[ 初飛行で、初酔い ]
昭和 32年 ( 1957年 ) 5月に アメリカ の フロリダ 州 ペンサコラ にある 海軍飛行学校で 初級練習機 T-34 に乗り、飛行訓練が始まりましたが、前席に私、後席に飛行教官が座りま した。
最初の日の操縦訓練が終了間近になると、教官が インターコム ( I ntercom 、機内の通話装置 )で、 「 ユーワンナ、プージー ?。」 と言いま した。 「 プージー 」 の意味が分かりませんで したが、 何かをするのだと思ったので、 「 イエス ・ サー ( Yes, sir. ハイ )」 と返事を しま した。
すると 「 ヒア ・ ウイゴー ( Here we go. サア やるぞ ) 」 と言ったかと思うと、急激に体が座席に押 し付けられ、次には目の前が真っ暗になり、何も見えなくなりま した。 ブラックアウト ( Black-out ) と呼ばれる現象で、重力加速度が増大 したため、体内の血液が下半身に滞留 し、脳が貧血状態になったからで した。
やがて視力が回復 し頭上に地面が見え始めま したが、これが生まれて初めて重力加速度 を経験 した時のことで した。
後で分かりましたが、教官が最初に言ったのは 「 You want to Pu l l G ?.」 つまり 「 お前は重力加速度を体験 したいか ?。 」 であり、学校英語で習った 「 Do you --- ?. 」 の文形は、日常会話ではあまり使わずに、肯定文の語尾を上げる発音で代用 していま した。
G ( ジー ) とは Gravity Force ( 重力 ) の頭文字のことで、重力の単位は通常 G で表 します。
我々は日頃から万有引力 ( ばんゆういんりょく ) と地球の自転による遠心力との合力により、「 1 G 」 つまり毎秒秒 ( 秒の二乗 ) 当たり、約 9.8 メートル の重力を受けて暮らしていますが、 人が耐えられる加速度には個人差があり、一般には 「 約 4 G 」 といわれています。
それを超えると 一時的に意識を失うために、G が加えられると自動的に 下半身への血流を阻止する、 耐 G 服 ( Anti-G Suits ) の着用が必要になります。
一度で終わるのかと思ったら何度も アクロバット ( Acrobatics 、曲技飛行 ) を繰り返 したので、私は気持ちが悪くなり、教官に 「 アイガット エアシック ・ サー ( I got airsick, sir 、私は空酔い しま した ) 」 と言い、事前に用意 していた空酔い袋に なま温かい液体をたっぷり放出 して、飛行場に持ち帰る羽目になりま した。
上の飛行 パターンは キューバの 8 文字 ( Cuban eight ) と呼ばれるもので、「1」 と 「4」 では前述した 「 G 、重力加速度 」 が かかるために目が見えなくなり、「2」 と 「5」 で 頭上の地面が空と入れ替わる、 180 度の横回転を します。
自分で操縦する分には酔いませんが、教官が操縦すると、その後も アクロバット などで酔いま したが、空酔いの本番は 二年後に海軍飛行学校を無事に卒業 し、日本に帰国 してからで した。
青森県八戸市にある海上自衛隊の航空基地に配属されましたが、対潜水艦哨戒機 ( P 2 V -7 ) の第 3 操縦士 ( ナビゲーター ) として、冬の季節風が吹き荒れる低高度での訓練飛行はかなり揺れま した。 しかも 1 回の 訓練飛行が 6 時間なので、揺れる機内で位置を求める推測航法の作図や航法計算は、空酔いとの苦闘で した。
外が見えない ナビゲーター ( 航法士 ) 席では頻繁に空酔いを しま したが、1 年半で ナビゲーターから副操縦士に昇格 し、外が見える操縦席に座ると気分壮快で、ナビゲーター を務める後輩や部下が低高度の悪気流の中で空酔いするのを見ると、自分が以前酔ったことなど棚にあげて、最近の ナビゲーターは揺れに弱い などと思ったもので した。
さらに機長になると、かつて自分が船酔いや空酔いに悩まされたことなど、すっかり忘れて しまいま した。
32 歳で海上自衛隊から民間航空会社に転職 しま したが、そこでは定年退職するまで 空酔いとは何十年間も無縁になりま した。
乗り物の揺れに弱かった私でも、揺れに体が慣れたのかも知れません。
[ ブログ終了のお知らせ ]
平成 18年 ( 2006年 ) 5月15日から初めたこの ブログも、2 年 7 ヶ月が過ぎましたが、来年中には私も 76 才になり平均寿命に近づきます。 脳 ミソの老化も一段と進むことと思いますので、仕事量軽減のために、今月で ブログを終了することに致 しま した。
大不況の中で解雇された非正規労働者が多い中で、まことに恐縮ですが、今後は好きな歴史物、時代小説、捕物帖などの本を読み、余生を のんびりと過ごすつもりです。長い間 ブログ 「 斜陽 」 に ご愛顧を頂きま して、まことにありがとうございました。 サヨウナラ。
P.S.
