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2011年7月22日 (金)

原発の定期検査を、なぜ遅らせないのか

報道によれば福井県高浜町にある関西電力高浜原発 4 号機は 7 月 21 日の夜、営業運転を停止し定期検査入りをした。翌 22 日夜には福井県の大飯( おおい )町にある大飯原発も定期検査が始まり、 関電の原発 11 基のうち 7 基が停止状態になるそうである。

東日本大震災の結果、夏場の電力需要が逼迫し国民に 15 パーセントの節電を求めるのであれば、政府 ・ 電力会社がやるべき方法があると思うが、それは法律を改正してでも、原発の定期検査の実施をせめて電力需要の厳しい夏の 2~3 ヶ月間、遅らせる ( 延長する ) ことである。

電気事業法第 54 条の規程により、原発は定期検査の実施が義務づけられているが、この定期検査の時期は、蒸気 タービンにあっては 2 年 ± 1 ヶ月、その他の電気工作物 ( 原子炉およびその附属設備 ) については 1 年 ± 1 ヶ月を超えない時期と定められている。

ところで船には船舶安全法という法律があるが、その目的は船舶の堪航性 ( たんこうせい、航海に堪えられる性能 ) を保持し、かつ人命の安全を確保することと記されている。
船舶安全法に基づく検査には定期検査と中間検査があり、船舶は 2 年ごとに検査を受けることになっている。

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豪華 クルーズ客船の 「 あすか 」 に例をとれば、世界一周航海の途中で検査の有効期間が満了するような場合には、予め申請により 5 ヶ月以内で 有効期間を延長することができると定められている。         

船の大型 ディーゼル エンジンであろうと、原発の蒸気 タービンであろうと、正常運転中の機械が検査の有効期間を過ぎれば、すぐに故障する危険があるなど、あり得ない話であるが、 原発とは数ヶ月の検査期限の延長ができないほど 機械的にまた構造上からも、信頼性が無いものなのであろうか ? 。私には納得しがたいことである。

2011年7月 7日 (木)

空き菅総理と、推古女帝

日本の歴史上、女性でありながら初めて天皇の地位に就いたのが 推古 ( すいこ ) 天皇 であった。推古女帝は第 30 代敏達 ( びたつ ) 天皇の皇后として 16 年過ごしたあと 34 才で未亡人となり、崇峻 ( すしゅん ) 天皇が暗殺された後に第 33 代の天皇になった。

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女帝は豪族の蘇我氏に対抗するために、甥 ( おい ) に当たる聖徳太子を摂政にして政治をおこなったが、その後 28 年経過 しても摂政に皇位を譲ろうとせず、聖徳太子は 摂政のまま 49 才で亡くなった。

女帝はその後も 7 年間皇位に留まり続け、合計 36 年間 ( 在位 592~628 年 )、75 才で死ぬまで天皇の地位に留まり続けたが、死に臨んでも後継者の指名もしなかった。あの世でも 天皇のままでいたかったからに違いない

それから 1380 年後に出現した 「 空き菅総理 」 は、 一旦手に入れた権力 ・ 地位 は、 革命による以外は絶対に手放さないという左翼主義の原則に則り総理の地位にしがみついているが、そこには 菅個人の権力欲 ・ 延命欲 のみが存在し、政治家としての潔さ、行動の美学などは全く存在しない。

菅総理の権力 ・ 地位に対する執着心の強さは 、推古女帝のそれに匹敵する。

東日本大震災時における福島原発の水蒸気爆発がもたらした放射能汚染の隠蔽 ・ 役に立たない 20 近い災害対策委員会 ・ 協議会の設置、くるくる変わる場当たり的な発言、ガレキの除去遅延に見られる行政遂行能力の欠如 、 外国の マスコミから 統治能力を疑うとまで 酷評された リーダーシップの無さを見ると、前回の衆院選で民主党を選んだ選挙民、菅総理を選んだ民主党代議士は、 無能な権力の亡者を選んだ責任 を深く反省しなければならない。

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