節操の無さは祖母ゆずり
たち上がれ日本の共同代表を務めていた与謝野馨が、1 月 13 日に離党届けを出したと思ったら、翌 14 日には第 二次菅内閣の経済財政担当当大臣になったのには驚いた。
長年自民党に在籍し、自民党右派といわれた平沼赳夫などと 「 たち上がれ日本 」 を結党したが、その際の 「 反民主 ・ 非自民を貫く 」と述べた言葉はどこへ行ったのか ?。
与謝野晶子といえば日露戦争に従軍した弟 ( 宗七 ) について詠んだ短歌 君死にたもうことなかれ が有名で、太平洋戦争後の 反戦運動の際にも多く引用された。
ああ、弟よ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ。
末 ( すゑ ) に生れし君なれば
親のなさけは勝 ( まさ ) りしも、
親は刄 ( やいば ) をにぎらせて
人を殺せと教へしや、
人を殺して死ねよとて
廿四 ( にじふし ) までを育てしや。
ところがである、太平洋戦争 ・ 開戦直後の昭和 17 年 ( 1942 年 ) の短歌雑誌 「 冬柏 」 の 1 月号には、当時海軍大尉だった四男の 与謝野四郎に対して詠んだ歌が掲載されている。
水軍の大尉となりて我が四郎 み軍 ( いくさ ) にゆく たけく ( 猛く ) 戦へ
子が船の黒潮越えて戦はん 日も 甲斐 ( かい ) なしや病 ( やま ) ひする母
前半の弟に対する反戦の歌と、息子が勇敢に戦うことへの激励、息子が戦場に行くというのに、自分が病床にあるのは不甲斐 ( ふがい ) ないとする歌を、 同一人物が詠んだと知り 唖然とした。
一芸一能に秀でた人物が 人格的に低級 であった例を、これまで何度も見聞してきた。
短歌の批評をするつもりは無いが、 この歌人 ( 思想家 ? ) には人として必要な確固たる信念や 、( それを堅く守って変えない ) 節操が欠落していて、与謝野馨はその点で 祖母の性格を 隔世遺伝により 、たっぷり受け継いでいる。