大津波警報
今から 50 年前の昭和 35 年 ( 1960 年 ) 5 月 24 日未明に、最大で 6 メートルの津波が東北地方の 三陸沿岸などを襲い、142 名が死亡する チリ 地震津波が起きました。写真は宮城県 ・ 塩竃市の被害の様子。
当時私は青森県八戸市にある海上自衛隊八戸基地の官舎に住んでいましたが、未明に鳴り響く サイレンの音で目を覚ましました。基地は海岸の近くにあったものの、海抜 30 メートルの高台にあったので津波の被害を受けずに済みました。
昔のことなので知らない人も多いと思いますが、142 名の死者が出た経緯についてお話しますと、チリで地震が起きてから津波が日本に来るまでは、津波警報はまったく出ませんでした。その原因は ハワイの津波警報 センターから発せられた津波警報の電報が、気象庁には届いていたものの、地震課長の机の上で眠っていたからでした。
津波警報を出さなかった原因について、気象庁は最初 ハワイからの津波警報が届いていないと 「 しらを切り 」 ましたが、ハワイ津波警報 センターから動かぬ証拠の送信記録を見せられて、しぶしぶ届いていたことを認めました。
しかし次に考えた理由は、地震課長が休暇で不在であることにしました。結局この件について原因究明の結果も 「 うやむや 」 になり、 気象庁のお役人で責任を取らされた者は誰もいませんでした。メデタシ、メデタシ。
今度の大津波警報によれば高さ 3 メートルの大津波が来るはずでしたが、予想より小さく、最大で 1.2 メートルの高さの津波でしたので幸いでした。
多くの列車を止め、海に近い道路を封鎖し、住民が高台に避難したのも、近い将来必ず起きるとされる、東海大地震などに対する津波の防災 ・ 避難訓練になり、結構なことでした。