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2010年9月24日 (金)

これで尖閣諸島は 中国領になった

検察は 法と証拠に基づいて 起訴か不起訴かを判断するものと思っていたら、那覇地検の次席検事の記者会見での話によれば、船長の釈放は日本国民への影響や今後の日中関係を考慮した と言ったのでたいへん驚きました。

国内法に基づき粛々と手続きを進めると大臣・官房長官が何度も公言しながら、巡視船に対する漁船の衝突 ビデオの公表をしなかった理由がこれで分かりました。

検察はいつから 政治判断 をするようになったのでしょうか?。このような判断は那覇地検の検事や検事正が単独で下せるものでは決してなく、それ以前に福岡高検 ・ 東京の最高検察庁とも十分協議したことは間違いありません。

大阪地検の前田検事による パソコン ・ データ ねつ造事件で大きな失点をした最高検察庁の検事総長が、 赤い仙谷 官房長官から頼まれて、やむなく船長の釈放に応じたと解釈するのが最も自然です。政治家連中は否定していますが----。

私に言わせれば検事総長も腰抜けで保身の塊と言うべきです。

かつて昭和 29  年(1954年 ) に造船疑獄事件があり、国会議員 4 名が逮捕され、当時自由党幹事長の佐藤栄作 ( 後の総理大臣 ) も逮捕間近になると、検事総長 ( 同じ姓の佐藤 ) に捜査中止の政治的圧力を掛けましたが、彼は屈しませんでした。

そこで犬飼 法務大臣が検察庁法 14 条に基づく指揮権を発動して、佐藤幹事長の逮捕、捜査中止を命じ、翌日大臣を辞任したことがありました。

国益を大きく損なった今回の事件では 政治主導 を唱える日頃の姿勢はどこへやら、いざ危機に直面すると びびって誰も責任ある決断をしようとせず、あろうことか検察庁に問題を丸投げしました。

政治家の言いなりになり 政治判断で船長を釈放した検事総長 は、退職後は ゴホウビ として美味しい天下り ポストをもらえるに違いありません。

船長を起訴し執行猶予の判決を下した後に政治判断で釈放すれば、日本の司法行政機関による裁きを受けたとする実績が残り、領有権問題に有利に働いたのにと思うのは私だけでしょうか?。

いずれにしろ仙谷官房長官を初めとする 外交の ど素人連中 がもたらした結果は、中国との今後の交渉において、悪い前例を残したことだけは間違いありません。

2010年9月21日 (火)

宣伝戦に敗れた日本

Chankoro

沖縄にある尖閣諸島の日本の領海内で起きた中国漁船が、海上保安庁の巡視船に故意に衝突した事故の結果、日本が船長の身柄を拘束したことで中国政府が反発を強め、数々の政治的、経済的対抗措置、嫌がらせを繰り出しています。

Photo

中国側は事件発生直後に 「 日本の巡視船が中国漁船に衝突した 」 と、外交部の女性報道官が発表し、全責任は日本側にあると述べましたが、中国の マスコミもこれに同調した結果、反日 デモに発展しました。

日本側が撮影した衝突時の ビデオの存在を知ると、中国側は巡視船が衝突したとする主張から、日本側の ビデオは信用できないとする主張に変更して、船長の身柄解放に応じなければ 断固たる措置を取る と威嚇を続けています。

中国では人民は 革命の道具 にしか過ぎず、人権など無いに等しい中国政府の目的は 「 船長 1 人の人権保護 」 ではなく、尖閣諸島周辺における日本政府の 「 領有権を否定する 」 ことに尽きます。

もし船長に対する日本政府の 行政権 ( 具体的には逮捕 )、司法権 ( 裁判 ) の行使を認めれば、1970 年の国連海洋調査によりこの海域に初めて海底油田、ガス田の存在が判明して以来、中国が自国の領有を主張してきた方針に反することになるからです。

ところで 巡視船が撮影した衝突時の ビデオ を、なぜ日本政府が公表しないのか理解に苦しみます。一説によると裁判所に提出する証拠の切り札にするためといわれるものの、百聞は一見にしかず のことわざがありますが、タイミングの遅れは証拠としての利用価値を大幅に失います。

事件直後に公表すれば海外 メディアも当然取り上げ、その結果中国による虚偽の主張に国際社会が判断を下す有力な材料になり、国際世論の形成に有利に働くからです。旧社会党出身で 「 赤いといわれる 」 仙谷官房長官の差し金でないことを祈ります。

中国が日本に対して閣僚級の会談を拒否するなど、政治的 ・ 経済的に威嚇し続けても、目先の収入減少にとらわれずに筋を通し、決して安易な 妥協や 譲歩をすべきではありません。

さもないと今後何百隻もの中国漁船が、尖閣諸島、沖縄周辺などの日本の領海内で操業する事態となり、 実質的な中国の領海化につながりますから。

2010年9月12日 (日)

敬老のお祝い

Keirou

9 月 20 日は敬老の日だそうですが、世帯数約 1,300 戸の私が住む地域では毎年 65 才になった人、77 才の喜寿を迎えた人にはお祝いの品物を、それと 88 才の米寿以上の人には毎年お祝いの品物を贈呈することになっています。

女房の話によれば、今年喜寿を迎えた人は 46 人、米寿以上の人は 28 人とのことでしたが、だからといってこの数字が住民の正確な年齢の実態を表しているわけではなく、自治会に申請することにより自分の年齢を他人に知られたくない人は、お祝いの年齢に該当しても申請しないのだそうです。

年齢を他人に隠す必要がまったく無い私は、 77 才になったので申請しましたが、今日 ( 12 日 ) 自治会の役員がお祝いの手紙と品物を持って我が家を訪れました。品物の中身は、甘党の私にとってありがたい 「 とらや 」 の 「 ようかん 」 で感謝しました。

Shinjukut

ところで午後の テレビを見ていると、固定資産税などの税収が多い東京の副都心、新宿区では 77 才の人に 7,000 円の祝い金を出したことを知りましたが、私が住む兵庫県内の赤字財政の市からは、祝い金は ゼロ でした。

となると老後は財政的に豊かな自治体に住む方が、市 ( 区 ) 民税率や福祉 サービスの点を含めて、何かと有利なことを今回初めて知りました。

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