昔もあった 停電
今回の大震災がもたらした電力不足から、首都圏を含む関東地方では計画停電がおこなわれていますが、敗戦間近の 昭和 20 年 ( 1945 年 ) 当時にも毎日停電がありました。
当時私は米軍機による空襲を避けるために東京から長野県の山奥の寺に、学校の クラスごと学童集団疎開をしていました。
http://homepage3.nifty.com/yoshihito/sokai.htm
昭和 20 年になると空襲が一段と激しくなり発電所・変電所が被害を受けたため、主に軍需品を作る工場用の電力を確保するために、昼間に限り 一般家庭に対する停電がおこなわれました。
8 月 15 日に日本が連合国に降伏することになり、昭和天皇が直接 ラジオ を通じて国民に終戦の詔勅をお読みになりましたが、その間の事情は下記にあります。
http://homepage3.nifty.com/yoshihito/hp-3.htm#shuusen
停電は敗戦後も続きましたが、現在のように事前に周知された計画に基づく停電ではなく、毎晩停電の 1~2 分前になると電灯が数回点滅しました。すると各家庭では停電に備えて、ロウソク ・ 灯油ランプ などの明かりの用意をしました。
しかし占領軍の基地 ・ 家族の居住区だけは停電にならずに、敗戦国民のみじめさを子供ながらも味わうことになりました。
敗戦から 6 6 年後に大震災による計画停電が実施されるようになりましたが、原子力発電による電力の大量消費 ( 換言すれば野放図な使用 ) の上に成り立つ、24 時間営業 ・ 深夜 テレビなどの日常生活そのものを 「 考えてみる 」 必要を感じました。
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