずれも ウタパオから成田までの片道だけ、日本人を運びました。

天安門事件の際の電話不通の件は、共産主義国家に特有の、自国に不利な情報を極力制限するためでした。

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