なお ブログをこのまま放置すると プロバイダー により消去されますので、数ヶ月に 一度は ブログ を書くことにより保存に努めます。 また ホームページの随筆集につきましては、従来通り更新を続けるつもりです。
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コメント
この記事へのコメントは終了しました。
ブログ終了とのこと、少し残念ではありますが、これだけの量のブログを書かれるのはすごく大変なことでございます。
量を減らして、数行でも何か書かれることで、維持管理ができればよろしいかと存じます。大変興味深いお話を数々ご披露いただき大変ありがとうございました。
投稿: あすか | 2008年12月28日 (日) 19時57分
毎回興味深く読ませていただいておりました。完全に終了ではないとの事。今後も楽しみにしております。
投稿: seraphco | 2008年12月29日 (月) 03時25分
ありがとうございます。これまでの データ が消去されない程度に、書き込むつもりです。
投稿: カネノ | 2008年12月29日 (月) 10時12分
お疲れさまでした。
いつも興味深い内容で読むのが楽しみでした。
また時々記事を書かれるのを楽しみに、時々覗いてみます。
ブックマークはそのままにしておきます。
投稿: POWERMAN | 2008年12月31日 (水) 16時22分
お疲れ様でした!
これだけ緻密な文を書かれるのは大変だったかと思います。ありがとうございました!
出来るだけたくさんの人に見て頂きたいと願ってます。
それにしても素敵な方ですね・・
奥様がうらやましいです!!
いや、さぞかし奥様もお似合いの素敵なお方なのだと想像致します。
お身体に気を付けて元気でお過ごしください!
投稿: あき | 2008年12月31日 (水) 16時55分
ご愛顧を頂き、ありがとうございました。よい年をお迎え下さい。
投稿: カネノ | 2008年12月31日 (水) 17時55分
はじめまして
はじめてきて、Blog終了の記事に直面しました。私もライセンスパイロットなのでGの恐怖はよくわかります。もう30年近く前なのですっかり忘れていますがCuiban Eightはパイロンに似ていますね。
私は失速が怖くて、最終テストで、ちょっとインチキをしました。引っ張りつづけるのが怖くて、わざと前に押したんです。見せかけの失速です。反省しています。Siteの方を読んでいてこちらにきました。リンクしたいペイジがあったのです。また戻ってから探します。
投稿: Bruxelles | 2009年1月 7日 (水) 14時50分
思えば、まったくふとしたきっかけでお知り合いになれたのも兄の引き合わせかと思っています。
永い間本当にありがとうございました。
たまたま昨日、かねてから捜していた第8期幹候卒業記念アルバム(昭和33年・1958年)の他、兄の淀川善隣館卒園・楷行社附属小学校入学・1958年第2回遠洋航海でハワイ・北米訪問時などプライベートのアルバムがすべて手許に届きました。
デジタル化の上、差し支えない範囲でFlickrなどで公開していきたいと思っています。
投稿: Y.S | 2009年1月11日 (日) 10時09分
こちらこそいろいろお世話になりまして、ありがとうございました。
鹿屋の第一航空隊に配属になった同期生 パイロット 3 名のうち、すでに 2 名が ガン であの世に旅立ちましたが、パイロット は短命のことわざ通りでした。
私もいつお迎えが来てもよいように、自作の戒名を用意し身辺の整理だけはしております。寒さのみぎり、健康にお気を付け下さい。
投稿: カネノ | 2009年1月12日 (月) 17時27分
有意義なメモリー・思慮深いメッセージを楽しませていただき有難う御座いました。御自愛の中、まだまだと輝き有る人生のエンジョイを切に願っております。 GOOD LUCK !!
投稿: | 2009年1月12日 (月) 23時44分
ありがとうございます。
あと 1~2 年程度は、頑張りたいと思っておりますが、先のことはどうなることやら分かりません。お元気でお過ごし下さい。
投稿: カネノ | 2009年1月13日 (火) 17時53分