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2011年1月15日 (土)

節操の無さは祖母ゆずり

たち上がれ日本の共同代表を務めていた与謝野馨が、1 月 13 日に離党届けを出したと思ったら、翌 14 日には第 二次菅内閣の経済財政担当当大臣になったのには驚いた。

長年自民党に在籍し、自民党右派といわれた平沼赳夫などと 「 たち上がれ日本 」 を結党したが、その際の 「 反民主 ・ 非自民を貫く 」と述べた言葉はどこへ行ったのか ?。

与謝野晶子といえば日露戦争に従軍した弟 ( 宗七 ) について詠んだ短歌 君死にたもうことなかれ が有名で、太平洋戦争後の 反戦運動の際にも多く引用された。

 ああ、弟よ、君を泣く、
 君死にたまふことなかれ。
 末 ( すゑ ) に生れし君なれば
 親のなさけは勝 ( まさ ) りしも、
 親は刄 ( やいば ) をにぎらせて
 人を殺せと教へしや、
 人を殺して死ねよとて
 廿四 ( にじふし ) までを育てしや。

ところがである、太平洋戦争 ・ 開戦直後の昭和 17 年 ( 1942 年 ) の短歌雑誌 「 冬柏 」 の 1 月号には、当時海軍大尉だった四男の 与謝野四郎に対して詠んだ歌が掲載されている。

水軍の大尉となりて我が四郎 み軍 ( いくさ ) にゆく たけく ( 猛く ) 戦へ

子が船の黒潮越えて戦はん  日も 甲斐 ( かい ) なしや病 ( やま ) ひする母

前半の弟に対する反戦の歌と、息子が勇敢に戦うことへの激励、息子が戦場に行くというのに、自分が病床にあるのは不甲斐 ( ふがい ) ないとする歌を、 同一人物が詠んだと知り 唖然とした

一芸一能に秀でた人物が 人格的に低級  であった例を、これまで何度も見聞してきた。

短歌の批評をするつもりは無いが、 この歌人 ( 思想家 ? ) には人として必要な確固たる信念や 、( それを堅く守って変えない ) 節操が欠落していて、与謝野馨はその点で 祖母の性格を 隔世遺伝により 、たっぷり受け継いでいる。
 

2011年1月 2日 (日)

年末年始

12 月 31 日

「 アンタァ、今日は NHK の紅白だから、お風呂に早く入ってよー 」。我が家では老妻が見たい テレビの番組により、今年 78 才になる私に入浴時間が指示されます。女房いわく、「 他所のご主人は食事を作るのに、アンタは全く作れないのだから、それくらい協力してよ。」

そうなんです、私は炊事能力欠如のために 現役時代に 5 年間の単身赴任中も、インスタント ・ ラーメンと もっぱら外食、それに会社が出す乗員食で生き長らえてきました。

午後 4 時過ぎに風呂に点火。エコポイントがもらえるので最近 給湯器を交換し、浴室暖房器の カワック ( 乾く ) を設備しました。便利なもので風呂が沸くと音楽が鳴り、「 お風呂が沸きました 」 と、音声で知らせてくれます。

冬に風呂場で倒れて死亡した、田舎の祖父の脳卒中を思い出させる風呂場の寒さも、入浴前に カワックで 10分 間暖房すると快適な温度になります。

5 時半に夕食を食べ、老妻は 7 時までには食事の後片付けと入浴を済ませ、念願の紅白の番組を オープニングから 心置きなく見ることができました。

私はここ何十年も 「 紅白 」  を見たことがなく、自分の書斎で別の テレビ番組を見るか、図書館から借りてきた捕物帖などの小説を読んで、除夜の鐘を待ちます。

1 月 1 日

昨日 デパートから届いた おせち料理 を食べ、例によって 「 丸い餅 」 の入った 「 ぞうに 」 を食べました。私も老妻も東京で生まれた関東出身のため、雑煮のお餅は 四角い 「 角餅 」 を焼いて 「 ぞうに 」 に入れるのが当たり前とそれまで思っていました。

ところが 45 年前に関西に転勤した時には、「 丸い餅 」 しか売っていないのには驚きました。しかも餅を焼かずに入れるのです。最初 丸餅は、神社のお供えを食べるような気がしてなりませんでした。

雑煮に入れる丸餅と角餅の境界線は、電気の周波数の 50 サイクル/ 60 サイクルと同様に静岡県で、以西は丸餅だといわれています

今日も老妻が夜 7 時からの ウイーン ・ フィルの ニューイヤー  ・  コンサートの テレビ番組を見るので、4 時半からの入浴を指示されました。

老妻との生活も去年金婚式 ( 50 年 ) を迎えましたが、来世で結婚の相手を選ぶ際には、テレビ番組に執着心のない女性を選ぶことにしようっと !。

ウイーン ・ フィルハーモニー管弦楽団

私も ニューイヤー ・ コンサートには ほんの少しだけ興味がありましたが、それは女性音楽士が何人演奏に従事するのかでした。今回 私が数えた限り、バイオリン奏者が 3 名と ハーピスト ( ハープ奏者 ) が 1 名の合計 4 名で、私が注目するようになってから最多でした。写真はその内の 3 名の女性 バイオリン奏者。

Uinfiru

Joseivaio_2

ヨーロッパでは昔から宮廷音楽の演奏家は男性だけでしたので、その伝統から ウイーン ・ フィルも長年女性の音楽家を拒否してきました。女性だけでなく、白人以外の人種もいませんでした

ウイーン ・ フィルの女性差別、人種差別を外部から厳しく指摘されたため、近年やむなく女性音楽家を採用し、小沢征爾が音楽監督になり、ウィーン ・ フィルの ニューイヤー ・ コンサートを指揮したのは、2002 年 1 月のことでした。

毎年 コンサートの最後に演奏する恒例の ラデツキー行進曲を聴き、1 月 2 日からの箱根駅伝の テレビ中継を見ると、ようやく正月になった気がします。

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