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2010年2月28日 (日)

大津波警報

今から 50 年前の昭和 35 年 ( 1960 年 ) 5 月 24 日未明に、最大で 6 メートルの津波が東北地方の 三陸沿岸などを襲い、142 名が死亡する チリ 地震津波が起きました。写真は宮城県 ・ 塩竃市の被害の様子。

Shiogamatsu

当時私は青森県八戸市にある海上自衛隊八戸基地の官舎に住んでいましたが、未明に鳴り響く サイレンの音で目を覚ましました。基地は海岸の近くにあったものの、海抜  30 メートルの高台にあったので津波の被害を受けずに済みました。

昔のことなので知らない人も多いと思いますが、142 名の死者が出た経緯についてお話しますと、チリで地震が起きてから津波が日本に来るまでは、津波警報はまったく出ませんでした。その原因は ハワイの津波警報 センターから発せられた津波警報の電報が、気象庁には届いていたものの、地震課長の机の上で眠っていたからでした。

津波警報を出さなかった原因について、気象庁は最初 ハワイからの津波警報が届いていないと 「 しらを切り 」 ましたが、ハワイ津波警報 センターから動かぬ証拠の送信記録を見せられて、しぶしぶ届いていたことを認めました。

しかし次に考えた理由は、地震課長が休暇で不在であることにしました。結局この件について原因究明の結果も  「 うやむや 」 になり、 気象庁のお役人で責任を取らされた者は誰もいませんでした。メデタシ、メデタシ。

今度の大津波警報によれば高さ 3 メートルの大津波が来るはずでしたが、予想より小さく、最大で 1.2 メートルの高さの津波でしたので幸いでした。

多くの列車を止め、海に近い道路を封鎖し、住民が高台に避難したのも、近い将来必ず起きるとされる、東海大地震などに対する津波の防災 ・ 避難訓練になり、結構なことでした

2010年2月13日 (土)

T・P・O をわきまえない男

Kokubo_2

スノーボード ・ ハーフパイプ ( HP ) 男子代表の国母 ( こくぼ ) 和宏 ( 21 )=東海大=が成田空港から冬期 オリンピックが開催される バンクーバーに移動した際に、日本選手団の制服の ネクタイを緩めて シャツのすそを出し。ズボンは腰骨の所までずり下げてだぶつかせ、サングラスを掛け、鼻には ピアス をした格好でした。

これを見た人々などから、多くの抗議が日本 オリンピック委員会 (J O C ) や スキー連盟に寄せられました。J O C には国際大会での 「 代表選手団公式服装規程 」 があり、「自覚と誇りを持って選手団公式服装を着用しなければならない 」と定められています。

バンクバー到着後の記者会見で国母 ( こくぼ ) 選手は 一応謝罪したものの、その際には 「 謝罪しまーす 」 という半分ふざけたような言い方だったので、反省に疑問が残りました。

スキー連盟では オリンピック競技に参加させないとする厳しい意見があったものの、結局 13 日( 日本時間 ) の開会式には、国母選手、監督、コーチ 2 名を参加させないことにしました。

この問題には朝青龍の件と共通するものがあります。 お米 ( 相撲界では カネ のこと ) を たくさんもたらす 力士に対する朝潮親方の指導力欠如が、朝青龍の横綱らしからぬ態度を生み、メダルが取れそうな有力選手に対する コーチ ・ 監督による、日頃からの見て見ぬ振りの無責任な態度が、今回の出来事の原因でした。

彼を弁護する者の中には、彼にとって滑りや ファッションへの 「 こだわり 」 が強く、今回も自分の スタイルを貫いた形だとか、スノボ選手である彼にとって、あの服装は 彼の 『 正装 』 だ などとする T ・ P ・ O に対する 無知丸出しの意見 がありました。

世の中には T ( time ) P ( place ) O ( occasion )、という言葉があり、時と・所と・場合 ( 行事 ) に対する マナーの基準があります。

たとえば いくら 赤色の服に 「 こだわりがある 」 女性でも、葬式に参列するのに赤い服を着ないのが社会常識、マナーというものです。

「 公 」 と 「 私 」 の区別がつけられず社会常識が欠落した 国母 ( こくぼ ) 選手に対しては、 スノーボードに熱中するだけの、「 名ばかり 大学生 」 の哀れさを感じました

2010年2月 6日 (土)

出所祝い

Yokkei

30 年以上昔のこと、私は横浜市 ・ 港南区 ・ 港南 4 丁目にある横浜刑務所から、徒歩で約 20 分の所に住んでいましたが、ある日朝の散歩で刑務所の前を通ると、正門前に黒服の男の集団がたむろしていました。

時刻は 8 時半頃だったと思いましたが、正門横の扉が開き 1 人の男が荷物を手に持って刑務官に見送られて出所してきました。すると出迎えの人々が一斉に 「 おつとめ、ご苦労様でした 」 と口々に労をねぎらうと共に、1 人が花束を渡しました。

用意された リンゴ箱 ( 木製 ) の台に乗り、出所者が出迎えた大勢の人々に挨拶の口上を述べていましたが、どうやらその男は ヤクザの親分ではなく、その身代わりとなって長年 おつとめ ( 服役 ) を果たした男のようでした。

昨夜の テレビを見て昔の記憶がよみがえりました。政治資金規正法違反で逮捕 ・ 起訴された 「 オザワ支配人 」 の金庫番でした大久保隆規被告 (48) が、東京拘置所から保釈された際に、花束を抱えて笑顔で出てきたからです。

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検察の発表によれば、小鳩党の 「 オザワ支配人 」 に関しては、 嫌疑不十分(怪しいけれども有罪に持ち込める証拠が得られなかった)として起訴されませんでしたが、 嫌疑なしとは大きな違いがあります

親分に対する、 4 億円という政治資金 (ワイロ、? ) の出どころの証拠固めを必死に防ぎ、身代わりに起訴されるのを引き受けた大久保被告に、誰の意向で花束が贈呈されたかは説明の必要がありません。

ちなみに花束を送られたのは、元会計責任者で公設第 1 秘書でした彼だけで、拘留中に知っていることをしゃべり、親分に不利な供述をしたと ウワサされる 石川議員や、後任の事務担当者 ・ 池田光智被告 (32) には花束がなく、手ぶらで寂しく保釈されました。

これこそが オザワ ・ チルドレンが  恐れおののき 口を閉ざす、オザワ流の 信賞必罰 のみせしめ に違いありません。

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